武夷山の仙人の巻
今日は、中国の武夷山に行った時の話をしましょうか。
武夷山は最近、流行の中国茶の発祥地です。
特に「大紅袍(ターホンパオ)」というお茶が有名だから皆さんも雑誌などで見たことでしょう。
そこは福建省の北部にあって、かつては日本→香港→福州→武夷山と行きました。
最近は武夷山に空港ができたので、北京か香港で乗り換えると、すぐに着きますね。
武夷山は広くて、大王峯地区、天峰地区、水廉洞地区、それに玉女峯地区に分かています。
その景色は本当に凄いの一言で、西遊記の孫悟空が暴れた世界みたいなんです。
例えば天峰地区では、高さ100メートルもあろうかという巨大な石柱が大地の中から天に向けて突き出しているのです。しかもその巨大な石柱が三本です。もしも、この地球に引力がなければ恐らくは成層圏にまで届いたであろうという勢いです。
この写真の三本の巨石は、ハシゴで上がれます。
その頂上にも、龍穴があるのです。
名付けて「嘯天蝋燭」。
…漢字が難しすぎます。まぁ、天に向かって聳えるロウソク岩、ということです。
ハシゴの途中から見た向こうの山…
こんな写真を撮るのは怖かったですねー

さて、私が初めて武夷山に行ったのは、25、6年も前だったかな・・・
ここは今でこそ世界遺産に認定されてしまって、すごい人の数ですが、かつては土曜、日曜以外は観光客がいないガラガラの状態でした。
当時は日本のガイドブックにも武夷山の案内がなくて、私も知らなかったのでした。
私は重慶の友達に誘われて行ったのが、そのキッカケです。
武夷山。
ここはまさしく、武の山、夷の山で、武は文字通り激しい荒いという意味で、夷は悦ぶ、平らか、それに耳では聞こえない不思議なものという意味があります。まあ、そんな字がぴったりと当てはまる雄大で静かで不思議な山です。
さて、話は全然変わるのですが、今回は中国の仙人の紹介を主旨としていますから、「封神演義」と言う本について少し説明しま〜す。
「封神演義」は中国・明の時代に許仲琳という人が書いた書物で、中国の古代国家の殷王朝の暴君であった紂王を、文王と姜子牙、それに西遊記の中にも出てくるナタ太子と二郎真君という神々が力を合わせて倒し、新しい時代と国家を造っていくという物語なのです。
当時は紂王のように欲張った人間もいたのでしょうが、他の人は純粋だったので、まだ神々や仙人と人間が一緒に生活し、お互いが交流していたという時代だったそうです。
その途中、戦いで亡くなった仙人や人間の魂が、封神台というところでその功を認められて神さまに昇格していく、ということから封神演義という題がついていて、伝承されています。
それで、武夷山はそんな物語に出てきそうな不思議と神秘さをたたえた山なのです。
そして何よりも、この山は道(タオ)の聖地として有名になった山でもあります。中国道教というと、皆さん、よく分からないだろうけど、簡単に言うと、この世の中ができたのも、一つの法則があってできあがり、今こうして皆がおいしいお茶を飲んでいられるのも、実を言うと、雨が降ってお茶の木が育ち、大地の養分を吸って大きくなり、そして人がそれを採って茶葉に加工した、と。
その間には大きな自然の流れがあるでしょう、と。
それで木などの自然のものは、勝手に育っているようで、その勝手に育つようになっている大きな力、それを“道(タオ)”と呼んでいて、全てのものは、この大きな力の元に生まれ育ち、そして死を迎え循環しているでしょう、という教えの事です 
昔の人たちは、こういう神秘な山の中に入って、その宇宙の法則とも言える道の駅(タオ)を掴もうとしたのです。
それで、そういう山の中に入って修行している人を「道士・どうし」と呼びます。
皆さんには家族があり、また仕事をしたり学校に行ったりして、いつもいろいろな形で人と人との関わりを持っています。それは人間社会にとっては自然なことです。そしてその中にきちんとあなたのポジションがあります。そのことに気付かずに、ポジションが無いように思っている人もいるかもしれませんが必ずあります。
私なんかはいてもいなくても同じだということではなくて、あなたの人生が続く限り、人生の中のポジションはきちんとあるのです。
これを見つけていくこと、気付くこと、それがすなわち“道”(タオ)につながっていきます。
この世の中に、縦線と横線で織り込まれていく大きな大きな運命の中の糸の一本を見つけていくことなんですね。
お問い合わせは、下記までにどうぞ!
avalokitasvara2021@gmail.com