朝、コンビニでプレイボーイの表紙を見たら「水道全開」と書いてあった。
「水道全開」って何?
で、よく見たら「水着全開」だった。
もうアイドルの水着なんてあんまり興味ないから見間違えたんだなあって思った。
人はこうして枯れていくのだと思った。


仕事で、隣の席の同僚が書いた文章を読んでいたら「ヒヤリング」って書いていたので、「ヒアリングだろ?hearingのどこにもヤなんて出てこないし、発音もしないじゃん。」なんて話していたんだけど。
でも、ちょっと考えてみたら、earingだってどこにもヤなんて出てこないのに「イヤリング」だし「ハッピー・ニュー・イヤー」も「イアー」じゃないもんな。
ヒヤリングで正解なんだなあって思った。
どうでもいいことだけど。


中島らもの「ガダラの豚Ⅰ~Ⅲ」(集英社文庫)を読み終わった。
2巻は呪いについて。3巻目はケニヤの呪術師との対決って感じなんだけど。


ガダラの豚2

ガダラの豚3

今から15年前ほどに書かれた本なので、笑いのセンスが古い。
手を叩いて大爆笑したという設定の話が、今では全然面白くなくて「センスのない奴らだなあ」と思う。
それからあまりにご都合主義で、大事な場面になると、アフリカの呪術師が日本語を話し始めるってのもなんだかなあ、って感じだった。
それでも、もう少し(2割くらい)短くしてラストを変えれば、まとまった本になったのになあ。
ラストのテレビ局でのドタバタぶりには、こんなこと、あるわけねえだろって、もうあきれながら読んでいた。

ただ主人公の高校生の息子が大麻を吸っているのを見たときの主人公の「こんなものはタバコよりも害がない」という発言とか、独房の描写、それから主人公がアル中だったりする点にはなかなか深いものを感じた。


シーナ&ザ・ロケッツの「ロックン・ロール・ハート2」が手に入りませんと、今頃になってアマゾンからメールが来たので、中古で申し込んだら、すぐに届いた。


ロックンロールハート2

シーナ&ロケッツ

シーナの声って昔から荒れているけど、でもやっぱいいなあって思った。
僕はシーナの歌う「この道」(作詞 北原白秋)が好きで、なんとか合唱団で子供が歌っている奴よりずっと好きだ。
「この道」それから「イヤリング」この2曲が聴きたくて今回も買ったのだ。
久しぶりに聴くと「ノンノン人形」もいいなあ。


ついでに以前から聴きたかった外道のアルバム「ベスト外道」も買った。
伝説のロックバンドだけど、こっちは期待したほどじゃなかったなあ。
でも、あの時代にこれだけのことをしたことについては、尊敬してます。本当に。


日曜日の昼に、松本にあるキュイジーヌ・トビラに行ったら、串焼きの店に変わっていて驚いた。
夜のメニューも見せてもらったんだけど、イベリコ豚とかのメニューも、もうなくなっていて、本当に居酒屋になっちゃったんだ、と少しさびしい気がした。


スペインの作家フリオ・リャマサーレスの「黄色い雨」(ソニーマガジンズ)も読み終わった。
ニコール・キッドマンの「アザーズ」やブルース・ウィリスの「シックス・センス」はこの本からヒントを得ているんではないかと、僕はそんな風に思った。


いろいろと心に残る作品だったけれど、僕は特に「私たちが知らないだけで、木は生きている。感情もあれば、痛みも感じる。斧が肉に食い込むと、苦痛のあまり身をよじるが、そのせいで筋が入ったり、瘤ができたりする。…しかし、木々は下弦の月の夜は眠っている。熟睡している間に急死する人のように、その時なら木々は自分が斧で切られていることに気づかない。そうして切った材木は、処理が細かく、つるつるしていて、カビや白アリに侵されることはない…」という文章が印象深かった。


それから、解説に載っていた、作者の神戸牛に対するコメントとして「スペインでは人間が牛に、マッサージするなんて考えられないし、その情景を思い浮かべると、おかしくて、おかしくてたまらないんだ」という発言にも親近感が湧いた。


もう少しでクリスマス。
子供の頃はクリスマスっていうと教会に行って、賛美歌を歌ってシスターたちと一緒に「世界には恵まれないたくさんの人達がいます。その人たちが安心して暮らせるように祈りましょう。『主よ、私達の祈りを聞き入れてください』」なんてお祈りしたりしていたんだけど。


でも今の僕にはまったく関係がない(どっちかっていうと、恵まれない人に近いのかも)ので、サンタの格好をしてピザを配っているバイトの兄ちゃんとか見ると、笑えるし、クリスマスって行事の空しさを強調されているようで哀しくも思ったりする。

仕事にようやく一段落が着いた。


水曜日には誘われるままにスナックに飲みに行き、2時間ほどいた。
僕はカウンターの端に座っていた。
隣の席に座ったおじさんはカウンターの中にいる女の子を隣に座らせては、足などを触って怒られる、ということをくり返していた。


僕は、ときどき女の子と話をしたりもしたけど、多くの時間、ぼおっとしていた。
仕事のことをあれこれ考えると、あれもまだしていない、これもまだだったなどと頭が痛い。
いろいろと考えるのが面倒になって、ビールや焼酎を飲みながら、ただカラオケの画面を眺めていた。


お薦めの曲のなかに「ランブル・フィッシュ」というのがあった。
どんな曲なのか知らないけれど、その曲名を見ながら、僕は高校の授業をサボって、マコトくんの家で見た、マット・ディロンの映画「ランブル・フィッシュ」を思い出していた。


ランブルフィッシュ1


ランブルフィッシュ3


監督はコッポラ。モノクロの映画で、兄貴の役をミッキー・ロークが演じている。
あのときはマット・ディロンもミッキー・ロークも光っていた。
単純に憧れた。
今となっては、何もかも、遠い思い出だ。


12月になって店は混雑している。
僕の友達はチーママに出世したらしい。
でも出世するばかりがいいわけでもないという。
ときどき隣に来ては「昼も仕事をしているから、つらい」とこぼしていた。


