ただいまグレート・スピリットを知るシリーズの続き(グレート・スピリットを知る6)の方の準備を進めさせて頂いている最中なのですが、、、
今回は急遽『グレート・スピリットを知る5』の方に、当ブログを開設させて頂いて間もなくの頃よりおいで下さっている、ののさんから頂いたコメントを、まずはご紹介させて頂きたいと思います。
ののさん、どうかお許し下さいね。
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『過去思いおこすと、自己中、己の欲望、己の物差し、涙目、怒り目で見てしまってたため…まわりが見えていなかった。見る気持ちもなかったので、まわりが見えないんですね。自我の強さを履き違えてたと言うしかありません(>_<) 私達は、グレートスピリットの恩恵を与えられてるだけで幸せなのだから、そんなに力む事ないんですねぇ(~o~)何か迷った時は、グレートスピリットの御心ならどうするでしょう?を最近考えて行動してるので、心にゆとりを持てるようになりました……と、感じますp(^^)q』
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皆さん、私達がやるべき事というのは結局コレなんです!
スピリチュアリズムとはコレであると申し上げても良いかと思います。
ここで、、、
これは、改めてテーマを設けさせて頂いた上で詳しくお伝えさせて頂くつもりである事ですので、今回は触り程度でちょっとこういうお話をさせて頂きます…
前回の『グレート・スピリットを知る5』の中で「成仏できない」という文言を使わせて頂きましたけれども、成仏できないとは、どういう事なのか?という事を申し上げますと、これは、、、
この世での人生を終えたものの、魂が本来帰るべきところへ帰る事ができずに迷う事を言います。
本来帰るべきところとは、私達が生前にいたところ、すなわち天国あるいは天上界と言われるところです。
とても安らぎに満ちた素晴らしい世界です。
では、成仏できない方が何故そこへ帰る事ができないのか?と申しますと、それは、その方が生前においてご自分の心に悪い想念を溜めてしまわれたからなんです。
その悪い想念とは、恨み、妬み、憎しみ、謗り、怒り、愚痴、足ることを知らぬ欲望、自分が偉いと思う増長慢、嘘、盗み、不安、恐怖、過度の自尊心や逆に自分を卑下する心、過去の苦しみをいつまでも持ち越す心、まだ来ていない未来の事をあれやこれやと心配する取り越し苦労、自我、自己中心、自己保存などです。
自分の心にそれらを溜めてしまいますと、それが錘のようなものとなって上に上がる事ができないようになっているんです。
水に浮かぶものに錘を付けたら浮かぶ事ができなくなるのをイメージして頂いたらお解かり頂きやすいのではないかと思います。
結局、何が言いたいのかと申しますと、、、
スピリチュアリズムというものは、見えない世界とはいかなるものかを探求する事や、霊能力や何か特殊な力などを身につける事、あるいは神社を回るなどをするといった事ではないんです。
見えない世界の詳細を知る事が私達にとって最も重要な事なのであるならば、私達は何のためにこの世に生まれてくるのでしょうか?
それが最も重要であるのならば、生まれて来ずとも見えない世界にずっといれば良いのです。
それに、なにもこの世において探求せずとも死後あちらに帰ればいくらでも知る事ができます。
また、霊的な知識をお持ちでいらっしゃらない方が誤解しておられがちな事なんですけれども、見えないものが見える=すごいや偉いなどというようなものではないんです。
見えないものが見えるなどといった事は、高級霊によるものばかりではなく、未浄化霊、未成仏霊による、いわゆる「憑依」によっても起こる事なんですよ。
霊の声が聞こえるなどしだして、それを自分では神などと思っていたものがその実は全然違うという事が多々あるものなんです。
より詳しくはまた改めてお伝えをさせて頂きたいと思いますけれども、憑依というのは偶然などで起こるものではありません。
スピリチュアリズムで言うところの「波長の法則」を思い浮かべてみられて下さい…
憑依とは、自分自身が憑依霊と同じ波長、つまりは同じ心の状態にある事によって起こるものなんです。
ですから、自分の心の状態というものを考慮せずに瞑想したり念じたり力だけを追究したりといった事をしますと、それこそスコーン!と憑依されて、とんでもない事になる怖れがあるものなんです。
憑依も、自覚等がない程度ならばまだ良いですけれども、重度のものになったらそれは凄まじい事になってしまいます。
そして、心身ともにボロボロになってしまいます。
私は実際に間近でそれを目の当たりにしたんです。
それに、見えないものが見えるなどするというのも結構大変なんですよ。
良いものばかりが見えたらいいですけれども…。
ここで、この類の事は当ブログで申し上げる予定ではなかったんですけれども、あえてお話させて頂きましょう…
仏教において「如来」と呼ばれる方々がおられます(仏教以外においては大天使、大指導霊など)
