「道」がつくものが好き! | マーケッター&歴史研究家 三佳の言いたい放題!

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個人的なこと含めて、ご興味持ってもらえるとうれしいです。

最近、昔からの仕事の戦友に誘われ、「杖道」なるものを体験してきました。

まず、「道」がつくものには引かれてしまう私。

歴史好きも関係してくるのだが、茶道もちょっと違うけど武士道も

華道も合気道も。

そこには、歴史もあるし日本固有の物がほとんどだし、

そこはかとなく、そして凛とした美しさや潔さがある気がする。


茶道もそうだが、型があり、動きの流れの美しさがあり

そこに精神や心を込めなければそれらを表現・体現できないような気がしている。


最近サボり気味の茶道の私のお師匠様はかなりお歳をめした

大御所の方なのだが、とにかく美しい!

しぐさ、動き、お手前の所作、お話の仕方全てが素敵すぎます。


話を戻して「杖道」

いわゆる私の大好きな格闘技のひとつ。

大刀と戦う時に杖を使い、相対することが基本となっているみたいなのだが

杖なのでもちろん「刃」がない。

6つほど型を習ったが意外と楽しいし、とても考えられている。

奥が深すぎる。全ての型が体にしみ込んで自然に動けるようになったら

どんなにかカッコ良いだろう。


ただ、大昔合気道をかじったことのある私はある同じ理由で

深くは入り込めない気がする。

それは、試合・組み手など相対することがないということ。

合気道を辞めた理由もそうだ。

級や段をとる時に入門している期間、道場に通った数

そして、昇級試験は全てデモンストレーション。

相手をしてくれる方がいて、「では次にこの技をしてみて」と言われ

お相手が技によってだが、右手を出してそこを握って技をみせて

綺麗にできたら合格!みたいな。

そんな感じがイマイチだめなのだ。


何を極めるにしても時間はかかるし、努力は大切。

でも人それぞれ身体能力やセンスなど持っているものは

全然違うのにみんな扱いは同じ。早くできるようになっても

他の人より全然向いていても関係ないのだ。


そういったいつの頃からか出来あがったシステムは

あまり好きではない。


戦国時代以降、刀を持った士族が道場に通って

全く上達しないのに永いこといたからといって

師範代などになったなんて聞いたことがない。


例えば新撰組で有名な沖田総司だって、一番若いのに

4代目襲名が決まっていた近藤さんより、15、6歳で神社奉納の際

近藤さんより前に名前があったという史実もあるし、

27歳で死去しているのに天然理心流と北辰一刀流の免許皆伝だったと

墓石には記されている。


努力と勉強、気合いに心構え・心持、これらがもっと評価されても

いいと思う今日この頃である。


ただ、これは私の勝手な好みの問題であって、

日本古来の物、伝統などの素晴らしいものが美しいということは

変わらない真実であると思う。