私はもともと英語の教師です。今でも大学で非常勤として英語を教えています。ですから、「ことば」には少しこだわりがあります。

英文科の大学生の頃、Graded Direct Method 英語教授法研究会のニューズレターの編集をしていたことがあります。会員の方々に原稿の依頼をしたり、その頃はコンピューターはありませんでしたから、原稿を切り貼りしてニューズレターにしていました。自分で原稿を書いてもいました。よく大学生ごときにそんなことをさせていたものです。教授たちは指導するのが大変だっだろうと思います。

その頃、恩師の一人の片桐ユズル氏には多くのことを教えていただきました。

Graded Direct Methodというのは外国語の教授法なのですが、英語でいうとBasic Englishという850語でできている英語を教えます。頻度で選ばれているのではなく、使い勝手のよさが850語の単語を選んである理由なのです。これはユズルさんがよく使っていた説明方法ですが、鉛筆削りは鉛筆しか削れません。鉛筆は美しく、簡単に削ることができて便利ですが。チーズスライサーはチーズはすばらしくスライスできますが、チーズしかスライスできません。

しかし小刀は、鉛筆も削れますし、チーズもスライスできます。リンゴも、紙も、髪も、布も切ることができます。あまり簡単に上手にはできないかもしれませんが。

Basic Englishは小刀のようなことばです。いろんなものを切ることができる道具です。私達が外国語を学習する時には小刀のような単語を覚えた方が便利でわかりやすいだろうということです。鉛筆削りのような単語を覚えるとしたら、どれほど多くの単語を覚えなくてはいけないでしょうか。

どうしてこんなことを書いているかというと、「私には知的なブログが書けない」という人がいるので、「知的なことば」「知的なコンテンツとは」ということを話しているうちに、私のことばについての基本的考えを明確にしておこうと思ったのです。

日本語も専門用語を使うと便利に言い表すことができるかもしれません。専門家同士の会話、文章としては細かいことを説明しなくてもよいのは便利です。

漢字がたくさん使われていると、なんとなく「知的」と感じるらしいのです。専門用語は漢字が使われていることが多いですよね。

あるワークショップで、「りついの時には...?」という質問をボディワーカーから受けたことがありました。私は頭の中で「りつい」を「立位」に変換して「ああ、立っている時には....」と聞いているのかと考えました。そのワークショップは専門家のためのワークショップではありませんでした。また専門家も相手にしているのは一般の方々です。

専門家であればあるほど、誰でも知っているコトバで説明できる方ことが重要だと私は考えています。
東日本大震災/東北地方太平洋沖地震で亡くなられな方々に心からご冥福を申し上げます。また、被災された方、そのご家族・関係者の皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。

この震災のために 心を深く痛めている方、 身心の疲労を感じられている方、
また過去のトラウマなどに疲労されている方へ。

日時: 3月20日(日) 13:00~17:00

会場: ドーンセンター 中会議室2

無料です。



大阪のアレクサンダー・テクニークの学校 ボディ・チャンスの呼び掛けに賛同した関西のアレクサンダー教師たち、アレクサンダーアライアンス・ジャパン、京都校、大阪校の教師、トレーニング生達が
によって、大阪・天満橋のドーンセンターで、開催されます。

もちろん、新海みどりも参加いたします。

どなたでも、どうぞご参加下さい。
今日、ツイッターでこのようなつぶやきを見つけました。

「 この数日、テレビに目が釘付けになってしまい、あまりの無力感で正直何もする気が起きませんでしたが、恥ずかしながら父から送られて来たこちらのリンクで目が覚めました。僕らでもできる事って何かあるはず。考えなきゃ。 #prayforjapan   http://t.co/z4F7d6X」

http://t.co/z4F7d6X

多くの私達がこの方と同じように過ごしていらっしゃるかもしれません。私もそうですが。

このサイトを読むと感動で涙がでてきました。そして希望をもってものごとを考えることができるようになりました。

私は地震が起きた時は京都でクラスの真っ最中でした。私達は揺れに気づきませんでした。京都でも揺れに気づいた方はいらっしゃったので、場所によって異なるのでしょう。

そして遅れて参加した方が4時30分頃にいらっしゃいました。いつものように、「今日はどんな感じですか。何を課題にしたいですか」と聞くと、「関東の方で地震が起きたのですが、東京の弟と連絡がとれないので不安で!」と泣きながらお話になりました。そして私達はテレビをつけてみました。そうすると、テレビの中の映像は津波で街が流されている状況でした。