如来という言葉は「来るが如し」という事ですが、なぜ「来るが如し」なのかと申しますと、それは、如来と呼ばれる方が自らの意思と目的を持ってこの世にお生まれになった時、まさにグレート・スピリットが地上に降り立たれた如き業を現されるという事から来ているものなんですね。
如来とは、グレート・スピリットと表裏一体に近しというところまでその魂を高められたお人達の事を指すのです。
○○明王や○○天といった、諸天善神と呼ばれる方々でさえ、自分の心を自由にできる方の事を羨ましがると言われるのですが、如来とは、自らの実践・向上によってそれを成した方々なのです。
また、如来はその心が決して壊れないという事から、如来達がおられる階層である如来界と呼ばれる世界は「金剛界」とも称されます。
そして、その階層への到達、悟りの段階は、あの世も含め星の数ほどいる人々の中で500人と到達しきれていないという領域なのです。
その領域の違いゆえ、あちらの世界においても殆どの方々がその姿を拝む事ができないそうです。
その如来達よりもさらにグレート・スピリットと表裏一体に近い方々が、お釈迦様やイエス様などです。
また、実はそれよりもさらに上に、グレート・スピリットとほぼ表裏一体という領域まで達しておられる方…グレート・スピリットを除く中、私達と同じ人間の中としては最高の位置にある方が1人おられるんです。
私達の、平均的な魂の向上レベルにある方が、その方の領域に達するのに、22億年かかると言われております。
如来やその上という領域に達する事、そこまでは行かぬにしても高い領域に達する事とは、そういったものなんです。
また、こういうお話もさせて頂きましょう…
俗にサタンや魔王や悪魔等と言われるものは、空想上のものではなく実在するんです。
サタンや魔王や悪魔といったものは私達と別の生き物などではなく、貪欲などの悪い想念を極度に溜めてしまった人達の霊なんです。
グレート・スピリットは、その彼らに対してもなお万人と等しく、ひたすら愛を与え続けられるものですが、彼らはそれを自らの意思で拒絶しているような心の状態にあるものです。
ここでまた「波長の法則」を思い浮かべてみられて下さい…
世の中には、如来様や菩薩様などの声が聞けるとおっしゃる方がたくさんいらっしゃるものですけれども、如来や菩薩と通じる事は、自らの波長すなわち心の状態をそれに通じる事ができるまでにもっていかなければできない事なんです。
前述のように、そこに達した方が500人といないような領域やそれに準ずるレベルの領域と通じるというのは、そんなに易々とできるようなものではないんです。
もし自分が、見えない世界の方の声が聞こえるという事が起こった場合に、それが何者かを知るには「自分の心をチェックする」事なんですね。
自分の心が、たしかに清浄で輝いていれば、その相手は高級霊でしょう。
しかし、悩みや苦しみ、イライラなどの不調和がある、総じればグレート・スピリットと大きく離れた想念を持っている状態ならば、その相手は高級霊ではありません。
サタンや魔王といったもの…彼らは、非常に狡猾です。
もっともらしい事を語りかけてくるんですね。
しかし、そこには必ず人の欲望をくすぐるワナや、争いなどといった不調和の種を潜めています。
そんな彼らにとって、グレート・スピリットの法を広められる事は非常に面白くない事なんですね。
ゆえに、隙あらば邪魔をしかけてくるものなんです。
もしこちらが、自分が偉いという増長慢や欲望といった心に捉われたらすぐにつけ込んできます。
霊道を開くという事、そしてグレート・スピリットの法を語らせてもらうという事は、そんなリスクを負う事でもあるんです。
どんな事があろうとも、常に自分の心をグレート・スピリットの御心と照らし合わせ、ぶれない様に修正をかけながら保つという事を、しかも心静かに淡々とやり続けなければならないのです。
私は、皆さんに明るく楽しい気持ちで向上に励んで頂きたいという思いで冗談などをまじえながらも、静かに自分と至難の戦いをやり続けております。
生半可な覚悟などでやっているようなものではないんです。
たとえば、小さい事にとらわれたり、ネガティブになったり、落ち込んだり、悩んだりといった事は、仮にしたいとしてもしていられないんですね。
生きてりゃ腹が立つ事もありますが、即座にそれを捨て去ってしまうんです。
ちなみに、あちらの世界というものはその人の想念がそのまま姿に現れるものであるため、サタンらのその姿が見えたら、気の小さい方などはひっくり返ってしまうかもしれません。
霊などはヘタに見えない方が良いですし、見えなくても人はちゃんと救われる事も向上する事もできますから無理に見えるようになる必要もないんです。
また、これも「波長の法則」を考えてみて頂けたらお解かり頂けやすいのではないかと思うのですが、自分が悪い心の状態で神社などに行っても自分の心がスモッグとなってパワーを受ける事ができないんですね。
それに、神社というのは人の欲望の念が集まるところでもありますから、貪欲な心でお詣りに行ったら、それこそ、その集まった欲望の念に同調して寄ってきているものにスコーン!と憑依される事もあるんです。
自らを律せぬ言わば「依存」の形では、人は救われる事も向上する事もできません。