残業時間が短くなった。
9時頃には仕事が終わり、自由な時間が多くなったはずなんだけど、まだ実感があまり湧かない。
時間ができたら英語の勉強も、と思っていたのだけど、思っているだけでなかなか進まない。
久しぶりにまるまる週末が空いたので、大掃除でもしよう、などと思っていたんだけど、くだらない買い物ばかりしていて、ほとんど手つかずのままだ。


中島らもの「ガダラの豚1~3」(集英社文庫)を読み始めた。ようやく1巻目を読み終わったところだ。


ガダラの豚1

呪術、宗教と手品について。1巻目は、まだそんなところだ。
多少、冗長なところがあってダレるけれど、なかなか面白い。もう1割くらい短くすれば、テンポがいいストーリーになったように思う。
2巻目はまだ手に入れていないけれど、手に入り次第、読み始めたい。


メリル・ストリープの映画「プラダを着た悪魔」をDVDで観た。


プラダを着た悪魔

アン・ハサウェイがダサイはずのセーターを着ているのを見ても「かわいい」と思ってしまう僕には、あまりなじみのないファッションの世界の物語だ。
出てくる女性は皆、細い人ばかり。
「炭水化物を食べている」人間は私達とは人種が違うと、この映画に出てくるモデルたちは思っているのだろう。


昔はメリル・ストリープの映画をうんざりするくらい観た。
最近はケビン・ベーコンと共演した「激流」で観たくらいだ。
そのときも「あの年でこんなに身体を鍛えるなんてすごいな」って思ったんだけど、今度の映画も、「悪魔」役を実に魅力的に演じている。
ストーリーが今ひとつなので薦めないけれど、いい映画ではある。
姪に仕事の厳しさを教えるために、送ってやろうかと思った。


今はフリオ・リャマサーレス(スペイン)の「黄色い雨」(ソニー・マガジンズ)も読んでいる。


黄色い雨

アイニェーリェという過疎の村に、たった一人で住んでいる男の物語だ。


昔は多くの人がいたその村から、人が次々と去っていき、最後に彼と妻が残る。
でも、その妻も希望を見失って自殺し、彼だけが住んでいるのだ。
毒蛇に噛まれて死にそうになったり、多くの亡霊たちと彼は暮らす。
今読んでいるのは、彼の家に家族の亡霊が数多く現れて、皆で食事を取っているところだ。
恐怖のあまり、彼は家を逃げ出し、朝がくるのをじっと待つのだ。


まだ前半だけだから何とも言えないけれど、この本には圧倒的な孤独が描かれている。
そして「孤独」と「狂気」はとても仲がいいことが今さらながらよくわかる。


人の内面にはいろいろな世界がある。
誰もいない村でテレビやラジオもなく、本も読まずに一人で暮らしていたら、その内面世界との戦いになる。
内なる狂気が表に出てきそうになる。
この本は、その過程を丁寧に描いている。


黄色い雨は、村に秋に降りつもるポプラの落ち葉であり、主人公の記憶そのものでもある。
読みながら、僕の頭のなかでも黄色のポプラの葉が降りしきるイメージがずっとしていた。


この本を読むたびにRADIOHEADの「KID A」が聴きたくなる。
そして思う。
「孤独」の末の「狂気」には美しい面もあるよな、と。

月曜日に埼玉まで日帰りの出張に行った。
いろいろとあって疲れ果てていたけど、職場に戻って10時過ぎまで仕事をして帰った。


翌日の火曜日も埼玉まで日帰りの出張に行かなくてはならなかった。


朝6時30分頃に起きて、シャワーを浴びているときにふと「昨日、出張に行ったときにはファイルが重くて大変だったけれど、今日は軽くていいなあ」なんて思っていた。
「でも、なんで今日はファイルが軽いんだっけ?」


ちょっと考えてみて、持って行かなくてはならないファイルを職場に置きっぱなしだったことに気づいた。
同じ目的で出張に行くのだから、火曜日だけファイルが軽いなんてことはありえないのだ。


シャワーを浴びながらいろんな選択肢を考えた。
ファイルなしでも何とかならないかとか、自家用車で職場にファイルを取りに行って駐車場に車を駐めておくとか。


でもファイルなしではやはりうまくいかないし、駐車場の問題や、職場までの道路の車線制限(朝はバスとタクシーしか走れないレーンがあって、一般車は必ず大渋滞する)とかを考えて、タクシーに乗って職場に行き、ファイルを持って駅まで急ぐってことにした。


着替えをしながらタクシー会社に電話をし、7時に迎えに来てくれるように頼む。

家の近くまで来たタクシーに乗り、職場まで行ってもらう。
「間抜けな話だよな。」
タクシーに乗って、窓から外を見ながら思う。


職場に着いてファイルを見つけると、それを持って長野駅まで歩いた。
新幹線は7時55分発だった。
「ファイルはやっぱり重いなあ」と思った。


疲れるけど埼玉への出張は、帰りに新幹線のなかで寝られるのがいい(行きは寝過ごさないためと、後々のために仕事をしていることが多い)。
ただ長野駅まで戻ったときに、「このまま家に帰ってしまいたい」という思いに悩まされるけれど…。


週末も仕事をしていた。残業代も出ないのに。
何が楽しくて生きているのか、客観的な目で自分を見ると不思議な気分になる。


金曜日の夜、家に帰ると乙種第4類危険物取扱者の試験結果が届いていた。
人事調書の締め切りが間近だったので、調書上では勝手に「合格した」ことにしていた。
今さら落ちるわけにもいかない。


ちょっと緊張しながら結果を見ると、合格していてほっとした。
正答率は法令(100%)、物理・化学(90%)、性質・消火(100%)だった。
次は乙種第1類~3類を受けて、その次に乙種5類と6類を受けて、来年には乙種すべての免状を取得するつもりだ。


こうの史代の「夕凪の街 桜の国」(双葉社)というマンガを読んだ。


夕凪の街

戦時中、広島の原爆の被害にあった女性の物語だ。


自分が幸せになりそうになると、あのとき見殺しにした多くの人のことを思い出して、幸せになることができない。
そんな優しく、まっとうな女性が、でも最後には自分自身も死んでしまう。
「嬉しい?十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」
「ひどいなあ てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思っていたのに」


