本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる
広報ウーマンネットという広報・PRの女性のコミュニティを運営しています。
人と会っているときは、悩みのないような爛漫さですが、
実は、ずっと心療内科にお世話になっています。
そんな日々を20年以上経って書くことができました。
カテゴリの「生きづらい日々」に書いています。
今は、「本当に笑いたい時だけ笑えばいい」をテーマに書いています。

 

こんにちは。September。

 

夏休みが終わり、2学期が始まる。今では、夏休みの期間も地域によってかなり違うけれど。

そして、今年は世界の状況で、違う(いや、新たな)夏になっているけれど。

そして、気象状況は年々変わり、私たちにとってこの場所がいるべき場所かを考えてしまうこともあるけれど。

 

“真夏のピークが去った 気象予報士が言ってた”

で始まる、「若者のすべて」が、教科書に掲載される。

 

●米津玄師「Lemon」フジファブリック「若者のすべて」が高校用音楽の教科書に歌唱教材として掲載

https://natalie.mu/music/news/443174

 

 

フジファブリック 若者のすべて 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 

2007年にリリースされたこの曲の歌詞にある“世界の約束”にいろんな意味を感じている。

発売時であれば、それはおそらく大人になるために通るべき道のようなものを考えたかもしれない。

 

でも今は、若者だけが知る“世界の約束”がたくさんあり、

大人たちには理解できない、これからを生きる若者たちが積極的に知ろうとする“世界の約束”。

 

良き歌詞には余白があって、聴き手の想像で広がる世界がある。

今日、改めてこの曲を聴き、余白の意味を時間の経過と環境の変化で感じている。

 

“世界の約束を知って それなりになって また戻って”

ここに込められた思いは何か?

今、この曲を聴く人が、この部分の感じることは何か?

 

 

この歌詞は、テレビなどでは流れない 2A。

ただ、個人的には、2Aが持つ意味はとても大きく、私自身、作詞家としての自分を「2Aの女」と呼ぶくらい、

ここに込める思いはいつも深い。

 

志村正彦さんが込めた思いとは違うかもしれないけれど、

今、私が感じていることは、14年が経って、歳を重ねて、すでに若者でもないからこそ、思う余白かもしれない。

 

 

 

 

 



昨年末から、常に柑橘類を手元にの日々が続いています。身体が求めているのかな。

 

毎日書き続けた「広報気になるニュース」。最近は、月に数回しかかけていません。

 

 

自分でも理由が分からなかったのですが、最近、やっと分かりました。

時間の問題でも、やる気の問題でもなく、それはただニュースサイトを見るのが嫌になった。

司法以外の制裁を見ることに嫌悪を感じたからでした。

 

自分が求めていない微妙な記事を見てしまうことで、自分が安くなっていくことへの恐怖でした。

広報担当者は、ニュースを日々チェックすることが仕事のひとつですが、今のネットには読むべきでない記事が多いと感じることも。

 

そういう記事が生まれる理由のひとつにはネットライターへの報酬の安さもあるのでしょう。

1記事200円とか。

ちゃんと調べて書かなくなるよね。それを繰り返してライターと名乗っていると、ライターでなくなるよね。と思います。

 

ネットが発達する前は、調べものは書籍。以前、書籍の編集アシスタントをしたときは、都内5つくらいの図書館のカードを作って、本を探し回って、ライターさんに渡していました。

 

 

私が自分で調べて書く記事は、できるだけ出処が公的なもの(基本省庁)の数字を使うようにしています。それがネットに上がっていることには感謝しています。

取材記事でない分、自己責任がありますが、いつのまにかそっちに流れてきました。

 

そして、そういう経験をしていたら、ネットに散乱するニュースやSNSでの匿名の言葉に息苦しさを感じるようになっていました。

特に、最近は本当に同じ内容のモノばかりが繰り返され、ニュースサイトを見るのが嫌になってしまって。

 