私達にとって必要な事、生きていくにおいてやるべき事は、自分の心を、いかに浄め、高め、輝かせるかという事すなわちグレート・スピリットの御心に近づけるかという事に尽きるんです。
また、たとえサタンや魔王などといえども、私達の心が浄まり輝いていれば波長が合わないため手も足も出せないんです。
私は、それを皆さんにお解かり頂いた上で、これから先をまた続けさせて頂きたいと思い、今回あえてこのようなお話をさせてもらっております。
いつも皆さんからコメントやメッセージのご送信などを頂き、本当に嬉しく、そして有難く思わせて頂いておりますが、中には、私が本当にお伝えしたい事、ご理解頂きたい事とズレた解釈をしておられる方もいらっしゃるんです。
前回申し上げた「中道」に立ち、「中道の物差し」でご覧を頂ければ、そのようなズレは生じないはずなんです。
私のヘタな講釈であっても、皆さんご自身のお心が最も大事な部分を捉えるはずです。
現にコメントをご紹介させて頂いた、ののさんは、それをちゃんとつかんで下さいました。
たとえば、私は、前回の『グレート・スピリットを知る5』の中で、自己中心な方のパターンといった事を書かせてもらいましたけれども、あれは、その方々を吊し上げたり、非難したり、あるいは揶揄したりといった事のために書かせてもらったものではありません。
ここで…
私達が何故わざわざこの世に生まれてくるのか?という事をお話させて頂きますが、、、
「波長の法則」や「階層の法則」により、あの世というのは厳然たる領域に分かれた世界であり、死後において自分が行く世界には自分と全く同じ波長、同じ心の状態である人だけが集まっている世界なんです。
その中においては、自分自身というものをよく知る事はできるのですが、それ以外の要素が乏しい事から、進化が全くないわけではないものの非常に遅いんですね。
その点、この世というのは、どんなに高い魂の方でも、そうでない方でも皆が対等にあいまみえる世界なんですね。
そこに大きな意味合いがあるんです。
たとえば、とても素晴らしいお方を見れば「ああ、あんなふうにならないといけないな」などと思う事ができますし、逆の方を見れば「ああ、あんな事をしてはいけない」などと思う事ができます。
それゆえに、学びが多く、進化・向上を早くする事ができるんですね。
話を戻させて頂きまして…
私が前回の中で書かせてもらった自己中心な方が云々のお話は「それを皆さんご自身の心に照らし合わせて皆さんご自身の心のチェックをして頂き、ご自身の進化・向上に活かして頂くために書かせたもらったもの」なんです。
吊し上げや、非難、揶揄等のために書いたとしたら、それこそグレート・スピリットの御心とかけ離れた行為になってしまいます。
改めて申し上げますが、私達にとって最も大事な事、やるべき事は、自分の心を、いかに浄め、高め、輝かせるかという事すなわちグレート・スピリットの御心に近づけるかという事に尽きます。
またそれが、スピリチュアリズム、霊的真理の真髄であり、醍醐味なのです。
そして、進化・向上をするためには、まずは自分の中にある苦しみの元を除かなければなりません。
たとえば、泥水が流れ込む溜め池の中は、泥水が流れ込むのを止めてからでなければ、いくらキレイにしても汚れ続けます。
まずは、これまでの自分の泥水にあたる部分を除き、それから魂を輝かせていく事なんですね。
ののさん、あなたはよく気づかれました。
付け加えさせて頂くと、あと、グレート・スピリットの心を日常において他に対し現す事をできるだけ多くして行くようにするという事が必要なんですけれども、、、
ののさんが書いて下さった事は、それは既に立派な悟りなんです。
素晴らしい事だと思います。
あとは「持続」です!
持続が難しいものなんです。
それだけに、やはり「中道」という在り方が大事ですね。
あまり思いばかり先走ったり張り詰めすぎたりといった状態で行きますと、ひずみが生じますから、ほどよい在り方、まあ言うなれば春うららのような心持ちで励んでいくという感じが良いと思います。
持続していく事によって徐々にながらも着実に向上していきます。
ののさんに、あくまで念のためという事で申し上げますけれども、私から「それは悟りだ」などと言われたからといって、有頂天になるような事はないようにお願いしますね(苦笑)
それも「中道」から外れますから、失敗の元ですので…。
それともう1つ念のために付け加えさせて頂きますが、今回は、ののさんが書いて下さったコメントが核心をそのままついているものでしたので、ここで挙げさせて頂きましたけれども、他の皆さんも素晴らしいコメントなどを下さっています。
決して、他の皆さんがダメだというような事ではありませんので、そこはどうぞ誤解なきようにお願い申し上げます。
ここにおいで頂いている皆さんは、私にとっては、私の事もまた成長させて下さり、そして共に向上させて頂ける、かけがえのない大切な友であると思わせて頂いております。
次回からはまた冗談なども交えながら、一生懸命にやらせて頂きたいと思っておりますので、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
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