原爆というと「原爆は悪い」という当たり前の主張を声高に叫ぶ人が多くて、聞いている側がぐったりと疲れるものだが、このマンガは静かに語りかけてくる。
そして、読者自身の心の中から「原爆はひどいな」という思いがわき上がってくる。
映画化もしたらしい。いつか観てみたい。


こうの史代の「街角花だより」(双葉社)も読んだ。


街角花だより

こちらはマンガの途中に入っているカットの絵がタッチや構図も含めて素晴らしく、そのカットだけは見る価値があるが、ストーリーは凡庸で(かなりひどい部類に入るかもしれない)人にはすすめられない。


週末にRADIOHEADの「KID A」を聴いた。


KID A

RADIOHEADを聴くのは初めてだったが、素晴らしくいい。
カラオケで歌えるようなロックではない。
何が「いい」のか僕はうまく表現できないけれど、自分のなかに昔からあって、自分が聴くべきだった音楽に出会ったような感じがする。


RADIOHEADのほかのアルバムも聴いてみたい。

世間では3連休だったようだが、僕は結局、土曜日しか休めなかった。
金曜日も仕事をして、今日の日曜日も朝8時45分から4時15分まで仕事をしていた。それでもまだ終わらない。
今日もこれからまだ仕事の続きを家でやる。
本当につまらない人生を生きているなあ、と思う。


土曜日だけは休日だったので、前から観たかった「ROCKY THE FINAL」をDVDで観た。
スタローンは今回も監督・脚本を担当している。


ロッキーザファイナル

登場人物が、当たり前だけど皆すっかり老けてしまい、ドラマも昔を懐かしむシーンが多い。
老境の寂しさと、それを克服していく男の物語、とも言える。
ロッキー4の頃から、スタローンは「華やかな舞台から降りざるを得ないスポーツ選手の哀しみ」をテーマのひとつにしているように思う。


トレーニング・シーンの最後には、ロッキーの原点であるフィラデルフィア美術館の階段を駆け上るシーンが使われている。
昔のような若々しさはなく、階段を駆け上がる姿にも痛々しさを感じる。


それでも、ロッキーの試合のシーンには感動をした。
打たれても立ち上がる、最初のロッキーに戻ったような展開で、思わず涙がこぼれた。


ロッキーは人に薦めるような映画じゃないし、スタローンの脚本はワンパターンでドラマ部分ははっきり言ってだれるけれど、でもこの試合は観る価値があると思った。
俺もロッキーの息子だったら、仕事を辞めてセコンドに付くのになあ、なんて思ったりもした。


土曜日には岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」(新潮新書)も読んだ。
1年間で50キロ痩せた男が書いた本だ。


いつまでもデブと思うなよ

要は、食べたものと飲んだものをいつも記録しろ。記録したら、カロリーー計算もしろ。
それから、1日のカロリーを決めてそれ以上は食べないようにしろ。
っていうことなんだけど。


本としては底が浅く、さっき書いてあることがまた書いてあるというサービスもあり何度もゴミ箱に放り込みそうになった。
我慢して最後まで読んだけど、本当に読むべきページは2ページくらい。
本当に時間の無駄だった。
貴重な俺の休日を返せって言いたい。


冬の長野は、青空が少なくて、それだけで気分が暗くなる。
暖房の効かない職場で震えながら仕事をしていると、コンピュータを使う指先がしびれてくる。
提出された書類をまとめていたら「不測の事態が生じた」という文がすべて「不足の事態が生じた」という誤変換になっていて、それこそ「不測の事態」になった。
明日、出張先にまとめて提出しなくてはならないのに。
全部「置換」して作り直しかあ。
冬は小さなミスでも、本当に気分が暗くなる。


i-podで中島みゆきの「冬を待つ季節」を何度もくり返して聴く。
いい曲なんだよなあ。


みんな去ってしまった

「冬を待つ季節」


おまえがいなくなった後も
春は くり返してる
花はおまえが咲かせたわけじゃないと
言いたがっている


もう知らん顔して
歩き出す時なのに
春夏秋は 冬を待つ季節
春夏秋は 冬を待つ季節


おまえがいなくなった後も
夏は くり返してる
別れは夏の冗談だと
思い込みたがっている


おまえの姿埋もれさせて
秋は 降りつもってる
すべて私が隠せるわと
自慢げに降りしきる


おまえが消えちまった後も
時は くり返してる
おまえのための俺じゃないと
うそぶいて 過ぎていく


もう知らん顔して
歩き出す時なのに
春夏秋は 冬を待つ季節
春夏秋は 冬を待つ季節

「5℃のアルコール50gと10℃の水100gを混合したら、何度になるか?なお、アルコールの比熱を3J/g・℃、水の比熱を4J/g・℃とする。」


乙四の試験勉強で、こんな問題を通勤途中のバスのなかで解いていた。
5℃のアルコールと10℃の水を混ぜるんだから、答えは必ず5℃と10℃の間の数値になるはずっていうのは、僕でもわかる。


ところが全然、解けない。変化する温度をXとして計算したら、36℃または-21℃なんて爆裂な数値が出てくる。
もしかしたら、と思ってもっと単純に、水と水を混ぜ合わせた問題にしてみる。


「5℃の水50gと10℃の水100gを混合したら、何度になるか?」


やはり、こんな単純な問題でも解けない。
5℃または10℃なんて答えになってしまう。
バスのなかでの時間はあっという間に過ぎる。
俺、本当に数学のセンスないんだなあ、とため息が出る。
これが本番の試験だったら、とっくに時間切れだ。


それから、よーく考えて、変化する温度ではなくて、求める温度をX℃として計算することにした。
5℃の水50gがX℃になるとしたら、増えるカロリーは(X-5)℃*50g。
10℃の水100gがX℃になるんだから、減るカロリーは(10-X)℃*100g。
これがイコールだから、と方程式にしてまともに8.3℃と解けたのは昼休みだった。


