トヨタに限らず、過労死事件は日本中に山ほどある。試しに目の前の箱で検索してみると、呆れるほどの数がヒットする。まさしく日本は、過労天国である。

 あまつさえ、従業員の過労を踏み台にしてのし上がったトヨタの顰に倣おうと、躍起になっている企業(特に中小の製造業)が、その辺に潜伏している。大手であろうが小規模であろうが、有名無名を問わず油断がならないということを、忘れてはならない。

 実際、過労だの労災だのといった問題は、近年やたらと増えている。正確には、以前からあったものの、問題視されることがなかった、ということに違いない。最近になって、労働者やその家族、及び社会全体の意識が、ようやく高まってきたのだろう。


 それでも、まだまだ意識の低い人々はいる。

「会社が利益を求めるのは当然、死ぬまで働くやつがバカ」

などと、冷淡にして無知な発言は今なお多い。自身が極限に追い込まれたことがないのだろう。ゆえに、すべて他人事として安全な場所から気楽に見物し、無責任なことが言えるのだ。自分自身あるいは家族が被害を受けた場合を、想像する能力すらないに違いない。

 かくして、

「自分に関係ないから、どこで誰がどんな理由で死のうと知ったことではない」

という無関心につながる。

 自分だって働く身(明日は我が身)であるのに、ここまで冷淡でいられるのは、労働者としての意識が低いせいである。この低意識こそが、悪徳雇用者をのさばらせてきたのだ。いいかげん気づけばいいものを、いまだに現実を見ようとしない労働者が多すぎる。雑巾並みに扱われ、使い捨てあるいは飼い殺しにされ、心身を病んで死にゆく仲間を目の当たりにしても、

「あ~あ」

「やっちゃった」

「やっぱりね」

「バカダネ」

なぞと笑って見ている。せいぜい真面目に捉えたところで、

「自分じゃなくてよかった。あー、助かった」

と胸をなでおろし、今回助かったから次回もどころか永久に大丈夫とでも言わぬばかりだ。

 ひどいのになると、退屈なところ楽しいイベントが湧いて出たとばかりに、目をギラギラさせて噂話に盛り上がる。


「いくらなんでも、そんな馬鹿や冷血漢はいないだろう」

と思うかもしれないが、これは事実だ。もし自分が過労で死んだとして、職場の仲間(上司や社長などを含む)のうち、いったい何人が本当に悼んでくれるか、冷静に考えてみるがいい。たいていの人は、ゼロに近いだろう。こう言っている自分なども、おそらくそんな扱いに違いない。周囲なんてそんなものだ。

 特に会社などは、社員が思っているほど、個人を大事になぞしないものだ。労働者など、代わりがいくらでもある使い捨て雑巾ぐらいにしか思っていない。

「自分は大丈夫」

と根拠もなく自惚れているより、初めからそう心得て用心しておいたほうが身のためである。

 そもそも働く者の立場をよく配慮する職場ならば、過労問題など起こらないだろう。万が一起こっても、雇い主の態度に誠意が表れる。しかるに、昨今持ち上がる過労死問題で採りあげられる会社のほとんどは、卑怯な態度をとり続けているのだ。意識の低い労働者たちが、雇い主を甘やかし続けた結果である。


 労働組合のない会社がまかり通っている現実をどう見るか。あっても名ばかりという実態を、どう捉えるか。世の中それほど多くのあくどい経営者が犇いているとは、昨今のニュースを見れば明らかだ。むろん、表沙汰にならなかっただけで、理不尽な状況に追い込まれ、苦しんでいる人々がまだまだいるはずだ。

 意識を高く持つと言っても、労働者一人の力は微力である。横のつながり、団結といったものがどうしても必要になる。ヒトゴトだからと協力惜しみするような同僚ばかりでは、各労働問題の解決は見通し暗い。

 仕事に追われ多忙で、仲間との団結はおろか、親睦を深めているゆとりがないという労働者も多かろう。そうした状況すら、会社にとっては好都合、さらに言えば会社の意図どおりなのだと気づくべきである。


 トヨタ事件では、会社の非が明白であるというのに、会社はいっさいの謝罪もせず、なんの誠意も見せていない。それどころか、えげつなくマスコミの口封じまでしている。(http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=533 )会社なんてこんなもの、それを取り巻く社会なんてこんなものだと、初めから覚悟しておくのが身のためである。

 覚悟とは、諦観や服従ではない。まず何より大事にすべきなのは、自分自身と家族である。間違っても会社なぞではない。そう心得ることから始まる。会社は自分が倒れてもなんの補償もしてくれず、できやしない。当たり前だ。亡くなった者に対し、誰がどんな償いをできようか。


