4月から同じ係になった同僚に、会議に使う三角のカード立てを渡しながら「これと同じ型のものを40個注文するように」言った。
次の会議に席札として必要なのだが、調べてみたら、部分的にひび割れたり汚れたりしていたからだ。
彼は「わかりました」と言いながら、付箋紙にメモを取り、業者と連絡を取っていた。
型番を調べずに業者をいきなり呼びつけるというのが少し横暴な気がしたけれど、僕は黙っていた。
業者が来たとき、彼がいなかったので、僕は彼の机の上に置いてあったカード立てを取り上げて、「これと同じ型のカード立てを40個用意してほしい」と言った。
業者に手渡しながら、僕はそのカード立てに張ってあるメモを見て「あいつは何を書いているんだ」と心拍数が上昇した。
「わかりました。コクヨのカト125を40個ですね。」
業者の言葉にうなずきながら、僕は苦笑いをした。
業者が帰ったあとで、僕は同僚に「おまえは付箋に何を書いてんだよ」と文句を言った。
彼は自分の書いた付箋をみて、それから笑い出した。
「40コ」と書いたのだろうけど、それがどう見ても「チ○コ」としか読めなかったからだ。
「元気がある証拠です。」と彼は言った。
4連休は実家に帰った。
親戚が泊まりに来ていたので、夜は当然のように宴会になった。
宴会のとき、前から不思議に思っていた、叔父のゴルフの打ち方を聞いてみた。
僕に初めてゴルフの打ち方を教えてくれた叔父は、不思議なボールを打っていた。
吹き上がるようなボールで、落ちかけたあと、また上昇して伸びていくのだ。その球を他の人が打っているのを見たことは一度もない。
「あれはでも意外と飛ばないんだよ。最近の打ち方じゃないね。」
そう叔父は言う。
「最近は低い弾道で遠くまで飛ばすのが主流なんだ。高い弾道は求められていないんだよ。で、まあ、俺が打っていたあのボールは過剰にバックスピンをかけたボールなんだ。」
それから弾道とスピンの話をいろいろとしてくれた。プロは弾道の角度とスピン量まで調節できるのだという。
翌日、僕はその過剰なスピンをかけたボールを打ちに練習場に行って200球ほど打ったが、吹き上がるボールは打つことができず、いったいどうしたら打つことができるのか、謎は深まるばかりだった。
この4連休、昼間はたいていの時間、本を読むか眠るかしていた。
食事だけはしっかりとっていたので随分と太った。
本は山本揚志の「かへ」(マッグガーデン)という漫画を読み、小川糸の「食堂かたつむり」(ポプラ社)、伊集院静の「羊の目」(文藝春秋)を読んだ。
「かへ」は、都会で暮らす息子夫婦が事故で死に、彼らのしていたカフェを両親が引き継ぐ話だ。
お涙ちょうだい話なのだが、ストーリーが薄っぺらでリアリティがない。実際にどんな料理が出されるのかとか、どんな都会の人との触れ合いがあったのかという肝心の部分が「ホームページに載ったレビュー」でしか分からないし。
「不覚にも泣いた」読者が多かったということだが、僕にはよさが分からない。人には全然、薦めない。
その点、「食堂かたつむり」は出てくる料理がいかにもおいしそうだし、エルメス(という名のペットの豚)を通じて料理とは何かを訴えるなかなか味わい深い物語だ。
ただストーリーは作りすぎだと思うところもあり、よくできた少女漫画のように感じた。
文句をいうような話じゃないし、実際のところ面白いけれど、僕にはもう少し深みがほしかった。
「羊の目」は博徒の話である。
勝った負けたの薄汚れた世界の中に、美しく純粋な強い男がいた、という物語だ。
その男はどのように生まれ、育ち、そして現代を生きたのか。
男が男らしく生きる話で、男のおとぎ話なのかもしれない。
超人的な強さを持った山尾の生き様も死に様も、武美の生き方も美しく、男であればこうありたいと思う世界を描いている。
筋を通して生きることは、たとえ超人的な力を持っていたとしても難しいのだと、この話を読んでいると思う。
ギャンブルには人生の一部分をそぎ落とすような面がある。
ギャンブルは、はっきり言って勝てるわけがないのだ。いかに負けるかの勝負だと言ってもいい。何を残して、何を落とすべきなのか、ギャンブルにはそういう深い問いかけがあるように感じる。