こんな1次方程式なんて中学1年生レベルだよなあ。
なんでこんなに時間がかかるんだよ、俺…。
情けなくなってくる。


仕事は相変わらず、バカみたいに忙しく、足の引っ張り合いのような非生産的な話し合いを毎日延々と数時間する。
当然、毎日残業だ。
話し合いのために人に頼んだり自分で作った書類で、あっという間に6センチのドッチファイルがいっぱいになっていくのを空しい気持ちで眺める。


胃が重くなるような懸案事項を渡されて、気が沈む。
窓からの景色を眺めながら「めんどくせえなあ。」とつい本音を吐いてしまう。
書き直すべき複数のエクセルの表が頭に浮かぶ。
説明をしなければならない相手の顔も浮かぶ。
本当にめんどくさい。


そんな感じではあったが、夜、あまり寝ないで勉強したので金曜日の夜までには一応、「これで合格/徹底解説ガイド 乙4危険物取扱者」「らくらく合格 乙四危険物取扱者」(どちらも有紀書房)「乙種第4種危険物取扱者模擬テスト」(弘文社)の3冊を読み終わった。


これで合格乙4

らくらく合格乙4

模擬テスト乙4

この時点で、正答率6割(合格ライン)ならクリアできるような気がしていた。
学生時代ならこの時点でやめなんだけど、最近はそこからまた勉強するようにしている。
もう年なので、落ちていたりしたら立ち直れないからだ。


土曜日の朝から、2巡目をスタートする。
今度は読むだけでなく、できなかった問題に付箋を貼っていく。


ガソリンを急速に流すと静電気が発生し、放電によって爆発の可能性があるとか、自転車のオイルとかはなかなか燃えないけど、燃え出すと高温で、消火液をかけても一瞬で蒸発してしまって、ガソリンよりも消しづらいとか、いろいろと勉強になる試験ではあった。


何が燃えているのか、よくわからないときに、適当な消化器を持ってきて消火しようとすると、かえって危ないこともよくわかった。
アルコールや油が燃えているときに、水や強化液の入った消化器で勢いよく消そうとしたら、たぶん、火事はもっとひどいことになる。
意外だけど、何が燃えているのかよくわからなかったら、消火には乾燥した砂をかけるのが、一番安全だ。


土曜日の夜0時過ぎに、3冊の問題集をやり終えて、ほとんど全ての付箋をはがすことができたので、ふらつきながらコンビニに夕食を買いに行く。
ずっと部屋にこもって遮光の窓も開けずに勉強をしていたので、どんな天気なのかもわからずに1日を過ごしていた。
エレベーターに乗ったら、鏡に疲れ果てた自分の顔が映って「ひどいもんだな」と思った。


翌朝は8時に起きた。
試験会場まで車に乗っていく。
ロッキー4のサントラをかけて「トレイニング・モンタージュ」の曲を何度も繰り返して聴いた。


ロッキー4

試験会場には、工業高校(?)の若い男たちが多くいて、でもなんだか少し真面目そうで、その辺りが俺の世代とは少し違うところだった。
係員の「早く席に座りなさい」という声に、素直に従っているのを見て、いい子たちなんだなあ、と思った。
俺達が高校生の頃はこうではなかった。思い出したくもないが。


試験では、例の「5℃の水50gと10℃の水100gを混合したら、何度になるか?」という問題が、ほぼ同じ内容で出たので笑ってしまった。
もちろん今回はすぐに解けた。


2時間の試験だったが、拘束時間である最初の35分の間に、全部の問題を2巡してほとんど見直すことができた。
手も足も出ない問題が2問ほどあったけれど、たぶん受かっていると思う。


試験からの帰りにコンビニで以前から観たかった「BABEL」のDVDを買って帰り、ビールを飲みながら観た。


バベル

たった数分間のクラブ(踊る方)のシーンで、今までいった六本木や銀座や渋谷のクラブがよみがえってきた。
撮り方がうまいのだ。嘘がない。本当にこのカメラマンは経験をしていると思った。
あの高揚感、開放感、そして同時に感じる哀しさや、空しさも。
同様にサンディエゴやメキシコ、砂漠の思い出もよみがえってきた。


「BABEL」のような映画を観ると、今、自分がいかに狭い世界で働いているのか改めて認識させられる。
この映画には子供を除いて、完璧な人間は登場しない。
だからこそのリアリティがある。
世の中はいい人ばかりじゃないし、いい人だって悪いことをするものなのだ。
人に薦めるような映画じゃないし、思いっきり気分も暗くなるけど、いい映画だと思う。


仕事を持ち帰ってきたけれど、全くやる気が湧かない。
身体の芯が疲れているような気がする。


そしてたぶん、それは気のせいだけじゃない。

人は強いストレスを感じると、不合理な行動をするものだ。
あ、ごめん。人は、じゃなくて俺は、だった。


今週ももうバカみたいに忙しくて、毎晩、残業続きだった。
週末は職場には行かないことにしたので、全ての仕事道具を家に持ち帰ってきた。
そろそろ、乙四(乙種第4類危険物取扱者)の勉強もしないとやばいかな?なんて思ったので、職場に行く時間を惜しんだのだ。
来週がもうその試験なんだけど…。


金曜日の夜、明日は寝坊ができるから、とネット麻雀をしたりしていたら、午前3時になってしまった。


そして土曜日に試験勉強を始めたら、難しくてパニックになった。


こんなもん軽く解けるだろうって思って、いきなり問題集から始めたのが失敗だった。
全然わからない。
第4類のなかに、石油等の類が第1石油類など7種類あるのだが、ほかにも6種類の類があってその違いが全然、分からなくて、ああもうダメだ、と思った。
どうやっても解けないや、って思った。
今、冷静になって考えると、上位概念と下位概念を同じ「類」って呼ぶルールもおかしいし混同するのも当たり前だとは思うけど。


そしてパニックになった僕は、「もう、時間がない。どうしよう。」などと考えながらプレステでモノポリーを始めて、それを延々と6時間もやっていた。
昔はモノポリーが得意で、機械相手だったら楽勝だったのに、久しぶりにやったらなぜか勝てなくてつい熱中してしまった。