 就職活動までに、労働基準法のあらまし程度は、勉強しておいたほうがよい。法律だけではなく、社会人としての心構えや世の中を生きる術も、学生のうちに学んでおく必要がある。悪辣企業にとって、法律や権利に疎い労働者ほど恰好の餌食なのだ。

 学歴や学業成績だけでは、社会に出たとき自身を守りきれない。企業詐欺の見破り方とその対処の仕方なども、中学高校で授業時間をたっぷり取って指導するのがよい。自分の身は自分で守るしかないということ、そのためには確たる知恵と生命力が必要なのだということを、若者達にしかと叩き込むのだ。


 おしなべて、日本の労働者はおとなしい。経営者に騙され洗脳され、自分の立場がいかに理不尽なものであるかに、気づいてもいない人が多すぎる。

 労働者を守るのは労働者自身でしかない。いいも悪いもなく、これが現実である。自分が倒れても障害を負っても、まして死亡しても、会社は痛くも痒くもない。会社に洗脳され不利な条件で操られないよう、知恵と知識を身につけ、生命力を養う。それが自身を守ることになるのだ。

 過労死者を出すような会社の社員は、まず判で捺したように、

「みんなそうしているから」

「もう少し頑張れば、なんとかなる」

という呪文を唱えながら忍耐を重ねるうち、諦めてしまう。どうせ何を言っても、採りあげられないどころか憎まれ、待遇が悪くなるだけなのだ。転職しようにも、この不景気では身動きもとれない。かくして、労働者は上の言いなりにおとなしく働くしかない。


 まさしくこれは、企業の思うつぼである。端から見れば明らかな悪条件でも、

「他はもっとひどいんだぞ」

「うちなんかはいいほうだぞ」

「うちをクビになったら、どこへも行くところはないぞ」

などと騙し脅し、文句を言わずに有難く働けと、操り洗脳する。客観的に見れば、どう考えても理不尽この上ない条件環境だというのに、洗脳される人がことのほか多い。

「日本の労働者は実にマヌケマジメである」

 外国人がよくそう言って感嘆するのは、なるほどもっともである。


 こうした過重労働問題が出ると、
「そんなに仕事がつらいなら辞めればいいのに、続けたのは結局自分の意志でしょ」

という声が必ず聞こえるが、そう単純にいかなくなっている現実こそが、今日の社会問題なのだ。そこをよく見るべきである。

 まず、自分達の権利(人権はむろん、労働者として持つ当然の権利全般)について無知である労働者が、あまりにも多い。それをいいことに雇用者が増長し、無知な労働者を酷使する。労働者は簡単に騙され洗脳され、会社の都合どおりに振りまわされ、極限状態に来てさえも自身を守れない。

「半年間も無給残業が続いたが、来月は2日間も連続で休める~♪」

「今回は、ボーナスが半分出た♪ 前回はまったく出なかったのに」

なぞと、つまらぬことを有難がっている労働者が、予想以上に多い。驚くのを通り越して、なさけなくなる。

 一方、

「こんな生活を続けるぐらいなら、死んだほうがましだ」

と叫びだし、実際に身体を壊して退職した同僚がいれば、

「よかったなー、堂々と会社辞めることができて」

なぞと、的外れな祝福をする。


 さらには、会社とはなんの関係もない通りすがりの者までが、

「忙しいのはあんたのところだけじゃない、ウチだって云々。他だって云々」

なぞと過労自慢をしては得意がる。単なる自慢ならまだいいが、実際に不幸が起きた人あるいはその遺族に向かってまで言う馬鹿者がいるのだから、話にならぬ。死者を冒涜してまで見当違いな自慢をして、いったい何になるというのだ。

 こうした人間がけっして少なくないのだから、やはり日本の労働者意識は途方もなく低い。このようなお節介の自慢屋の存在も手伝い、死者を出してさえ企業は少しも反省しない。

「そうさ、もっと大変なところは、たくさんあるんだ。過労死するのは、ウチだけじゃない」

なぞと、トップどもはいっそう調子づき、はしゃぎだす。

「従業員を過労死させるのは、悪事にはならない。なにしろ、どの会社もみんなやってることなのだから」

というみごとな屁理屈をこねあげる。どの会社もやっているなら、無給酷使も人殺しも合法だというわけだ。連中は単にバカだというより、そこまで労働者を見下しているのだ。使い捨ての雑巾ほどにしか思っていないのだ。さらに、世の中がそれを許容しているのだ。「サービス残業」なぞという言い方からして、会社側の都合だけに従ったサービス精神強制の表れである。


 大手一流を誇るトヨタ自動車は、2000年前後に連続して、過労死者を出している。そのわりに、ほとんど取り沙汰されていないのは、年間1千億円を超える広告宣伝費を利用し、トヨタがマスコミの口を封じているせいらしい。

