アイデンティティの狭間でその①内面編 | ベトナムから大阪に逆進出:ベトナムのタマヌオイル、ハーブティー、精油

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ベトナム、ホーチミンでタマヌ天然ハーブ、生薬を使用した化粧品作り&販売をしている人のブログ。オーガニック、天然、自然派の石鹸、化粧水、乳液、クリームなど。

現在は日本日本帰国をしてベトナムのプロダクトを日本で展開中です

こんにちは。


先日、ドタバタでしたがなんとか気持ちを落ち着けて…。


少しずつ、日本に対してやっと俯瞰的に考えられるようになってきたのかな?


という気はします。

まあ、私は根っからの研究者気質みたいなのでやっと色んな状況が落ち着きつつある昨今、色々と昔と今を比較してどうだったのかなどを洗い出して居るんですが…。



少なくとも病んではいないからその点は多分、あの過酷な環境下での経験が精神を強靭にしたのかなとは思ってます。


私の内面心情を。


まあ…うーん…。


ベトナムの時はあれはあれで1つの形で成立してたものですしむしろ、ベトナムの環境は規制などが無い分だけ、本能的になれると言うか…今よりも感情の起伏もかなり激しかったです。


あれは間違いなく自分の内面を表していたしあの時は「これが本来の自分」って思ってたんです。


日本では帰国当初にそういう部分にフィルタを貼って行かないと成立しない感覚が本当に拒絶感が酷くてですね…。


折角、異国に出てさらけ出しても受け止めてくれる人を見つけて家庭も出来たのにまたなんで昔みたいに戻らないといけないのか…と思っていたんですけど。


ただ以前に日本を


「言葉と文化が分かる異国」


と表現した事がありましたがこれがやっと心から腑に落ちまして。


以前はベトナムに行く前は本能を全開にする機会も無かったからそれを経験して踏まえて日本に戻った自分は違うしそれは決して、日本しか知らなかった時に戻るわけではない。


ただ、処世術としてある程度は合わせないと行けない部分がありますが。


でも過去は変わらないし


日本しか知らなかった独身の自分


ベトナムので家族が出来た自分


今、ベトナムを知って日本に帰って家族が居る自分


どれも間違いなく自分であると言う事です。


彷徨っていた私のアイデンティティが日本の生活を経てやっと再確立しつつあります。


それと国が変わってインプットが変わってデザインそのものも変質するかもって書いたこれ自体も拒絶の対象だったんですよ。


実際にIllustratorを動かしてデザインをまた見返している時に手が動かなかった…今は少しずつ、動くようになっていますが。


これがMIDORIをやること自体に自分が拒否反応を示していたと勘違いしてましたがそういう訳ではなくて…。


日本に合わせないといけないベトナムの事を忘れないといけたいみたいにMIDORIを連動させて無意識に考えて動かそうとしてた時にメンタル的な葛藤から動いてなかったんだなって…。


デザインや表現物ってやってるとこういう内面が物凄くダイレクトに出るのでそれを辿ると分かりやすいですね。


その辺りの感覚が今、やって噛み合って来たと言いますか…どの時代も自分なので過度に美化したり卑下したりしない。


自分であることには変わりない。


なら、両方を経て再び、日本に戻った今の自分にしか出来ない事もあるのではないか?


と言うのは今までの苦悩も相まって、最近やっと腑に落ちました。


多分、アイデンティティの部分での整合性と言う部分が現地で完全にあちらに寄せていた分だけ反動も大きかったんでしょうね。


これは多分、あちらで生活しててもいずれは日本に戻る前提だった人にはピンと来ないと思います。


とにかくこのズレと言うか噛み合わなさと言うか…これが気持ち悪くてでも説明もできないし言語化も出来ないでずーっと、モヤモヤしてたんです。


まあ、こんな事をいちいち考えてるから変人と思われてるのは自覚していますし普通の人とは噛み合わないのも理解していますけどね。


どこか子供の事などや病気の事にも必死過ぎて自分に無理に言い聞かせようとしてたのかもです。


でもね…出来ないものは出来ないんです。


ベトナムから帰ってきた人達は多分、会った時に自分に何処か違和感を感じていたとは思いますがそれもあちらでは見せていなかったそもそもあちらでは見せる必要の無かった面をこちらでは見せているだけって事ですね。


きっとその環境に応じた振る舞いや性格などがあって私はそれを出来るだけ人よりもよりその住んだ国に最適化するように行動してるのが一面しか知らない人には違和感に映ったりする。


多分、これは家族すら感じていることだと思います…なぜなら、ベトナムの時の自分しか知らないから。


多分、それだけの事なんだと思います。


環境に対応する適応力の高さと言うのは高ければ高いほど良いと言うわけではなく…それが最適化する動きが強ければ強い程、こうした弊害も生じるのだなと言う新しい発見でした。