ようやく勝ち方を思い出して勝てるようになってきた頃、猛烈な自己嫌悪に襲われて、「俺はいったい何をやってるんだ」と頭を抱えた。
仕事も勉強も1ミリも進んでいない。


パスタを作ってバレーボール(全然、好きなスポーツじゃないのに。でも面白かった)を見ながら食べて、その後、またネット麻雀をして、そうやって貴重な土曜日を消費した。


寝ながら、明日はきっと勉強するよ、俺も。って思った。
仕事もしなくちゃなって思った。


そして日曜日、朝からラーメンを作って食べて、ベッドに寝ころんだまま問題集を解く。
ふと気づくと問題集を持ったまま寝ている。


午後の4時くらいに勉強をやめて、シャワーを浴びて出かける準備をする。
今日は県民文化会館で、劇団四季のミュージカル「エビータ」を観るのだ。


エビータ


なぜ、このミュージカルを観ることになったのか、僕も今ひとつよくわからないんだけど(しかも一人で)。
いろいろあって仕方がなかったのだ。


ミュージカルを観て、久しぶりに役者を観たって感じがしたなあ。
メインで男の人がストーリーを歌っていくんだけど、どっから出てるんですか?っていうくらいの声量で、素晴らしかった。
男を踏み台にしてのし上がっていく女の物語だけど、(映画で演じた)マドンナ向きのドラマであることは間違いない。


まわりからは、あっという間の2時間だったって声が聞こえていた。
俺は、途中で何度も眠りそうになって(未だに、なんでセリフを歌うのか、根本的なことがよくわかってない)、長かったなあって思ったんだけど、たぶん少数意見なんだろう。


ラーメンを食べて帰ってきたのが10時過ぎ。
結局、何一つとして仕事は進まず、勉強は目標の半分程度までしか進まなかった。
何やってるんだよ、俺。
すっごく貴重な週末だったのに。もう終わってしまった。


試験、どうするんだよ。俺…。


でも悔やんでも仕方がない。明日からの僕に期待したい。

今週の平日はずっと夜11時過ぎまで残業していた。
唯一、金曜日だけは9時に帰ることができた。
無理矢理帰って、残りは土曜日にすることにしたのだ。
いつまでこんなことが続くのかと、まだ始まったばかりなのに、そう思う。


土曜日は疲れ果てていて朝11時過ぎまで寝ていて、それからシャワーを浴びてすぐに仕事に行った。


僕より先に仕事に来ている同僚といろいろと話をする。
実に不出来な提出書類を前に、俺達も一気にやる気を失う。
「工事の着工よりも、完成予定日が前ってどういうことなんだよ。」
「なんで、全部の書類の必須項目が空欄なんだ?」
全部訂正をしてから、一覧をまとめる。
「こんな仕事、一生続けるなんて絶対嫌だよ。」
「こういう仕事が向いている人間、必ずいるのになんで向いていない俺達がやっているんだ?」
出てくる言葉は愚痴ばかり。
暖房の効かない職場は寒くて、またあの嫌な冬が来るなあ、と思った。


うんざりした気持ちのまま帰ってきた。
食事をして、バレーボールを見て、それから以前から読もうと思っていた古川日出男の「ベルカ、吠えないのか?」(文藝春秋)を読み始めた。


ベルカ吠えないのか

読み始めたらなかなか寝られなくなって、午前3時過ぎまで読んでいた。
読み終わって、いつか結婚したら実家でのんびりと犬を飼って暮らそう、と思った。
優秀な犬には僕は小さな頃からの憧れがある。


「ベルカ、吠えないのか?」では犬(主に軍用犬)の側から見た、20世紀が描かれている。
アリューシャン列島で日本軍に置き去りにされた4頭の犬から物語が始まる。
その犬たちが、そしてその子孫たちがどんな運命を辿ったのか。
優秀な犬だからこそ、彼らは他の犬とは違う運命を歩み、血を繋げ、そして死んでいく。
ある犬は「アラスカの犬橇大会」で伝説の犬となり、ある犬は「ベトナム戦争」へ、ある犬は「メキシコでマフィアの番犬」に、ある犬は「ハワイ」に、そしてある犬は「シベリア」へ…。


スプートニクに乗ったライカ犬の話のくだりでは、以前読んだレイダル・イェンソンの「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」を思い出した(やたら映画が褒められているけど、映画は美少女のサガ以外の魅力が俺にはさっぱり。この原作は素晴らしい)。


マイライフアズアドッグ1

マイライフアズアドッグ

「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」では、主人公の少年、イングマルが「人工衛星に乗せられて死んだライカ犬よりはぼくの方が幸せ」と自分に言い聞かせてつらい現実に耐えるのだが、「ベルカ、吠えないのか?」でも多くの犬が、このライカ犬の宇宙からの視線を感じて夜空を見上げる。


この犬のことを思うと、僕はいつもシンとした思いになる。
「ベルカ、吠えないのか?」を読みながら、この軍用犬たちのなかから選ばれた1匹なんてよほど優秀な犬だったんだろうな、と思ってますます尊敬した。
物語に登場してくるヤクザの嬢がキャラクターとして気に入った。
本当に信頼できる女はこういう女だよな、と思った。
あっという間に、俺は殺されるだろうけど。


日曜日の朝、近藤ようこのマンガ「水鏡綺譚」(青林工藝舎)も読んだ。


水鏡奇譚

面白さと不思議さを兼ね備えた本で、読んでいて「俺、こういうマンガが読みたかったんだよなあ」って何度も思った。
この人のマンガはいつも手を抜かないストーリーで面白いんだけど、ヒットがない。
たぶん、ハッピー・エンドにしないせいだ。
ハッピー・エンドにしてしまうと、読者の心にまで響いていた苦しみや哀しみが、「もう終わったんだ」という満足感とともに消えてしまうようなことが確かにある。
この人の作品はよく練ってあるし、無駄がなくて面白い。
こういうマンガがもっと売れるようになればいいのにって思った。


