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なまくら日記の理事長坊主

なまくら坊主が社福の理事長になりました。
なまくら坊主は、三日坊主を超えられるか?!

厳しい暑さの毎日ですがいかがお過ごしでしょうか。



今年の6月は大変暑い日が続きましたが、6月の世界の平均気温が観測史上最高値であったそうです。今年の夏も大いに“夏らしく”なりそうです。


夏といえば「渇いたのどにキンキンに冷えたビール」といきたいところですが、アルコールは熱中症の危険性をたいへん高めます。熱中症は、記録的な暑さだった2010年には1718人もの方が命を落とした危険な病気です。

熱中症の原因は、水分と塩分の不足です。のどが渇いた時にはすでに軽い脱水症状であるとされています。こまめにスポーツドリンクのようなもので水分を摂取するようにしましょう。また、熱中症の3割は室内でおきているようですので、エアコン等による室温管理もしっかりと行ってください。

原発の再稼働の問題が大いに世間で議論されています。もちろん原子力に頼らず、なおかつCO2を出さないクリーンなエネルギーだけで生活をすることが理想です。

しかし、エアコンをかけず熱中症で命を落としてしまってはもともこもありません。エアコンなどを使いながらしっかりと熱中症対策をしていただきたいと思います。

そのうえで、如何に電気を使う量を減らすかということを考え、原発を再稼働させなくても良いように一人一人が“努力”すべきなのではないでしょうか。

余談ですが、私は今サッカー日本代表がスペインを倒した日に文章をかいております。この文章が皆様のお目にかかるときには、オリンピックは閉幕していると思います。どのような結果だったのでしょうか。日本はたくさんのメダルをとりましたか。

体の小さな日本人が屈強な諸外国勢を倒し、被災地をはじめ多くの日本人に勇気と希望を与えていることを期待しております。

                           

                              合掌

あそかだよりの原稿を書こうと、

思って熱中症での死者の推移を調べていました。


熱中症で死んだ人は、

2006年  393人

2007年  904人

2008年  569人

2009年  236人

2010年 1718人


ときて、2011年は原発事故のための節電の必要があり2010年を超えるかと思いきや、


ここ5年で一番少なかったようです。



まあ、もちろん毎年暑さが違うのでなんとも言えないが、

それでも、少し不思議だと思いませんか?



きっと

節電のためエアコンの使用が控えられ、室内の外気の気温差が少なくなったことが良かった。

もしくは、節電のためエアコンの使用が控えられ、ヒートアイランド現象が緩和された。


なんていうことも原因にあると思う。


熱中症にならないために、エアコンをつけるということはほんとにいいことか、


みんなは、どう感じますか?

オスプレイが日本にやってきて、

パンダの話題が吹き飛んだ。


日本人らしい感じだと思う。



オスプレイっていうのは、

プロペラ機とヘリコプターの合いの子みたいなもんであるが、

昔漫画とかアニメで描かれていたのをそのままもってきたみたいで、

ここまできたら、ガンダムが出来上がるの時間の問題かなと思わせる。



オスプレイの上陸で基地の問題が再加熱しているが、

基地の問題は領土問題と同じである。


沖縄という島の一部ではあるが、アメリカに占拠されているのである。

横須賀にアメリカ軍の基地があることに関して、

アメリカが日本を守るという意思の表れだテレビでいっていたが、

私の感性では、いつでも日本を占拠することができるように、

首都東京を人質にとられているようにしか見えない。


中国が、南沙諸島などに、勝手に「三沙市」を設置した。

一気に南シナ海の領有権主張と、実効支配を強化する戦略である。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120622/asi12062218310005-n1.htm  


中国は、2010年までは第一列島線に防衛線までを、

第二列島線を2020年までに支配する計画である。

それは、アメリカとの支配圏の争いである。



もし、沖縄から米軍の基地がなくなれば、

沖縄には近々中国の基地ができるだろう。



日本は、「防衛」というものをあまりちゃんと考えてこなかった。

「防衛」=「右」のようなイメージがある。


しかし、そろそろちゃんと考えなければならない。


アメリカの基地を受け入れる。

沖縄を中国に引き渡す。

日本が軍備を持つ。


みなさんは、どれを選択しますか?



森本防衛大臣に大いに期待をしたい。

「いじめ」なくせますか?

「いじめ」なくなると、思いますか?


私は、思いません。

もちろん、いじめがなくなることが、一番いいことだとは、思っています。


私も、いじめたこともあれば、いじめられたこともあります。


しかし、人が集まれば、必ずグループができ、いじめも起こるのではないでしょうか?


いま、みんなが本質に目を向けず、

キレイごとを並べ立てます。


みんなが、「いじめがダメ」「学校が悪い」「○○が悪い」と、

人のせいにして、起こさせた責任を追求します。



そんなことをして、本当にいい結果がでますか?

ただ、目に付きづらくするだけになりませんか?

「いじめ」を陰湿化させ、いじめられる側を孤立させませんか?


いじめが悪いことは、みんなが知っています。昔から。


でもなくならない、ということを、理解して行動をとらねばなりません。


《さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし》と親鸞聖人はいいました。

縁があれば何をするかもわからないのが、人間だという意味です。


もっと人間の本質を見つめて、

「いじめ」を目に付かないようにするのではなく、

「いじめ」を陰湿化させない、激化させない、


みんなで社会でしっかりと「いじめ」を受け止め、

これ以上「いじめ」ででつらい思いをし、命を落とすことがないように、

みんなでしっかりと子供たちを見守ることをしていくべきだと思います。


                                            合掌


われわれのもつ可能性にくらべると、現実のわれわれは、まだその半分の完成度にも達していない。われわれは、肉体的・精神的資質のごく一部しか活用できていないのだ。概していえば、人間は自分の限界よりずっと狭い範囲内で生きているにしかすぎず、いろいろな能力を使いこなせないままに放置しているのだ。

                            ウィリアム・ジェームズ


この言葉を聞くだけで、頑張ろうという気になる、やる気がわく。



犬が少しでもいいことをやると、なでたり、肉を与えたり、大げさにほめてやる。

このやり方は、決して新しくない。動物の訓練には、昔からこの手を用いている。

われわれは、このわかりきった方法をなぜ人間に活用しないのだろう?

なぜむちのかわりに肉を、批評の代わりに賞賛を用いないのだ?たとえ少しでも相手が進歩を示せば、こころからほめようではないか。それに力を得て、相手はますます進歩向上するだろう。



私は、人間はとどのつまり動物であると思っている。いくら難しい話をして、聖人君主のような倫理を述べたところで、人間は動物の範囲から出ることはない。


人間は、動物と長い間付き合ってきた。

それを主従関係とは思わない。思っているのは、人間だけで相手方からすればパートナーであると思う。

人間側だけでなく相手側にも、メリットがあるから生活を共にするだけだと思う。

人間は、相手が言葉をしゃべれないから、逆に動物に対してはその気持ちを感じ取ることができるし、その気持ちに答えたくなる。

だから、この種をこえた者同士が同居する。


それに対して、人間同士の関係は言語の頼りすぎである。

非言語のコミュニケーション、そして、そこからのニーズを読み取ることをしない。


心理学者のジュス・レアーは次のように書いている。

ほめたことばは、人間にふりそそぐ太陽の光のようなものだ。それなしには、花開くことも成長することもできない。われわれは、事あるごとに批判の冷たい風を人に吹き付けるが、ほめことばという暖かい日光を人にそそごうとはなかなかしない。