イスラエル - ナザレの美しい教会たち | * たびばな * 旅好き女子のあちこち歩き

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主に鉄道でヨーロッパ34カ国、世界57か国をぐるぐると駆け回り、とにかく歩き回った、充実した旅の記録です。いろんな人に出会ったり、いろんなものを食べたり、旅のワクワクを少しでもおすそ分けできれば嬉しいです。持ち物やルート、予算についても情報いっぱい。

2019年 1月。

 

キリストの育った町ナザレ。

アラブ系キリスト教徒の多く住むこの町を歩きながら、教会巡りをしてきました。

 

まずは、天使ガブリエルが聖母マリアに 「あなたは神の子をみごもっていますよ」 ということを告げる 「受胎告知」 が行われた場所に建てられたとされる 「受胎告知教会」。

 

もとの教会が建てられたのは 4世紀とのことですが、4世紀といえばエルサレムの「聖墳墓教会」、パレスチナの「生誕教会」が建てられた時期と同じ。この時期、この地域全土でキリスト教に勢いがあったことがわかります。

 

 

 

現在の教会が建ったのは 1969年。中近東では最大級の教会だそうです。

 

 

さて、この教会には世界各国から贈られた聖母子像がずらりと飾ってあります。

教会内だけではスペースが足りないので、外塀にもたくさん。

 

すべてタイル装飾の聖母子像なのですが、国ごとの特色が出ていてとても面白い。現代アートみたいなアフリカのアートもありましたが、個人的にはこってりしたビザンチンのアートも好み。

 

 

 

ポルトガルの美しいアズレージョ(青いタイル)。中国の聖母子像ははんなりと中華風でこれはこれでなんか、良い。

 

 

 

教会内にも多くの聖母子像があって、一枚一枚見て歩くのがとても楽しいです。

 

 

 

日本のものもありました。

こ、これはなかなかですね…!キリストが袴姿なのが印象的。

 

 

だけど、聖母マリアが青と赤の衣服を着ていたり、咲いている花も白百合だったり、キリスト教的な絵画のルールにきちんと則って描かれています。

 

 

1968年の長谷川路可の作品だそうです。「華の聖母子」 という言葉も。

 

 

さて、この教会は地下、1階、2階のある構造で、メインのフロアであるこの聖堂は2階にあたります。地階の奥には、受胎告知が行われたとされる洞窟が。

 

この洞窟は、マリアの家だった場所です。「生誕教会」の馬屋もそうでしたが、当時の「住居」は木造の家ではなくて、洞窟だったんですね。

 

 


岩盤が見えるような形で祭壇がしつらえられていましたが、扉の奥なので、近づくことはできませんでした。

 

 

さて、このへんで教会を出て、教会の敷地内にある遺跡を見学します。

 

 


ここにはかつてのナザレの遺跡がそのまま残されているのです。



これはいつの時代の遺跡なんだろう?

ネットなどで調べてみたのだけど今一つわかりませんでした。

 

 

 

 

かつてここにあった古い教会の跡、なんでしょうね。

顔のない像は、教会と(たぶん)鍵を持っているように見えるので、ペテロの像です。

 


 

2000年前には洞窟で暮らしていたこの辺の人びとが、ほんの 300年後に急にこんな彫刻をし出すとは思えないので、これらは 4世紀に建てられたという初代の教会ではなく、12世紀に建てられた 2代目の教会の跡ではないかと思います。

 

初代も 2代目も、イスラム勢力によって破壊されてしまいました。

 

 

さて、受胎告知教会をあとにして、隣の 「聖ヨセフ教会」 へ。
ヨセフは、聖母マリアの旦那さん。キリストの養父(キリストは神の子ゆえに聖母マリアは処女懐妊なので、ヨセフとは血が繋がっていないことになる)にあたります。

 

 

 

 


キリストの青年期には父親として、自らの仕事場でキリストに大工仕事を教えていました。この教会は、その仕事場のあとに建てられたとされています。

 

 

 

こちらも地下に洞窟があり、階段のあと、仕事場のあとなどが残されていました。

 

 

礼拝堂には、ヨセフの像や、聖父子像がたくさんならんでいます。

 

 

 

ここで、たくさんの聖父子像を見て、わたしはとても感動してしまいました。

 


ヨセフは、言ってみればキリストとは血もつながっていないただの人なので、一般的に、聖母子に比べると宗教的に一段落ちるようなところがあります。聖人として認められたのも、なんと、19世紀に入ってから!

 

しかも、若いマリアとはやや年が離れていたようですなのですが、絵画ではことさらに老人として描かれたりしていて、立派な服を着て後光がさした聖母子が乗るロバを引くだけの、下男のようなボロい服を着たヨボヨボのおじいさんだったりするんです。わたしはこれを、常々、疑問に思っていました。

 

だって、ヨセフは 「処女懐妊した」 というとんでもないことを言い出したマリアを受け入れて結婚し、神の子とやらを自分の子供として大事に守り、かくまい、育て上げた人なんです(しかもキリストは宗教者として家を出ていくのが 30歳すぎなので、当時としては相当ないい大人になるまで結婚もせずに実家にいて大工仕事を手伝っていたことになります)。そして最終的に、その息子は大工を継がずに 「オレ神の息子だから、洗礼を受けて修行してくるわ」 と、家を出てしまいます。

 

キリストが出家したあとについてはヨセフの記述がなくなるので、もしかしたらキリストが家を出る前後に亡くなったのかもしれない。弟子たちの墓のあとに立派な教会が建っているというのに、ヨセフは、その墓すら、残っていません。

 

…と、そんな、やや地味な養父の立場のヨセフが、父親として、キリストとともに大事にされているのを見て、「よかったなぁ、よかったなぁ」と、なんだか嬉しかったのです。

 

 

さて。

最後に訪れたのは17世紀に建てられた 「聖ガブリエル教会」。

 

「受胎告知教会」 は、「受胎告知はマリアの家で行われた」 とするローマ・カトリックの教会なのですが、こちらは 「マリアは水を汲みに行った井戸で受胎告知を受けた」 とするギリシャ正教の教会で、「マリアの井戸」 と呼ばれる井戸の近くに建てられています。

 

 

 

フレスコ画のイコンで埋め尽くされた教会内、ものっすごく美しかった

簡素な内装が多かったイスラエルの教会の中ではピカイチでした。

 

 

そんなに大きな教会ではないのですが、立体的な作りになっていて、奥に続く廊下を歩いていくと、古い井戸に出ます。

 

 


マリアの井戸の水源はこの教会の奥にある井戸のようです。

 

フレスコ画に描かれた聖人たちを見分けたり(それぞれにアトリビュートと呼ばれる特別な色や物を持っているので)、好きな聖人や天使を探したりして歩くのも楽しかった。

 


 

 

さて、ナザレで見たかったものはだいたい見て回りました。

 

アラブ系キリスト教徒の多く暮らすナザレ。それを知らずに滞在していたときも、イスラエルの中では少し異質な町だと感じるほどでした。(町の中に堂々と、パレスチナを支援するアートが描かれていたのも象徴的)。

 

そろそろ、町を離れて、レバノンとの国境まで向かいます。