物語は立派な人になろうと修行しているワタルが鏡子という魂を抜かれた不思議な女の子と出会うことから始まる。
鏡子の魂を見つけるために旅を続けるうちに、ワタルはその鏡子がだんだんと好きになってくる。
でも鏡子が魂を見つけたとき、彼女はワタルのことをすべて忘れてしまう。
その運命をわかっていてもワタルは旅を続け、命懸けで鏡子を守り、妖怪や悪い人間たちをやっつける。


日曜日はその後、昼寝ばかりして過ごした。
僕の高校のラグビー部が県大会の決勝戦をするので、応援に行こうかとも思ったんだけど、友達にも知り合いにも全員に断られて、面倒になって行くのをやめてしまった。


今日はこれから英語の勉強と乙四の試験勉強をする。
簡単だと思っていた試験も、いざ迫ってくると難しく感じられる。
何よりまったく勉強してないことが問題だ。
そろそろ本気で始めないと、マジで落ちてしまうかもしれない。

金曜日の夜、東京の丸ビルでジェニファーと会った。
もう2年か3年ぶりだった。
雨の中、新丸ビルまで歩いて行って、軽く食事をしながら飲んだ。


東京の街でジェニファーのような美人と一緒に食事をして、しかも僕と会ったことをすごく喜んでくれているのをみると、幸せな気分になる。

何度も夢じゃないかと思った。


昔の仲間たちは今、何をしているのだろう、という話しをした。

僕たちの共通の友達が、香港のフォーシーズンズ・ホテルの広報ディレクターになっていることや、ドバイで広報会社の社長をしていることを知った。
クリスティーナも結婚し、フィンクルは双子が生まれる。
ノーマンは新しい彼女ができて幸せに暮らしていて、クリスはジェラスに燃えた美人のガールフレンドに、「今日は何があったか」を報告しなければならない毎日を送っているそうだ。


優しい目をしたジェニファーは何度も「私はもう年寄りだから」という。
「そんなことないよ。ジェーンは本当にきれいだよ」僕は正直に言う。
「でも、世の中はなんだか僕たちを残して動いているみたいだね。」


8時頃にはまた丸ビルに戻ってアーチーにも会った。
3人で本当に軽くワインを飲んだのだが、途中から会話が全て英語になってしまったので、一生懸命聞きながら飲んでいた。
アーチーとも久しぶりだ。
「今度はニューヨークに行って、音楽関係の仕事をしたい」と言っていた。


最終の新幹線が10時4分発だったので、東京駅まで2人が送ってくれた。
「カナダやアメリカに行く前に、長野にも遊びに来て。」と言って別れた。


新幹線の窓から、雨に濡れた外の景色を見ていた。
そういえば2月頃の航空券が安い時期に、香港やドバイに行こうって話したけれど、でも、その頃は仕事が忙しくて行くのは無理かもしれないな、と思った。


帰りの新幹線のなかで、こうの史代という人の描いた「長い道」(双葉社)というマンガを読んだ。

軽いタッチで描かれていて笑えるのだけれど、どこかに作者の真剣さを感じる作品だ。


長い道

荘介という男に、突然、道という名の嫁が来る。
荘介は「派手で金持ちでいつもつんけん怒っている女」が好きなのだが、道はその真逆。
計算なのか天然なのか、可愛いのだが地味でいつも荘介に上手に利用されている。
でも、精神力は強い。僕にはとても勝てるような女じゃない。


荘介はロクに働きもせず、ダラダラと生活をしているのだが、どこか優しくて憎めない。


あとがきで「あと英光、荘介どのの良いところはすべて貴方に似ています。いつか別れる日が来ても、わたしが貴方と生きた証はいつまでもここにあるのだと思います」という文章を読んだときには、作者の思いに胸が締め付けられるような思いがした。


このマンガの中にはひとつの宇宙がある。
皆が優しくて哀しくて温かい。
居心地はいいのだけれど、足の引っ張り合いばかりの仕事をしなくてはならない僕は、この宇宙には住んでいられない。
何度も読み返したくなる、でも今の俺は読んじゃダメだと思う、そんなマンガだった。


土曜日には劇団員も「遅い」としびれを切らしているようなので、シナリオを仕上げて印刷した。
ちょうど雨で、ソフトボールの試合も中止になったから都合がよかった。
夕方7時頃に終わり、それから中国人の経営している店で、すごくおいしい「酸辣湯麺」を食べた。
そして、それから迷ったけれど結局、仕事に行った。


日曜日も仕事だった。
車を運転しながら嫌な冬が来ることを思う。
仕事だらけでもう本当にうんざりだ。
休日に働いたって給料が増えるわけでもないのだ。
世の中にはもっとクリエイティブな仕事がいっぱいあるのに、なんで僕はとりわけつまらない、こんな仕事をさせられているんだろうなあ。


そう思うとため息が出る。
夜、HARD-FIの「郊外の騎士たち」をヘッドフォンで大音量で聴く。
「行き場所のない怒りをロックにぶつけるなんて、俺は中坊か」なんて思ったりもする。


ハードファイ

「郊外の騎士たち(Suburban Knights)」


郊外の日常は、いつまでも続く
店でも会社でも
俺達は歌う、みんなで歌う


俺達にはすることなんか何もない
でかいことなんてまったくない
俺にも、おまえにも


郊外で見る夢は、とうてい叶うはずがない
死ぬまで働け!学校で教えられたのはそんなことだ
そんな気持ちじゃ失うものなんて何もないだろ?
俺の友達も、俺も、酒とテレビとタバコでごきげんさ


あの歌が聞こえてくるだろ…


俺達は忘れ去られた人間だ
でも俺達を否定できないだろう
影から出たときには、人工衛星を揺るがしてやる!


郊外の夜は、とても暑い
みんないらだっている
俺達は歌う、みんなで歌う


世界的なテロだとやつらは言う
俺達は戦争のなかにいるのだと
でもそんなことにかまっていられない
だっていつまでもドアから請求書が届き続ける


俺達は忘れ去られた人間だ
でも俺達を否定できないだろう
影から出たときには、人工衛星を揺るがしてやる!