もし、広報気になるニュースを再度始めるなら、リリースから拾おうと思っています。

ただ、そうなると毎日は無理。

リリースの数は半端なく、また意味あるリリースを探すのも指南の技。

チラシリリースに埋もれた真のリリースにたどり着くのに時間がかかる。

だから媒体は、安全と思われる有名企業のことを記事にする。

 

リリースから紹介したいものを探しまくるその時間もきっと無駄ではなく、反面教師になるのだろうけど、今はそれよりやることが。

その作業で得られるのは、こういうリリースは残念ながら記者には響きません、の目。でも、それはけっこうもうあるからな。

 

あと気になるのは、ネット上の記事はすでに執筆ルールがあるようでなく、誰かが間違った(もしかしてそれがネット媒体のルールかもしれないけれど)ルールを教えているようで、個人的には残念に思っています。

 

 

誰もが自分の媒体やSNSで発信するようになり、ファクトを調べず乗っかるのは本当に怖いことと感じています。

そして、無記名でコメントしたり意見したりする方は、そこでしか自分を表現できない残念な方とおっしゃる方もいるように、責任の所在が不明すぎる。

 

自分ができているか、というと完璧です、なんて言えないけれど、やってはいけないこと、自分はしないことは分かっている。

そして、このネット世界では「思っても言わない」ことも大切だと思っている。

そのせいで、書けなくなったこともたくさんあります。

 

5~6年ほど前に、「デジタルタトゥー」という歌詞を書きました。

レコーディングしてCD-Rでだけ販売したので、少数の方は持っているかも。

これは10代の子のために書いたものですが、あの頃より「デジタルタトゥー」は」広がり、今ここに書いていることも、投稿ボタンと押した瞬間に消えないものになります。

 

それをこんなに簡単に書いてよいのかな、とも。

 

私の周りには、一切SNSをやらない友人も多く、それは今を正しく生きるひとつかもしれない、と思っています。

自分の在り方や生き方に合わせて、使うものを選ぶのは当たり前のこと。

そして、ファクトを知らずに誰かの言葉に乗っかるのは、間違っていたときに同罪になること。

 

何を言っても何をやっても、何を言わなくても何をやらなくても、何か言われる今をどう生きるか、考えて動けなくなりそうです。



7年半前に放送された番組が、HDDに残っていた。

それは、2014年1月26日に放送された『情熱大陸』:SEKAI NO OWARI

 

たぶん録画しただけで見ていなかったのではないか、と。
見ていたら、たぶん彼らの曲を聴いていたと思うから。

彼らの曲をちゃんと聴いたのは、それから7年経った昨年、あるインタビューを読んでから。
たぶん、いろんな形で聴いてはいたけれど、Fukaseさんの10代のことを知ったのは去年のこと。
それを知って、ファンタジーの理由が分かって。

 

 

なぜ録画したのかも覚えていないけれど、

一時期、仕事柄、情熱大陸は毎週録画していたからかも。

それともアーティストだったからか。

 

ひとつ理由があるとしたら、2013年5月に自分のブログ“はやり歌なら、これ聴いてみ!”で、

彼らの「RPG」について勝手なこと書いている。

このブログは、アーティストについては調べずに歌詞からだけ書いていたもの。

すっかり更新は止まっております。

 

第250号「RPG」SEKAI NO OWARI

 

実は、このときはじめてSEKAI NO OWARIの歌詞をちゃんと読んだんだと思う。
ただ、この曲だけです。

そして、この歌詞をしばらくずっと素晴らしいと思い続けていて、もちろん今も思っている。

ただ、解釈は変わった。

たぶん、SEKAI NO OWARI (もともとは、「世界の終わり」)というバンド名は、ずっと気になっていた。

理由は簡単。私にはかなり頻繁にやってくる「この世の終わり」があったから。それは、今も続いている。

ただ、お酒を飲まなくなって回数は減った。アルコールで逃げるつもりが、「この世の終わり」状態を増やしていたことが今ならわかる。

 

私は、小学生の時にいじめにあった以外は、24歳くらいまでわりと健やかに育ったと思っている。

心の病については、自分の身近に見ていたので理解はしていた。だからこそ自分は大丈夫だと思っていた。

それが壊れたのが23歳とか24歳とか25歳の頃。初めて病院に行ったのは、1994年だった。
ギリギリ繋いでいた糸が切れたように、日常がなくなった。もうすべてを消すしかないと思った。

ただ、なんとか戻ってこれた。でも、薬は手放せない。

 


テレビで録画したものを見るたびに目にしていたのに、ずっと選ばなかったアイコンを今日押したのはなぜだろう?

