2011年 5月 1日。 とうとう、5月になってしまいました。列車の旅も、あと1日半を残すのみ。 後半に入ってスピードを上げてきているし、油断していたらあっという間に終わってしまう。 一瞬一瞬を楽しまなくては!
寒いと思ったら、そろそろ列車は、ウラル山脈に差し掛かっているんですね。仕舞い込んだレッグウォーマーを取り出して着用しました。 ウラル山脈はアジアとヨーロッパを分ける山脈。 列車は今日、ついにヨーロッパに入るわけです。
朝食後は、部屋でかなり時間をかけて、ストレッチと、ヨガ。 そのあとは音楽を聴きながらぼーっと窓の外を見たり。 さすがにシベリア鉄道の旅も 5日目に入ったので、この 「何もない一日」 の時間の使い方に余裕が出てきたんですよね。乗車 1日目はなんだか一日が長く感じて、ペースが狂うというか、なんか落ちつかなかったのですが、後半は全然 「暇だ」 と思うことがなかったです。 ゆっくりしたペースの一日に慣れてしまうと、暇さえ心地よいもの。 あわただしい東京の生活から急にこうなったので、初日はちょっと調子狂ったんだろうなぁ。 今日は午後に準備したいことがあるので、少し早目にランチにでかけることに。 そうそう、食堂車にはいくつもの車両を越えていかなければいけないのですが、車両をつなぐデッキの部分って、こんな感じです。
写真じゃわかりにくいのですが、鉄の板を重ねただけの床は揺れに合わせて動くので怖かったし、隙間風が入るので気温はまるっきり 「外」 と同じ。雪が吹き込んできたりして、めちゃくちゃ寒い。
なので、デッキに出る扉がものすごく重たく頑丈にできていて、開け閉めがかなり大変でした。
そんなこんなで、たどりついたロシアの食堂車での、3回目の食事。
メインは、いままでビーフ、チキンと選んで来たので、今日はポークで。うん。今日も美味しい。 この食堂車では、前菜とメインと飲み物で、毎回 だいたい 1,500円くらいでした。メニューも豊富で、ロシアの食堂車のイメージとはだいぶ違ってたなぁ。
ランチのあとは 13.30 ごろ、「スヴェルドロフスク」 駅に到着。 街の名前は 「エカテリンブルク」。ロシアでも有数の工業都市だそう。
車両は食堂車。ロシア語では 「PECTOPAH」 と書いて、「レストラン」 。
ウラル山脈を越えてしまうまで、頑張って車両を温めてもらわなくては。
ちなみに、この時点で、すでにわたしの車両の乗客はわたし 1人になっていました。 車掌さんは乗っているものの、誰もいなくてかなり静かです。 夏の観光シーズンは別として、この列車ではロシアに入ってからは、降りていくばかりで新たに乗ってくる乗客はほとんどいないので、モスクワに近づくにつれて空いてくるんだそう。 (まあ確かに国内の移動ならもっと早くて快適な手段があるしね)。
さて、この駅を出発してしばらくして、ちょっとしたイベントがあります。
自分の部屋の窓は汚れていたので、デッキに行き、窓の前でキロポストを数えながら えんえんとその瞬間を待って、ついに…
撮れた!!! 上に 「ASIA」 下に 「EUROPE」 と書いてありました。 向かって左 (東側)、右 (西側) にもそれぞれ、ASIA、EUROPE と彫られていました。 乗車して 5日目。ついに、ヨーロッパに入ったわけです。 このオベリスクのことは、一等に乗っていた日本人の女の子とも話をしていたので、「撮れたよー」 って伝えたくて、カメラを持ったまま、走って 二両隣の 一等車両へ。
地元住民が利用する二等 (軟臥 / 硬臥) と違い、ここにいるのは欧米 (+日本) の観光客ばかり。 彼らは北京からモスクワまでこの列車で行くことが目的なので、ガラガラになったわたしの車両とは反対に、モスクワまで人数が減りません。 食堂車でたびたび顔を合わせていた欧米人の乗客たちも、ほとんどみんな、ここの乗客。 この日も、大勢が廊下に出てきて、カメラを手に「撮れた?」 「見せて!」 と大騒ぎしていました。にぎやかで羨ましい!
