『二宮翁夜話』からMIKするーその233「飢饉を村人全員で立ち向かう」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

問題意識の教材化(MIK)ブログ

今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。


今日の一日一読は「〔233〕飢民救助の実施方法」でした。今回の内容は尊徳が具体的に直面した飢饉にどう立ち向かったかが書かれていました。尊徳は600カ所の村を救ったと言われているので、さぞ素晴らしい救助方法が書かれているかと思いましたが、実際の中身は相当シビアなものだったことが伺えます。

尊徳は飢饉に直面した村人たちがそれぞれの立場・状況において自ら飢饉に立ち向かうようにしていました。そのために村人を区分して、元気に働ける人とそうではない人に分類して、それぞれがどうするべきかを具体的にアドバイスしていました。興味深いのは、働けない病人や老人にも「あなたのできることをしてほしい」と呼びかけていたことです。例に出ていたのは、限られた食糧をさらに制限して、誤解を恐れずにいえば、死なない程度で我慢し続けるようにしていました。定期的な食事の機会を保証して、餓死に至らないようにするやり方です。そして、飢饉が過ぎて、新しい食糧が手に入ったら、たらふく食えるようにするからと声かけていたのです。

他方、元気で働ける人たちには、飢饉で農作業ができない分、他にすることがあると尊徳はアドバイスしていました。
「道や橋を修理すること、用水排水の堀をさらえること、溜池を掘ること、水防の堤を修理すること、肥えた土を掘り出して下田・下畑に入れること、あぜの曲がったのをまっすぐにし、狭い田を合わせて大きくすることなど、その土地土地によってよく工夫すれば、仕事はいくらでもあるはずだ。」(303ページ)

これらの仕事をした人に対してお金を払うことで、なんとか飢えを凌ぐように尊徳はしていました。ここで重要なのは、助けようとし過ぎると、助ける側の財力次第で止まってしまう恐れがあることです(参照:その223)。

そこで尊徳が考えた策はこれです。
「わが手に十円の金を損して、向こうに五十円・六十円の金を得させ、こちらで百円の金を損して、あちらで四百円・五百円の利益を得させ、その上その村里に永遠の幸福をのこし、美名をものこす道」(304ページ)があると。

この道は「恵んで費えないばかりでない、少し恵んで大利益を生ずる良法なのだ」(同上)と言います。尊徳一人が無理をして村人たちを救うのではなく、それぞれが主人公となっていけるやり方をしていた点が何よりも重要だと思います。