それを見ていた私達の首が縮み、固くなってきました。そして胴体が前のめりになり、まるで画面の中にいるかのような悲惨な気落ちになってくるのでした。不安で何もできなくなるような気持ちでした。

そこで首が楽になっていって、胴体が起き上がってくるようになってくるようなワークをしました。そうすると、「今、ここにいる」のであって、「あの画面の中にいるのではない」ことが感じられました。

そうすると、悲しんでばかりいたり、不安になってばかりいるのではなく、または怒ってばかりいるのではなく、落ち着いてきました。そしてテレビの中で起こっていることを知覚して、そこの人々に共感することができるようになりました。

「首を固くして、胴体が前のめり」になると、自分がまっただ中にいると共感ではなく、同調してしまいます。同調すると、ただ無力感にうちひしがれてしまします。恐らく人の気持ちや状況に共感することと、同調することとは異なることなのではないかと私は思います。

昨日のカルチャーセンターのクラスで生徒の方々がおっしゃったことは、「今、起きていることを見ないことにしてしまいたい」「自分の悲しい気持ちにふたをしてしまいたい」「今、楽しいことをしたいと思っても罪悪感を感じてしまう」「怖い」「不安」「阪神大震災の時のことを思い出して苦しい」「何かしなくっちゃ!」など。

レッスンで首が楽になって、自分自身全体を思い出し、足が床についていることを思い出すワークをしました。そして自分の周りの空間を思い出してみると、空間を思い出すことがサポートになって自分自身を取り戻し

そうすると、自分の苦しい気持ち、怒り、不安、悲しみを見つめることができてきました。そして「私は今、何をすべきか」ということが頭に浮かんできたのでした。

それは前屈みになって、「何かしなくっちゃ!」「何かをすべきだ!」というのとは異なる感覚だったとある方がおっしゃっていました。

3月20日(日)大阪で関西に住むアレクサンダーテクニーク教師が集まって、ボランティアセッションを行います。

身体と心の疲れを解放し、自分自身に向かい合い、安心して「今、ここにいる」という感覚をもつ時間にしたいと思います。多くの方々とそのような時間を持てることを楽しみにしています。

詳細はまたお知らせいたします。




 I am here.

私が「ことばとからだ」ということを考え始めたのは、‘75年、初めてGraded Direct Method 英語教授法の御殿場のセミナーに参加したときのことでした。

竹内敏晴氏が教えるワークショップで、「皆さんは、英語ということばとアクションと状況を使って、“I am here.”ということばの意味と使い方を教えていますが、皆さんは自分がちっとも”I am here”(今、ここのいる)ではない。それでは生徒はI am here.の意味がわからないでしょう! 」と話されました。
竹内敏晴さんは『ことばが劈(ひら)かれるとき』という本を書かれた方で、「からだとことばのレッスン」と呼ばれる独特の演劇トレーニングの仕方を開発された方です。

私はこの時、竹内さんが何を言っているのか、全くわからなかったのですが、とにかく非常に重要なこと、今まで私が考えてもこなかったことを話しているということだけはわかりました。

ことばは意味を伝えるから、わかると思っていたのです。確かにGDM英語教授法では、教師が英語で、ある状況の中で言うことばから、何を言っているかを生徒は類推します。

I am here.ということを言っているとわかるためには、ことば以外にも何かが必要なのかという疑問がわいてきました。「からだ」って何と思い始めたのです。初めて、「ことばとからだ」または「ことばと自分の存在の仕方」、「ことばと自分の使い方」を初めて考えた瞬間でした。