金曜日の夜は午前1時頃に寝た。
最近、朝起きるときに眠たくて仕方がないので、土曜日は10時頃までゆっくりと眠るつもりだった。
でも、土曜日の明け方に印象深い夢を見て、そのことでいろいろと考えてネットで調べていたら目が覚めてしまった。
まだ5時30分だった。


夢の内容はこんな感じだ。
僕は大阪にいて、そこから「焼津」と書いて「ねづ」と読む地にどうしても行かなくてはならない。
車では行き方がわからないので、大阪城近くの駐車場に車を駐め、そこから電車で行くことにする。
焼津駅は簡単に見つかったので、電車に乗る。
大阪の街が巨大なハリケーンに襲われているのを電車の窓から見ながら、「車で行こうとしなくて正解だった」と思う。
焼津駅で電車を降りて、僕は自分が行かなくてはならないのは「伝八」という居酒屋であると知る。
そこに行くと、何人かが歓迎してくれる。
そこで、目が覚めた。


起きてからも寝ぼけていて、「俺、ねづに行かなくちゃ。どうやって行くんだろう」ってずっと悩んでいた。
ネットで調べ始めて、焼津っていったらどう考えても静岡だよな、と思い始めてから、ようやく覚醒してきて、それから大阪には焼津と書いてねづと読むところなんてないってわかって、夢なんだからそんなに真剣に考えなくてもいいやって思った。


そのままネットでいろいろと調べているうちに、長野県の東御市にある白鳥神社ってところに行ってみたくなった。
木曽義仲が兵を挙げたのが、この白鳥神社近くの河原らしいと知ったからだ。
なぜ、木曽から京都を目指した義仲が、東長野で兵を挙げたのか僕にはさっぱりわからないけれど。
木曽だけでは兵が足りなかったんだろうな、きっと。


それで、10時頃から白鳥神社がある東御市の海野宿までドライブをした。
海野宿の駐車場に車を駐めると、白鳥神社はすぐだった。
樹齢700年のケヤキを見て、それから売店で売っていたこれ以上ないくらいしょぼい交通安全のお守りを買った。


僕は学生の頃、歴史には全く興味がなかったけれど、祖父が死ぬ前に木曽義仲と僕の家の先祖の話をしてくれて(四天王の一人だったとか)、それ以来ずっと木曽義仲にはなんとなく親近感を感じている。


白鳥神社近くの河原で兵を挙げたとき、僕の先祖もそのなかにいたんだろうなって思いながら海野宿を歩いた。


建物についている「うだつ」というものを初めて見た。
それまで気にも留めていなかったけど、こんなものがあるんだって思った。
「こんなのがうだつなら、俺、もう一生「うだつ」が上がらない男でいいや」って思った。
でも、確かに、海野宿のうだつはなかなか立派なものだった。


海野宿は、木曽の馬籠宿や妻籠宿よりもはるかに今っぽい。
道の真ん中を普通に車が行き交っているせいだろうか?
江戸時代の町並みというより、僕には昭和を感じさせるような町並みだった。


白鳥神社の隣には縁結びの地蔵っていうのがあって、昔、加賀のお姫様が相手が見つからずに困っていたときに、この地蔵にお参りしたら、立派な男性と結ばれたという言い伝えがあるらしい。
一応、頭を下げたけど「これって女性専用なのかな?立派な男性を見つけられてもなあ」ってちょっと思った。


それからまた車に乗って家にまで帰ってきた。


日曜日には職場の同僚のゴーちゃんと来週のソフトボールの試合に向けてピッチング練習をした。
しばらく投げているうちに、「握りが深すぎるんじゃないか?」と言われたので、見てもらった。
結論から言うと、僕は今まで、ソフトボールでピッチャーばかりやっていたのに、ずっと間違った握りをしていたことがわかった。
指を引っかける位置が全然違うのだ。
平泳ぎの足がバタ足じゃないことやバレーボールのサーブは握り拳でなく平手で打つことを知ったのと同じくらい、衝撃だった。
他にも肘が曲がることや、球を置きに行くときに長打を打たれるので警戒するように、などということを注意され、さらにチェンジアップの投げ方まで教えてもらった。
チェンジアップを実際に投げてもらって、それがどれだけの威力があるのかわかった。
普通にボールを受けるときでも、予想以上に遅くてとまどうほどだ。
これが試合で本当に投げられれば、すごいなあと思った。


それからそばを食べて、その後バッティングセンターに行って100球くらい打った。


昔、父親とバッティングセンターに行くと、ときどき父親がホームランの的に当ててビスケットをもらったりすることがあった。
そんな帰り道、空振りばかりでふくれている僕に「あのホームランの的に当たるときっていうのは、あまりいい当たりじゃないことが多いんだよ」と話していたことがよくあった。


最近、その言葉の意味がようやくわかってきた。
確かに、あのホームランの的に当たるときは、実戦ではセンターフライに終わることの方が多いような気がする。


それにしても、昔はバッティングセンターに行くと25球がとてつもなく短くて、「え、もう終わり?」って感覚だったのに、最近では「まだ終わらないのか…」とため息をつきながらバットを振り回していることが多い。
20歳の頃、今が体力のピークなんて冗談だろ?って思っていたけど、本当にあの頃がピークだったんだな、って最近はよく思うようになった。


ゴーちゃんが車に乗っているときに、「天国への階段」がCDから流れ出した。


ツェッペリン4

今、ちょうど気に入った曲を車のサーバー(2000曲まで収納可能なんだって)に覚え込ませている最中で、CDには僕が好きな曲がアルファベット順で録音してある(今のところ全部で20数枚になる)。
だから、エルビスの「Love me tendar」の直後にモーニング娘。の「Love machine」がかかることも当然ある。

「これって、ツェッペリン?」
「鋭いな、ゴーちゃん。俺、iTunesで騙されたんだよ。ずっとツェッペリンがiTunesに載らないから、この「天国への階段」が載ったときによく確認しないで買っちゃったんだよね。これ、ボーカル少しおかしいでしょ。これは、Led ZepagainっていうLed Zeppelinのコピーバンドだったんだよ。ふざけるなって感じでしょ。」


