キリスト殉教の道 - ヴィア・ドロローサ | * たびばな * 旅好き女子のあちこち歩き

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主に鉄道でヨーロッパ34カ国、世界57か国をぐるぐると駆け回り、とにかく歩き回った、充実した旅の記録です。いろんな人に出会ったり、いろんなものを食べたり、旅のワクワクを少しでもおすそ分けできれば嬉しいです。持ち物やルート、予算についても情報いっぱい。

2018年 12月。

 

ヨルダンからエルサレムに国境を越えてきました。

三大宗教の聖地であるエルサレムは一度この目で見て、この足で歩いてみたかった場所。見たい場所、周りたい場所はたくさん!

 

その中でも、わたしはひとつ、絶対に歩いて巡りたい場所がありました。

それが、イエス・キリストが死刑を宣告されてから、十字架を背負ってゴルゴタの丘まで歩いた悲しみの道、「ヴィア・ドロローサ」。

 

2000年前にキリストが歩いたというルートが残っているとされていて、福音書で伝える物語どおりに番号がついているのでキリストの足跡をたどって歩けるのです。

 

毎週金曜日には、ここを実際に十字架を背負ったフランシスコ会の信者や巡礼者が歩くんだとか。

 

エルサレムに着いた初日、年が明ける前の大晦日。

イスラム、ユダヤの聖地のある神殿の丘から北上し、ヴィア・ドロローサまで歩いてきました。

 

 


 

キリスト教の聖地 「ヴィア・ドロローサ」 は東側のライオンズゲート(獅子門)から伸びる細い通りから始まっていました。

 

最初の番号のついた場所(第1留)は、キリストに 「死刑」 の判決が下った裁判が行われた場所。いまは学校になっていて、中には入れません。

(それを知らずに相当うろうろ探してしまった・・・)。

 

 

 

近くには、当時の総督ピラトが 「この人を見よ/エッケ・ホモ(この人に罪はないではないか)」 と言ったことにまつわる 「エッケ・ホモ教会」 があります。

 

 

第2留は、イエスが鞭打たれ、いばらの冠を被らされて、十字架を背おわされたという場所。現在はフランシスコ会の教会です。

 

 

 

そして第3留は、イエスが最初に倒れたとされる場所。

現在はアルメニア使徒教会が建っています。

 


 

その教会の入り口のあたりにあるのが、第4留。

群衆に紛れ、母親であるマリアがイエスを見守っていたという場所です。

 

 

イエスが倒れた場所の目と鼻の先なので、マリアは血まみれの息子が十字架を背負って膝をつく様子を間近に見ていたのかもしれません。

 

いつの間にか 「救世主」 と持ち上げられ、気が付くと 「罪人」 となってこれから死ににいく息子を、彼女はどういう気持ちで見つめていたんだろう。

 

 

第5留は、十字架を持ち上げられないイエスにかわり、クレタ人のシモンと言う人が十字架を背負ったという場所。

 

 

 

つづく第6留はわたしの好きなエピソード。ベロニカという女性が自分がまとっていたヴェールを脱いで血まみれのイエスの顔を拭ったといわれる場所です。

 

 


ここはもともとベロニカが住んでいた場所なんだとか。(ほんとかな)

いまは、ギリシャ正教の教会となっています。

 

イエスが顔を拭いたヴェールにはイエスの顔が浮かび上がった、というのが 「聖顔布伝説」。バチカンの聖ピエトロ大聖堂にはそのヴェール(聖顔布)が安置されているとか。

 

いずれも聖書の正典には記されていないのですが、絵的に訴求力があるからか、よく絵画にもなっている有名なエピソードです。


 

このあたりから、道は上りになり、階段を上ります。

 

第7留はイエスが二度目に倒れたという場所。

 

 

このあたりの壁に手をついた、と言われています。(一部だけ、古い壁が残っていました)


2000年前にはこのあたりに城門があり、ここから先は城壁の外だったようです。

現在の聖墳墓教会、かつてゴルゴタの丘とよばれた場所は、もともとは町はずれのさびしい場所だったのですね。

 