作者自身が暗い博打の世界にどっぷりと漬かって、その先に見えた世界が、この「羊の目」の世界なのだと思う。
手放しで褒めるような本じゃないけど、僕はおもしろく読めた。
他にも、イーサン・ケイニンの「エンペラー・オブ・ジ・エア」(文藝春秋)を読み返したり、夜寝る前にバリー・ユアグローの「セックスの哀しみ」(白水社)や「一人の男が飛行機から飛び降りる」(新潮文庫)をパラパラと読んだ。
イーサン・ケイニンの本は実によく、特に表題にもなっている「エンペラー・オブ・ジ・エア」は何度読み返してもいい。
「アメリカン・ビューティー」に出てくる不良の兄貴がいい子の僕へ語る大切な教え。
「おまえも人でなしなんだ」というセリフは重く、読んでいた僕も「俺も人でなしなんだよな」と思った。
バリー・ユアグローの本には、まるで夢を録画したかのような奇妙な展開をする話が載っている。一人の人間が、これだけの話を生み出せるものなのかと思ったし、本物の芸術家というのはこういう人のことを言うのかもしれないな、と思った。
オチがあるわけでも作品としてまとまっているわけでもないので、人に薦めるような本じゃない。ただ、寝る前に夢の材料として読むにはとてもよく、僕はこの本を読み出してから、夢がいままでよりずっとおもしろくなったような気がする。
連休最後の日、実家のウッドデッキにいたら、羽アリが南の方向に大量に舞いあがっていくのが見えた。
慌てて殺虫剤をかける。
ウッドデッキにあがる枕木から飛び立っているようなので、見える範囲の羽アリは殺し、枕木をひっくり返してみたら、そこに大量の白アリがいた。
そこにも殺虫剤をかけ、枕木は家の外に運び出して徹底的に殺虫剤をかけたけれど、木の中の白アリには当然のことながら届かない。
その後、母の友人が枕木は翌日燃やすからと持っていってくれた。
白アリにやられていたのは、どうやら枕木だけだったようだけど、白アリは地中を進むそうなので、灯油を大量に白アリのいた枕木のあたりの地面にかけておいた。
僕の見た範囲では、他にやられたところはないようだったので、それが救いではあった。
その後、姉の家に挨拶に行ったら、駐車場にあるポールに車をこすってしまった。
バックモニターばかり見ていたのが失敗だった。
フェンダーがわずかながら凹み、部分的に塗装もはげた。
フォルティスにしてから初めての事故で、ショックでため息が出た。
カーコンビニ倶楽部に持っていったら、塗装の塗り直しなどで3日もかかり、費用も7万近くかかるのだという。
高いと思うが、仕方がないので、クレジットカードで支払いをして、家まで送ってもらった。
家に帰って、散らかり放題の部屋を見てまたため息が出た。
連休の初日に部屋のなかを片付ける前に、家を出たことを思い出した。
「ああ、いろいろあったけどいい連休だったなあ。」と無理して言ってみた。
***おまけ***
小さな子が祖母の家に行き「おばあちゃんはいくつなの?」と聞いた。
「人に年齢を聞くのは失礼なのよ。」祖母は優しく叱った。「そういった個人的な質問を好きでない人もたくさんいるのよ。」
「ふーん。じゃあ、おばあちゃんって体重何キロなの?」
「やめなさい。」祖母は声を荒げた。「個人的な質問をするのは失礼だって言ったでしょ!」
子供は少し考えてから「おばあちゃん、どうしておじいちゃんはおばあちゃんを捨てたの?」と聞いた。
「もうたくさんよ。」祖母は叫んだ。「ほかの部屋に行きなさい。今すぐに!」
小さな子は別の部屋に行き、祖母の免許証がテーブルの上に置いてあることに気がついた。
彼はその免許証を見て、いろいろと勉強した。
数分後、小さな子は祖母の部屋に再び入り、祖母に言った。
「おばあちゃん、僕はおばあちゃんの年がわかったよ。体重もわかっちゃった。それからどうして、おじいちゃんがおばあちゃんを捨てたかもわかった。おばあちゃん、セックスの成績がFだったからでしょ。」
(通常アメリカでは、成績はA、B、C、D、Fの5段階評価で、Fは落第を意味する。また性別欄(sex)には、男性はM、女性はFと書かれている。)




















