ここ何年かで、痛感したことがある。
人それぞれ持っている愛情の量は違う。
どういうことかというと、家族愛でも、友人への愛でも
もちろん男女の愛でもその人が100%の愛情を誰かに注いだとしても
ほかの人と比べるとその人にとって100%の愛情でも10%だったり
50%だったりするということだ。
特に最近思うのは、親から子供への愛情。
無償の愛情などとよく言うが、それはもちろん人それぞれ。
私の友人達をみていて子供に注いでいる愛情を素晴らしいと思う反面、
私や一部の知人が親から受けた愛情との違いに唖然とすることがある。
悲しいことだが、そういった私含め一部の知人の親は、
子供へ無償の愛情を注いでいるつもりなのだが、
まったくもってそうは思えない行動をとっている。
いやいや、愛情あるの?と思ってしまう。
でも親達は自分の持つ子供への愛情に微塵の疑いも持っていない。
口では、子供の代わりになら死ねる!なんて言っているが
通常の言動から考えると絶対そんなことはないだろうと容易に想像がつく。
例えばよくある話だが、崖で自分か子供どちらかしか助からないとしたら、
どちらをとるか、どんな親も「自分が犠牲になって子供を助ける」というだろう。
でもそんなシュチュエーションはまず現実的にない。
間違いなく、持っている愛情自体が少ない親は自分が助かることしか考えないだろう。
そんな人間は親になる資格・遺伝子を残す資格がないと私は思う。
だから、ネグレクトや虐待が起こっているのだ。
映画やテレビで親の無償の愛情を切り口とした作品が多々ある。
当たり前のように。
そんなものを観るたびに吐き気がする。
そういった、素晴らしい愛情を子供に注げる親がこの世の全てでは決してないし、
そうじゃない親や人間も多数いるからこそ、事件が起こり不幸な人も存在する。
それは、悲しいことだが事実であり、ごく少数ということでもない。
ともかく、個性や才能同様、持って生まれた愛情の量は人それぞれ違うと思うということ。