日本人の女の子のほかにも、ここには、食堂車でよく会っていたたお医者さんのたまごのアメリカ人 (「グレイズアナトミーみたいだね!」) とそのお父さん、ひとり旅のフィンランド人、軟臥に乗車していてやっぱり車両に 1人になってしまったというオーストリア人など、英語で会話ができる人たちがたくさんいます。だから、ひとりに飽きたら、ここにおしゃべりに来たりしていました。 一等に乗っていたら、たぶん、彼らと一緒に 6日間を過ごしていたんですね。 それも楽しかったんだと思う。言葉も通じるし、住んでいる世界もみんな似てて。 みんな、私と同じで、仕事の休みをとって、エキゾチックな体験をしに来ている人達。 …でも、実は、一等に遊びに行くたびに 「二等を選んで良かったな」 って感じていました。 英語を話す、自分と似た世界に住む人たちとは、シベリア鉄道じゃなくても出会えるから。 考えてみれば、二等では、わたしのほかに、車窓の写真撮る人なんていなかったんです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「高包」 の車両には、2部屋に 1つ、共同で使用できる洗面台が付いています。 わたしも、「いつでも使いに来て」 って言ってもらってたんです。 でもね、同じ理由で、洗面台を借りにいくことはありませんでした。 ここ以外では絶対に、列車のトイレで髪の毛を洗うなんてことあり得ない。逆にいえばここでしかできないんだから、やってみようじゃないかと!
サモワールのお湯も使えますが、わたしは水だけで洗いました。たしかに水は冷たいけど、それほど寒くはなかった。 走っていく列車のなかの、トイレのシンクで髪を洗っているなんて、いやぁ、なんだかヘンな世界に来ちゃったものですが、このときは、もうそれがあんまり非現実的だと感じないくらい、シベリア鉄道に順応していました。 勢いに乗って、Tシャツや靴下まで洗ってみたり。 もう、こうなると、まさに 「生活」。 たしかに、6日間も過ごした場所ですもんね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 部屋でお茶を飲んだり日記を書いたりしていると、車掌さんが、手に蒸したての中華まんが山と入ったせいろを持ってきてくれました。 これは嬉しい!
ひとつもらったら、「もうひとつ、取れ」 と。結局、別の車掌さんがあとからまた持ってきてくれたりで、3つも食べてしまいました。 なので、今日はもう、北京駅で買ってまだ飲んでいなかったビールを取り出して飲んで、夕ご飯終了。
おまんじゅうの中身は、肉ではなくて、炒めた高菜漬けのような (伝わりますかね?) 感じ。お茶の葉のような香りがしました。 実は車掌さんたちは専用のキッチンを持っていて、6日間、そこで自炊しているんです。(キッチンからお弁当のようなものをもらってきている人もいたようですが)。 夕方になると、よく お米の炊けるにおいがしていました。 夕ご飯も済んで、ゆっくりと本を読んでいた 19時半ごろ、ペルミ駅に到着。
モスクワが近くなるにつれて減ってきた物売りのおばちゃんが、この駅のホームにいました。 何を売ってるのか見に行ってみたところ、飲み物に混ざって、魚!
夏時間ということもあって、遅くなってもまだまだ明るいシベリア。そろそろ夕暮れの時間です。
今日は朝から 2回も時差が変わって、そのたびに時計を巻き戻しているので、単純に 1日が 26時間もある計算。 早めに寝る準備を始めてしまいましょう。 鉄道内のベッドは、こういう感じ。
いわゆる寝台車なんかよりもずっと 「座席をそのままベッドに使っている」 的なので、本当に、ひとりがやっと寝れるくらいの幅しかありません。
一番下にちょっと分厚い毛布のようなシートをひき、それをシーツでくるんだら、もう一枚のシーツと毛布を縦半分に畳んで、上掛けとして使います。
暖房が入っているので案外寒くなかったけど、寒がりなので、毛布は 2枚使ってました。
そして、朝起きたら、全部まとめてクルクルとまるめてしまうんです。 このベッドメイク術は、この鉄道に乗りなれた 付 (フー) さん直伝。 ベッドでぐずぐずと本を読みながら、いつの間にか眠りに落ちていました。 明日はいよいよ、鉄道を降りる日です。
食堂車でランチ 525 Rub (ロシア食堂車)
※ 1 ルーブル = 約 3 円
________________________________________ ヨーロッパ 周遊 自由 旅行 シベリア 鉄道 一人旅 シベリア鉄道 ロシア エカテリンブルグ
|