あれから4年 忘れてはいけないこと
どうか二度とこんな悲しい日が訪れることがありませんように・・
1年と30年と25,000回と
さて、5月も今日で終わり。時に追い立てられるような月日の早さに、走ってみたりふぅっと立ち止ってみたり。そんなことをしているうちに・・・
瞳が緑になってしまうのではないかと本気で心配してしまいそうになるほど、どこに視線を移しても萌え出た緑が眩しい季節が里山にまた巡ってきて、いろんな動物や人が来て、そうして四季を過ごしたことになるわけで。あれから1年。
そしてあの日も・・・若葉に風薫るとか、雲ひとつない五月晴れだとか、きっとそんなスピーチの始まりの言葉を、私はといえばその日を迎える準備やら何やらで衣装合わせの時より一回り痩せたせいで、お辞儀をするたびに日本髪のカツラが落っこちるのではないかとハラハラしたり、その重さにクラクラしたりしながら、その日の朝にトレードマークの髭をきれいさっぱり剃り落とした、見たことのない男の人と・・・今となってはとても照れくさい金屏風の前で聞いていた。あれから30年。
緑を愛でているうちに、へばりつくような湿度の苦手な夏がやってきて(昔はそんなことなかったのに)、身も心もお腹も充たされる秋にホッとしているうちに、気付くと1年の終わりがどど~んと押し寄せてきて、あれよあれよという間に新年を迎え、雪遊びをしているうちにじわりと春がやってきて・・・。
食べては遊んで寝て、食べては仕事して寝て・・・仕事の比率こそ変わったものの、そうやって30回同じ季節を夫とともに生きてきたのだな、とふと思う。
考えたこともなかったけれど、何食同じものを食べてきたのかと計算してみたならば、自営業ゆえの一緒の昼食やら近年の生活形態も考慮したうえでも、少なくとも25,000食(笑)
1年と30年と25,000回に、ほおっと息をついているうちにまた暑い夏がやって来る。
3年が過ぎました
今朝、庭に小さな春を見つけました。
2月の2度の大雪でつい先日まで庭一面雪に覆われていたのに、知らないうちに春は忍び寄っていたようで・・・
雪どけ跡にむっくりと蕗の薹。
うれしくなって目を凝らすと、水仙の葉もあちらこちらでツンツンと存在主張。
けなげな姿に力をもらいました。
あの大地震から3年が過ぎました。
本当にいろんなことがあったなぁと思います。
今年の3.11は少しばかりのお手伝いに出向いた東松島市の仮設住宅前でその時をむかえましたが、
3年経っても依然仮の暮らしが続いている方々がいること
原発事故の被災者にいたっては故郷に帰ることもままならず今なお葛藤の日々が続いていること・・・
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、いろんな思いで手を合わせました。
先日、南相馬から仙台に避難を続けている友人がポロリとこぼした言葉が耳に残ります。
「地元に帰ると、なんだか見えない壁を感じる・・・」と。
考え悩み下したそれぞれの決断は尊重されるべきだと思うけれど、感情はまた別の生き物。
3年が経ち、あわあわとした日々が過ぎての、これがありのままの現実でもある気がします。
大地震からは3年が過ぎたけれど、原発被災地においては廃炉になるまで震災は続くのだろうと思います。
とりたてて意識していたわけではないけれど、自然に囲まれた暮らしに目が向いたのはそんなこともあるのかなと思ってみたり。
大好きなクリスマスローズの花芽に小さな幸せを感じる3度目の春を迎えています。