アイデンティティの狭間でその②家族の在り方編 | ベトナムから大阪に逆進出:ベトナムのタマヌオイル、ハーブティー、精油

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現在は日本日本帰国をしてベトナムのプロダクトを日本で展開中です

こんにちは。


身体は割と大丈夫になってきた矢先。


子供が一週間近く熱を出して…看病してやっと治ったらと思ったら次は私達が掛かりましてね…。


夫婦共に撃沈しました。


まあ…治療法は置いておいて。


そのせいなのか夫婦共に2週間近く頭が酔った状態みたいなフラフラが続いていてどれだけ厄介なものを持ち込んでくれたんだか…


これも私の場合は多分、患ってる病気の症状の一環もあると思うんですがホントに体の至る所に多種多様な症状が出るので厄介なもんです。





さて…今回は前回の話からの続きでベトナムの時と家族の在り方が少し変わってきたと言いますか。


まあ…洋服やスーパーの買い物とかは相変わらず一緒に行くので相変わらず仲が良いとは割と言われますが。


距離感は役割が多少、変わったので最初は慣れなかったのですが今はまた普通になりました。


どちらかと言うと子供の事に関してですかね。



これは国が変わったと言うよりも年齢的なモノもあるのかもしれませんしあちらでは任せきりだったのがいざ、自分が向き合うようになってから考えさせられる事が多いです。


私が子供に対して今、あれこれやっているのは思い直してみるとベトナム時代の罪滅ぼしみたいなものです。


あちらの時はあちらの時で年齢も小さかったし色んな自然や体験なども含めてお金では得られない様々な体験はさせてあげられたとは思います。


ただ…私は私の夢の為に子供の未来をすり潰してまで夢ばかりを追い掛けるわけにはいかない。


ベトナムに子供の未来が無いと言う訳では無いんですがあまりにもベトナムに特化しすぎていた為、何か合った時に1つしか選択肢がないのは避けたかったのです。 


それまではそういう考えは無かったのですがベトナムのコロナ地獄絵図でその認識を完全に改めました。


あそこで日本に戻るつもりが無かった人も考えを変えた人は多数、居たと思います。



だから、国を移して日本で最低限の生活の素養が出来るまではサポートはやる。


義務教育が終わってから再びベトナムで学びたいとなったら別にそれはそれで良い。


あちらに居た時はあれはあれで良いとは思っていましたし今の日本の教育の全てが正しいとは思ってはいません。


ただ、高度化していく社会において素養を身に着ける基礎としての日本の教育は平等性においても色んな福祉体制においては社会的弱者救済的な意味では私達の立場的にはかなり助けられています。


私が今、そこを重点的にやっているのも私の2年と子供の2年では全く意味合いが違いますし私は取り返しがつく事も子供には取り返しがつかないパターンに陥ると思ったからです。


それくらいに去年味わった文化の違いの根深さについては苦しみ深く考えさせられました。


だから最初の1年から2年くらいは私が全面的に様々な事に対応しつつ慣れる所までは徹底的にサポートに徹しようとやりました。


それがこれからは日本でしばらくはより良く生きていく為の未来への準備と土壌がやっと整った…って状態です。


子供には今は自分の幼少期にこんなサービスや福祉があれば使いたかった…みたいな事を率先してやってると言う感じですかね?


それに対しては本人も楽しんでいますし気分転換にもなってるみたいです。


ちなみに勉強面では


2年の3学期から入って(※それまではほぼ無勉強)いつの間にか4年生の算数に追いついていたみいで…。


皆が3年掛けてやってきたのを1年と3ヶ月位で追い付くとは正直、思ってなかったです…。


正直、今の段階で2桁の足し算引き算と九九くらい定着したら満点くらいに考えていたんですが。


しかし、分数や割り算や3桁×3桁の掛け算まで来ていてこっちが「…え?嘘でしょ?」ってなったし先生に引き継ぎとか確認してさせてる?って聞きましたがあっちも驚いていたらしいです。


ちなみに私は塾にやったりなどもしてませんしひたすら学校の宿題の反復のみです。


まあ…本人も初めての日本生活でしかもぶっつけ本番で何も知らない大阪の地に来てた訳ですからね。


そこで無理矢理、詰め込もうとしても潰れてしまう事になりかねなかったので…。



そういう事もありあのタイミングで戻ったのは私達にとってはあれよりも早くても遅くても難しかったギリギリで追い付けるここしか無いタイミングで戻れたようです。



話は変わって夫婦間もベトナムの時は離れる事が無いくらいにずっと四六時中、一緒に居たから最初は寂しかったのですが…。


今はとにかく日本の面倒くさい手続き等、日本の嫌な部分を私が全て受け持ってサポートする事。


子供の国籍や福祉関係やビザ関係もそうですね。

それに付随して色んな税金などは外国人であるが故に紐づけが上手くされていないのを税務署に行ってやったりなど…ですね。


偏った食事などではなくある程度の纏まった栄養が取れる食事であったり…。


まだ、完全に動けない私が出来ること…それは多分、外国人関係でも私しかわからない塩梅など。


本来なら税理士や行政書士に依頼する次元ですが私はそれを地力でやる事でより情報を得ていく。


私が今、考えて出来ることをやってサポートする。


それが異国から家族を連れてきた私がより日本に適合して生きる術。


それが私なりの家族への愛情ですかね。


最近はベトナムとは違った形で互いを支え合うみたいな言わば、日本式の家族の形が出来上がってきたのかな?


なんか、ベトナムの時は自分が気負ってやらないと…って感じだったので特に親族関係でかなりわがまま放題されて本気でキレたりはありましたが…。


今の方が互いに穏やかに過ごせているとは思います。


そういう意味で感情の起伏も無くなっていってるのかもですね。



こんな感じなので自己実現みたいなものには然程、興味が無いと言いますか…。


と言うよりもそれよりも今は優先度が高いものがあるからそちらにベクトルが向いてないのも大きいです。


まあ、やるならやるでキッチリビジネス面でも考えはしますけどね…それは次回にでも。


今までがこういう事すら考えられないほどズタボロだったのでやっとらしくなってきたのかなとは自分でも思いますね。