パレスチナへ - キリストの生まれた町ベツレヘム | * たびばな * 旅好き女子のあちこち歩き

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主に鉄道でヨーロッパ34カ国、世界57か国をぐるぐると駆け回り、とにかく歩き回った、充実した旅の記録です。いろんな人に出会ったり、いろんなものを食べたり、旅のワクワクを少しでもおすそ分けできれば嬉しいです。持ち物やルート、予算についても情報いっぱい。

2019年 1月。

 

今日は午前中にホテルをチェックアウトし、ダマスカス門近くのバスターミナルからバスに乗り、南へ。ベツレヘムという町に向かいます。

 

 

 

イスラエルに来ることを考えるまでは 「キリストが馬屋で生まれた土地」 ということしかしらなかったベツレヘム。地理的・政治的な立地をあまり考えたことがなかったのですが、実はイスラエルの中に存在する 「パレスチナ自治区」 のひとつ、「ヨルダン川西岸地区」 にあり、行く場合にはパスポートが必要なのです。

 

イスラエルの造る分離壁で囲まれ、許可がないと町から出ることもできないパレスチナ自治区の人たち。日本では「パレスチナ難民」とか、「パレスチナ問題」といった暗くてネガティブなイメージが先行するパレスチナですが、実際にはどういう町なんだろう。

 

今日は、分離壁の目の前に立っているホテルに泊まって、壁の見学もするつもりです。

 


国境を超える瞬間を見ようとずっと外を見ていましたが、バスはいつのまにか、ボーダーを越えてパレスチナ自治区に入っていました。エルサレムからパレスチナに入る際には、チェックポイントを通らない らしい。

 

ホテルにチェックインしたのち、まずは、キリストが生まれた馬屋の場所にたつ 「生誕教会」 を目指して、町の中心部へ。中東らしい、アラブの町っぽい佇まい。

 


 

 

キリスト教の一大聖地だけど、基本的にはイスラムの土地。

 

キリスト教の聖地がイスラエルにたくさん残っており、その土地はいまはイスラムやユダヤの土地である。という皮肉的な状況を、頭ではわかっていたけれど、今回旅してみてはじめて感覚として納得した感じがしました。

 

バチカンを歩くのとは全然、全く違う体験。



メインの通りでみつけた、毎度お世話になるシュワルマ屋さん。

 

店先で揚げていたファラッフェルを眺めていたら、隣のお店のおじさんが 「町で一番おいしいファラッフェルだよ!」 って声をかけてきて、さらにお店のおじさんが 「まあ、食ってみろ」 とひとつずつくれました。

 


 

もともと6個買うつもりで見ていたけど、1つずつ無料でもらってしまったので、4つ買うことにします。タダでくれなくても買うつもりだったし、結果買う数が少なくなったのでなんとなく申し訳ない気分だったけど、アラブの方々はあんまり細かいことを気にしていない感じがします。アラブ流のおもてなしというか。

 

 

近くのお店で売っていた、ざくろのジュース。エルサレムでもよく見かけたけどとても高かったので買わなかったんですよ。ここではもう少しリーズナブルだったので購入。これが、すごく美味しかった。日本では高価な贅沢品ですもんね。

 


 


キリストの聖地らしく、「Shepherds(羊飼い)」 というローカルビールを置くお店がいくつもあった。中東を旅しているとビールのサインを出しているお店がそもそも少ないこともあり、わたしが各地のローカルビールに興味があることもあり、つい気になってしまった。

 

 

 

それにしても、キリストが育ったのはナザレという北部の町。ベツレヘムはそこからかなりの距離があるのに、なんでここが生誕の地なのか。

 


聖書によると、キリストが生まれた年の古代イスラエルでは大規模な人口調査があり、誰もが登録のために自分の故郷に戻らなくてはならなかった。身重の聖母マリアは夫のヨセフとともにベツレヘムに戻っていて、イエスが生まれた、のだそうです。

 

到着前に生まれそうになり、急きょ、馬屋として使われていた洞窟で生むことになったと。

 

ちなみに Google Mapによると、ナザレにある「聖ヨセフ教会」(ヨセフと青年イエスが大工仕事をしていた場所)からベツレヘムの生誕教会までは 「徒歩で33時間」 だそうです。ざっくり、移動に 4日、かなぁ。

 

聖書にはたびたび、祝祭日にエルサレムの知り合いを訪ねるマリアの様子が出てくるので、案外かつての人たちにとっては大それた距離ではなかったのかもしれません。

 

 

町の中心にある、生誕教会に到着。

いわゆる、新約聖書における「馬屋でキリストが生まれた」場所です。

(しつこいですが、「と、いうことになっている場所」です)。

 

中東を旅しているとクリスマス感(年末年始感)がないので、見慣れたツリーに触れるとなんだかほっとする。世界中の教会に飾ってある 「キリスト生誕」 の馬屋の模型、いってみれば、ここが総本山!

