『風間公親-教場0-』:強迫性障害のシーンを見てしまって、苦しむ。 | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる



おそらくドラマにしやすいのだろう?

おそらく事件解決の理由にしやすいのだろう?

 

しかし、その病気を抱えた者としては、シーンを見た瞬間、胸が苦しくなった。

 

5月29日に放送された木村拓哉さん主演の『風間公親-教場0-』。

冒頭で、小池徹平さんがドアの鍵をかけたかどうかを、3回確認する。それも降りかけた階段を戻って。

このシーンで、「あぁ、今回は強迫性障害を抱えた人間が犯人で、きっと事件解決には、確認せずにはいられない行動が使われる」と思った。

 

見ることを辞めようと思ったが、罹患してすでに30年。

最悪の症状を抱えた時期は過ぎ、この先も付き合って生きることを覚悟した今、敢えて自分に課した。このドラマを見よう。覚悟して見よう。どう描かれるかも含めて確認しよう、と思った。

10年前なら、冒頭のシーンで発作を起こしていただろう。

 

今でも、こんなに苦しいのだから。

それでも、同じ病を抱える人のために書いておきたい。

 

この脚本はどういう経緯で作られたのだろうか?

病を抱えた人の気持ちはどこに持っていけばいいのだろうか?

 

以下、ネタバレ含みます。

 

テレビのリモコンの電池を変えるシーンで、「あぁ、ここだ」と思った。

録画をしたものを見ていたので、指紋消してないよね、と戻して確認した。

通常、録画したドラマや映画を見ていて、戻して確認することは多い。←これも症状なんでしょう。私には日常になっているけれど。

 

ゴミ箱のチェックも、以前の自分を見るようだった。

ゴミの収集日に、袋に入れたゴミをすべて出して確認していた頃(今は克服できた)。

 

確認せずにいられず、事件現場に戻る。

それを刑事に、先読みされている。

 

病気を事件解決に使われた。

脚本としては有りだろう。海外のドラマでも、強迫性障害は事件モノで描かれる。

 

今だから見ることができた。

今だから、敢えてチャレンジした。

だけど、きつかった。

だけど、いつ偶発的にそういう場面に目にするかもしれない。

その時、自分がフリーズしないように。

日々、自分を鍛えることも必要。

 

薬を飲んでいれば、日常生活は送れる。

ただ長期の外出時は、変わらず。

 

それでも生きていくと決めた。

この病気で死ぬことはなけれど、この病気が原因で自ら命を絶つことはある。

 

しかし、症状は人それぞれ。誰にも知られず・知らせず生きている方も多い。

私は、20年以上、言葉にすることもできなかったが、6年ほど前からやっと言葉にできるようになった。

そして、伝えようと思った。

それは、このブログのカテゴリ「生きづらい日々」に記した。

このブログもそのカテゴリに入れる。

 

見てしまった。いや敢えて見た。

そして、今、見てしまったことで、苦しんでいる方がいないことを祈る。

 

こんな風に書けるんだから、平気なんじゃ、と思われる方も多いと思う。

そう、私はここまでこれた。30年かけて。そういう厄介な病気。

ネットでは、『風間公親-教場0-』は別のネタで盛り上がっている。きっとそれが普通です。