『二宮翁夜話』からMIKするーその223「無利息金は慈善活動ではない」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今日の一日一読は「〔223〕無利息金の妙用」でした。今回は二宮尊徳の無利息金による村おこしについて深めることができました。無利息金を困窮者に貸し付けるというと、真っ先に慈善活動をイメージされるかもしれません。

しかし、尊徳は困窮者だけを助けたいわけではありません。お金を貸す方にも喜ばれるものを目指していました。無利息金の貸付はいくらかしても利息はもらえないわけですから、貸せば貸すほど、貸した側の財力が減るだけです。当然、財力が途絶えれば、活動は止まってしまいます。

そこで尊徳は無利息金貸付の方法を工夫します。この夜話ではその特徴を二つ言っています。一つは論語でいう「恵んで費えず」という道で、無利息金を通じて恩恵は与えるが費用はかけないということです。もう一つは同じく論語でいう「欲して貪らず」という道で、欲張らずにガツガツしないという意味です。

この二つの重要な点は、貸した側が借りた側のことを想い、借りた側が貸した側のことを想うことです。このことは以前に書いたその170を見直して気づきました。その時のブログを読んでいただければわかりますが、私は読んだ瞬間には尊徳の真意を分かっていませんでした。しかし、今日の夜話でようやく合点がいきました。

さらに、これまでの夜話で無利息金に触れている部分を見てみると、その時は読み飛ばしていて大事な部分に気づけていないものがありました。

その101では、貸方借方の両全には触れられていたのですが、先を見通すことの大事さの理解が浅かったです。尊徳がこのことを触れる前に次のことを書いています。

「私がこの法〔無利息金貸付の道〕を立てたいわれは、世間で金銀を貸した者が、催促を尽してから裁判を願い出て、それでも取れない時になって無利息年賦とするのが通常だが、この筋合いを貸さないうちから見通して、この法を立てたのだ。それでも不十分なので、無利息何年置据(おきすえ)貸しという法まで立ててある。これまでにしなければ、国を興し世を潤すに足らないからだ。」(142ページ)

ここでは、貸した側が先を見通すことをすれば、無利息の方が余計な費用をかけずに済むことを論理的に説明されています。貸した側が借りた側のことを想うだけではなく、自分のことを想うこともできるのです。尊徳における無利息金は本当に奥深いものだということに気づかされました。