 

 


外から見ると教会にはみえない外観なのは、十字軍時代にイスラム勢力の攻撃をふせぐために要塞のように強固な外壁をつくったため。

 

 

この教会のメイン・エントランスは、「謙虚のドア」 と呼ばれる、この小さな小さなドア。頭を下げて入場しなさい、という感覚は日本っぽい。

 

 


内部にはコンスタンティヌス帝時代(1世紀)のモザイクなどが残っています。

 

 

キリストの生まれた馬屋のあった洞窟に降りるには・・・長蛇の列。

まあでも、このためにはるばるやってきたので、覚悟して並ぶ!

 

 

 

地下に降りる階段は2、3人がやっと通れるくらいなので、そこでかなり詰まってしまいます。世界中から集まったキリスト教徒や観光客たちが、譲り合いつつもじわりじわりと穴に向かって距離を詰める。

 

 

 


実は、わたしたちが入り口の穴の前に到着したときに 「もうすぐミサが始まるから、あと15分で洞窟が閉まります!」 みたいなアナウンスがあったんですよ。

 

みんな1時間近く並んでやっとここにたどり着いているのでさすがに慌てて 「前の人たち、急いで!」「あと15分だって!」「後ろが詰まってる!」 って声を奥に向かってかけるんだけど、だからと言って我先にって感じがなくて、押す人も騒ぐ人もいないし、平和ですごく良かった。

 

洞窟の中に降りると 「イエスがここで生まれました」 とラテン語で刻まれた星型をした銀のプレートが埋められた祭壇があり、ひとりひとり屈んで星を触ります。

 

 

 

プレートが星形なのは、荒野にいた三賢者が星のお告げでこの馬屋を訪れ、イエスに謁見したという聖書のエピソードから。

 

わたしも触ってみました。触った後十字を切らないのが少し後ろめたいくらい、ほかの皆様はみんなキリスト教徒。

 


教会で、ヒジャブを巻いている女性が、牧師さんたちとすれ違ってた。

イスラムの地にあるキリストの聖地ならではだなぁ。

 

 

 

ちなみに、ここにはドラゴン退治の伝説で有名な聖ゲオルギウス(聖ジョージ)の教会が併設されていました。一説にはパレスチナ出身のギリシャ人とも言われているらしいです。

 

 

町のあちこちで白地に赤十字の「セント・ジョージ・クロス」の旗をみかけていたので、「なぜイングランドの旗が??」と不思議だったのですが、聖ゲオルギウスが祀られているのを見てやっと「そっちか!」と気づきました。(イギリスの国旗「セント・ジョージ・クロス」はもともと聖ゲオルギウスの旗なので)。
 

 

生誕教会のあとは、「ミルク・グロット」 と呼ばれる洞窟へ。

 

かつてこの洞窟でイエスを抱いている聖母マリアとヨセフのもとに天使が現れて「イエスを連れてエジプトに逃げなさい」とお告げがあったそう。あわてた聖母マリアがイエスに与えていたお乳がこぼれると、洞窟がミルク色に染まったのだそうな。

 

 

 

この後、家族はエジプトに逃れ、ベツレヘムで起きた(とされる)ヘロデ王の幼児虐殺からイエスを守ることができました。

 

…と、ベツレヘムにて、キリスト教のエピソードを拾い歩きました。

 

不謹慎かもですが聖書や聖人たちのことを一連の物語として知識を蓄積してきたわたしにとって、この土地は(オタク的な意味での)まさに聖地巡礼なのです。


あとはホテルに向かってあちこちぶらぶら歩き。のぞいてみた市場で売っていた野菜たちはどれも、日本のものより大型!

 

 

 

 

市場の隅の屋台で、串焼きの肉をパンではさんだサンドイッチを売っていました。

 

 


ちょっと小汚い感じの屋台だったので 「んー、わたしはいいかな…」 って言って自分の分は買わなかったんだけど、一口もらったらすごく美味しくて。目を丸くしてお店の人に 「美味しい!」 って伝えたら、向こうも 「そうだろ!」 って、めっちゃ笑って親指を立てて応える。バイバイって笑顔で別れて、またもぐもぐと食べる。

 

現地の人との、ほんのちょっとの何気ない触れ合いが、旅を少しだけ膨らませる瞬間。

こういうのって、なんだか忘れないものだ。

 

 

・・・次は、今回泊まったすごく良かったホテルの話を。

バンクシーのホテルに泊まってきました。