今、必要だったのかな。この番組で語られている7年半前の彼らの言葉が。

 

誰もが状況は違えど、何かに恐れながら生きていること。

 

書きながら、何を書きたいか分からなくなってきたけれど、

正常な形もなく、崩壊の状態も分からない今、安心をもらった30分だった。

このままHDDに保存しておこう。

 

だめだ、文章も崩壊している。

 

備忘録。

 

 

 

2021年の夏は、将来どう語られるのだろうか?

誇れる夏になるのは難しそうだ。

 

2022年の夏も、マスクをしているのだろうか?

2023年の夏は?

 

ビビりの私は、積極的外出をせず暮らす日々に、ある意味慣れてしまい、

何が自分にとっての心地良さかさえ、分からなくなってしまった。

 

外食が好きなわけでもなく、

スポーツ観戦には興味がなく、

映画館にもいかない。

ライブは仕事関連のみ。

 

でも、以前はもっと出かけていた。

それはSuicaが教えてくれる。

チャージする金額が激減してますから。

 

外出したら、お風呂かシャワールールも1年半を超え、

それもあって、外出はまとめて。

いや、必要最小限。

 

もっと普通にすれば、言われることもあるけれど、

普通って何? と思ったり。

コロナ禍で私たちがそれぞれに持たなくてはならなくなった「自分で決める」ということを、ただしているだけ。

 

コロナ禍前から、いろんなことを自分で決めてきたから、なんら変わらないけれど、

気になるのは、これまで自分で決めていなかった人が、自分で決められない人に、良い人ぶってアドバイスすること。

それが同調圧力になってる。

 

できないことはするな!

それが、思うこと。

 

人の言葉を自分の意見のようにするな!

これも思うこと。

 

そして、アフターコロナなんてあるのかさえ疑問だけど、

元の生活なんてなくて、日常は変わっていくのだろう。

もちろん、元に戻る部分はあるけれど、それでも変えた生活が心地良い人は戻らないわけだし。

 

覚えてしまった良くないことを辞められない人もいるだろう。

 

習慣とは変わるもの。

心地よさも変わるもの。

“元”に戻りたくない人もいる。

それは自由だ。

 

個人的には、一人鎖国の夏になりそう。

これは自分の意思であり、希望。

 

オンライン取材だけで、外出をしない日。

もともと通勤は週2回。コロナ禍でも変わらない日々。

ただ、マスクの夏はつらい。

 

そして、経費(交通費)を見ると以前は、意外と外出していたことに気づく。

足腰が心配なので、バイトしたりで、なんとか身体動かして。

 

梅雨明けした関東地方。

湿気からの真夏日。

エアコンをつけるとちょっと寒い?

エアコンをつけないと汗かいてる?

そんな自宅生活。

 

そして、出勤の日は、額に玉の汗。

マジ「なんだこりゃ」です。

前に立つと測定される体温計があり、チェックすると、

36.8が平熱の私なのに、35.9や36.1。

まぁ、こういうものは誤差があるものだし、発熱はしていないの確認。

それにしても、汗かきすぎってくらい汗が出る。

 

で、あれ? これ更年期? って思ったけれど、

話してみたら、男性もけっこうな発汗している方がいて、マスクのせい?

と思ったり。

 

体温調整に大切な身体の機能。

長年、身体が調整してくれていたものに急な変化が加わって、身体も「おいおい」状態なのが分かる。

2021年の夏。どう乗り切るか。

 

精密な身体と繊細な精神を、どうケアするか。

 

そして、心のために、発動させる「ま、いっか」。

逃げではなくて、自分を守るための「ま、いっか」。

これがないと、崩壊の恐れ。