いまの旧市街は城壁の位置も町の構造も違うので、ここからいったん迂回してかつての道行をたどることになります。

 

 

第8留は、ショックで涙を流すエルサレムの女性たちに向かってイエスが 「わたしのために泣かなくても良い。自分のため、自分の子供のために泣きなさい」 と声をかけたとされる場所。

 

 

 

次の第9留は、三度目にイエスが倒れた場所。

 

場所が少しわかりづらくて、右側にフレッシュジュースを売る小さなお店があるところで階段を登ってしばらく細い道を奥まで歩いたところに十字架がたっています。

 

 

ここまで来たら、ゴルゴタの丘は目の前。

 

・・・いつしか日も落ち、ここから先は、聖墳墓教会の5つの留を巡ります。

 

まず、教会の外から見える入り口右手の階段奥の小さな部屋が、第10留。ここでイエスが服を脱がされたといわれています。

 

 



さて、聖墳墓教会は構造が複雑で、ここから先は少し迷ったのですが、結果としては、このあとの3つの留はすべて同じ、入って右側にある階段を上った先の部屋にまとめて全部ありました。

 

 

まず、第11留は、キリストが十字架に打ち付けられた場所。

張り付けにされるキリストの姿が壁に描かれている、向かって右側の祭壇です。

 

そのとなりはひとつ飛ばして第13留で、イエスの死を悲しむ母マリアの像。

 

 

 

そして、第12留がクライマックスである、キリスト磔刑の現場。

 

 

十字架が立てられていたというその場所(祭壇の下)には銀色のプレートがはめられており、手で触れることができました。プレートには穴があいていて、実際に十字架が立てられていた岩盤を触ることができます。

 

 

 

…で、ここからがちょっとこの教会のスゴイところ。


この部屋の真下には別の小さな部屋があり、古い岩盤が覗けるようになっています。

 

 

これが、さきほどの十字架がささっていた岩盤なのですが、中央に亀裂が走っているのが見えるようになっているんですね。聖書にはイエスが絶命したときに地面が割けたという記述があるのですが、それがこの亀裂ということ。



実は、キリストの十字架が立てられたゴルゴタの丘は旧約聖書に出てくる最初の人類アダムの墓だという説もあります(ゴルゴタとはしゃれこうべの意味)。ということは、十字架で流されたキリストの血は、この地面の亀裂を通って地中に埋まったアダムの骨に流れたことになります。

 

すなわち、アダムに始まる人間の原罪が、(文字通り)キリストの血によって洗われた、ということになるんです!

 

「キリストは自らの流す血によって人々の原罪を洗い流した」 ということが、ここで、物理的にも行われているのだ、というストーリー。

 

これ、すごくないですか!?

 

わたしは西洋絵画からキリスト教に興味を持って詳しくなっただけで宗教的な信者ではないため、立ち位置としては、いうなればただの 「キリスト教オタク」 ですが、これにはしびれました!

 

さて、磔刑のあと、十字架から降ろされたイエスの遺体を横たえて、香油を塗ったのに使ったとされる岩がこちら。

 

 

 

こういう聖遺物が全部本物だとはまるで思わないけれど、かつてここにゴルゴタと呼ばれる丘があったことは確かなわけで、きちんと史実と伝説に基づいた形で聖地(跡地)が設定されているのって、やっぱり面白いしワクワクする。

 

 

最後は、ドームの真下に位置している第14留、キリストの墓、です。

 

 

 

いつもかなりの待機列ができているけれど、さすがにこれをパスするわけにはいかないので、長々並んでお墓といわれる洞窟に入ってきました。

 

とはいえ、キリストは3日後に復活してこのお墓がからっぽになるのですから、キリストの道としては、ここもひとつの通過点でしかありません。

 

 

 

 

…ちなみに、キリストの遺体を引き取って埋葬したのは、アリマタヤのヨセフという裕福なユダヤ人でした。

 

彼が最後にキリストの血を受けたといわれる杯が、いわゆる 「聖杯伝説」 の聖杯であり、『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』 では、その聖杯がペトラ遺跡のエル・ハズネにあったことになっているのだから、今回の旅はオタクのわたしにとってすべてつながっているのです。