その後も、ゴーちゃんはコールドプレイの「スピード・オブ・サウンド」を聴いて「いい曲ですね」などと言うなど、なかなかいい感性を持っているな、と僕は思った。


エックスアンドワイ

家に帰ってから、ビールを飲みながら、PS2ソフトの「ico」をする。
「ico」ははまると何周もする人がいると聞いてはいたが、僕も3周目が終わった。
早い人は1周を1時間30分ほどで回ってしまうらしいが、僕はまだ1周するのに6時間近くはかかる。


これから、英会話の勉強をして、寝る。
週末も、ゆっくりできるようでなかなかできないもんだなあって思ったりする。

随分と前から仕事のあと、夜中に「ico」というプレステのゲームをしていた。


イコ

毎日続けていると、コントローラーを扱う左手の親指が痛くなり、仕事中も気になって仕方がなかった。


バイオハザードなどでは最初から無制限に打てるバズーカでも持たせてもらえない限り、最初のカラスや犬で死んでしまうほどゲーム下手なのだが、作家の宮部みゆきがこのicoというゲームのファンで、このゲームに触発されて小説まで書いていると知って、あんなおばさんでもできるんなら俺でもできるだろうと思って始めてみた。


頭に角が生えた少年が生け贄として「霧の城」に運び込まれる。しかし、彼はたまたま逃げることができた。
逃げる途中で鳥かごに閉じこめられていたヨルダという白い、透明感のある少女を助け出し、手を取り合って城から逃げる、というゲームだ。


小さくて元気な男の子が、きれいなお姉さんの手を引いて命懸けで逃げる姿を見ていると、なんだか懐かしいような気分にもさせられる。
大きな段差を降りるときに、ヨルダがついて来てくれずに「行かない」というように首を振るシーンでは、最初のうちなんだか悲しい気分になった。


俺がドラクエを嫌いなのは、少しでもいい武器を手に入れるためにお金を稼がなくてはならなくて、そのために回り道をしたりして、面白くも何ともない敵を数多く倒さなくてはならないことだ。
サラリーマンよりもサラリーマン的で、それこそ労働階級の英雄って感じがする。
イライラするし「さっさと展開しろよ!」って画面に何度怒ったことか。


その点、icoの武器は木の棒と剣しかないし、経験値やお金を稼ぐ必要は全くない。
グラフィックもとても美しく、城が基本的に高所に位置しているので、icoが崖を飛び越えたり鉄の棒にぶら下がったりするときには、足がすくむ。
僕は何度も、落下したり火の付いた爆弾をうまく投げられなくて自爆してしまったりしたけれど、気がつくとまたチャレンジしているのだった。


金曜日の夜になって、ようやく全てを(このゲームを好きな人は何周もするらしい。2周目から選べるオプションもあるらしいけれど)クリアした。
FFXのときはけっこう感動したけれど、このicoの場合は感動というよりも「よかったな」という安堵感とほっとした感情に包まれた。


本当に、あんなおばさんがクリアしたのか?と思うほど手強いところもあるけれど、操作方法に慣れてきた後半から突然面白くなってくるから、やったことがない人にはお薦め。
日本ではそれほどではないけれど、海外では賞をたくさん取っているし、いいソフトだと思う。


先週、ロッキング・オンを買ったのに引き続いて、今週はネットで渋谷陽一と松村雄策の「定本渋松対談・復刻版」(ロッキング・オン)を買って読んだ。


渋松対談

今でこそ、渋松対談は夫婦漫才みたいになっているけれど、1976年の頃、2人の対談はすごく真剣だった。でも、ベースが一緒だから、話が合う。
うらやましい気がする。


今、劇をやっているけれど、ときどきあまりにみんなと感性が違うことに気づいて「ああ、ロックの話がわかる奴と話したいなあ」って心の底から思うことがある。
moonでもいいから、長野にいないかなあって思う。
この前なんか劇で何の曲を使うか聞いたら、松浦亜弥だっていうんで腰が砕けたかと思った。
本番ではKISSあたりをかけたいんだけど、きっと反対されるんだろうなあ。


本を読んでいてディープ・パープルについて「ハード・ロックを聴く人間としては、一度は通り抜けなければならない関門だ」なんてのを読むと、俺は本当に激しく頷いてしまう。


インロック

「そうなんだよ。なんでみんな聴かない(聴かなかった)んだろうなあ」って思う。


以前、UCCの缶のブラックコーヒーのCMで、ディープ・パープルの「ブラック・ナイト」の曲がバックで使われていたけれど、曲だけでなくてブラック・コーヒーとパープルのギターのリッチー・ブラックモアとかけているんだって俺は言いたかったんだけど、話す相手がいないんだよな。


実際に、缶を手にすると「Drink it black」って書いてあって、ああストーンズの「Paint it black」とかけているんだって思ったけれど、そんな話も誰にもできないもんなあ。


1975年から1986年までだっていうから年代的に期待していたんだけど、この渋松対談にはジョン・レノンの暗殺の話は全く出てこない。
そこら辺りが少し寂しい気がしたな。


今週から英会話学校にも行き始めた。
俺のクラスは僕も含めて4人で、男が3人とおばちゃんが1人だった。
あとの2人の男は大学生らしい。
ぺらぺら英語を話しているのを見て「俺がこいつらの年の頃は、英語なんて全く話せなかったんだよなあ」と思いながら、一緒にダイアローグを読みあったりした。
1回目ってこともあったんだろうけど、思ったより授業はレベルも高かったし面白かった。


劇の台本をかなり書き直さないといけないんだけど、やる気が全然わかない。
土曜日は車を洗って、ガラスに撥水コートをして、あとはずっと寝ていた。
日曜日もテレビを見て、パスタ作って洗濯して、あとはゴロゴロ。
土曜日の深夜に放送していたプリズン・ブレイクで、メキシコ人の農夫が「満たされていない者だけが希望を持つ」という印象深いセリフを言っていた。
その夜、寝ながら、俺、希望だらけだもんなって思った。