 さらに、被害者遺族が、労災申請しても認定されないところを見ると、労働基準監督署までもが媚薬をかがされているのかもしれない。

 以下のサイトは広告を一切掲げないおかげか、マスコミの制約を受けていない。2003年の過労死事件について、かなり詳しく載っている。


My news Japan http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=533


 中央本文はもちろん、右フレームの読者コメント欄にも、興味深い投稿がある。


 人材派遣業大手「ザ・アール」http://www.ther.co.jp/ の奥谷禮子社長が、労働者の過労死などをめぐる労働環境についての見解を、『週刊東洋経済』2007113日号で述べた。(以下抜粋)

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 若い人の中には、もっと働きたくてウズウズしてる人たちがいる。結果を出して評価を得たいから、どんどん仕事をするわけですよ。今まで8時間かけてた仕事を4時間でこなして、残り4時間は 勉強に充てようとか、ボランティアをやろうとか、介護や育児に回すこともできる。24時間365日、自主的に時間を管理して、自分の裁量で働く、これは労働者にとって大変プラスなことですよ。

 自己管理しつつ自分で能力開発をしていけないような人たちは、ハッキリ言って、それなりの処遇でしかない。

 格差社会なんて言いますけど、格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう。能力には差があるのだから。下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。そう言って甘やかすのはいかがなものか、ということです。

 さらなる長時間労働、過労死を招くという反発がありますが、だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。

 自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。挙げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい。

 たとえば、祝日もいっさいなくすべきです。24時間365日を自主的に判断して、まとめて働いたら まとめて休むというように、個別に決めていく社会に変わっていくべきだと思いますよ。

 同様に、労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと。
「残業が多すぎる、不当だ」

と思えば、労働者が訴えれば民法で済むことじゃないですか。

 もちろん経営側も、代休は取らせるのが当然という風土に変えなければいけない。うちの会社はやっています。だから、何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければならないのかと思っているわけです。



 (『週刊東洋経済』2007113日号より)



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 全文に渡って、経営者側による自己中心的な発想であるばかりか、働く者が人間であるということが忘れられている。

 職場を構成し運営するのは個々の人格を持った人間であり、無機物ではない。その場における人間の感情や思惑を含めた人間関係は、業務進行に大きく関わってくるものだ。むろん職場が違えば、そこにいる人間も違ってくる。環境も条件も異なる。つまり、自分の職場と他の職場では、あらゆる意味で条件が異なるのだ。自分のところでうまくいったからといって、他でもそれが通用するとは限らない。「これをこうしたら、必ずああなる」などと単純にいくものでもない。

「だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない」(奥谷)

 

 確かに経営者は、「過労死するまで働け」などと(思っていても)言わないだろう。しかし、問題はそこではない。労働者が自己管理(つらいから仕事を調整し、自身の安全と健康を保つ)をしようにも、実際にはそれを許さない状況にあることが、現代の根本的労働問題なのだ。

 今日休みを取れば、翌日以降にさらなる過重労働が加わる。製造業などは、特にその傾向が強い。自己管理により充分な休息をとった労働者は、企業からはまともな扱いを受けられるのか、正常な労働、生活が保障されているか。嫌がらせひとつ受けないか。現実には、そう簡単ではなく甘くもない。ちょっとでも自己主張すれば、無能なボスどもはこぞって弱い立場の者をつるし上げる。これが、日本の企業の実態だ。

 加えて、日本は転職(ことに三十代以降の)に厳しい社会である。そこにつけ込んだ経営者どもは、ますます労働者に対し暴虐となる。

 こうした現実を少しでも考える能力があるなら、労働者を一方的に非難などできないだろう。

「格差社会なんて言いますけど、格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう。能力には差があるのだから。下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。そう言って甘やかすのはいかがなものか、ということです」(奥谷)

 甘やかされているのは、奥谷自身であろう。頂点に立つ者が、下の者が抱える現実を正確に捉えようとせず、使う側にだけ都合のいい条件を並べている。

 上手くいかないのは、本人の「自己管理」が悪いせい。そんなやつは切捨てられて当たり前――

 こんな短絡思考ですむならば、誰も苦労はしない。己の立場に胡坐をかき、環境に甘やかされためでたい者であるがゆえに、他人の苦しみがわからないものとみえる。

「労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと。『残業が多すぎる、不当だ』と思えば、労働者が訴えれば民法で済むことじゃないですか」(奥谷)

 実際にはそう簡単に済んでいないからこそ、社会的な問題になっているのだ。いやしくも企業の頂点に立つ者が、この点をまるで理解していないのだから呆れる。

「何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければならないのかと思っているわけです」

(奥谷)

というセリフには、単なる無知ばかりか、人間を知らず知ろうともしない驕りさえ見える。

 以上、奥谷発言について真面目に採りあげてきたが、よく考えると、こんな人物を相手にするのは、かなり馬鹿げたことではある。あまりにも他人を侮辱した倣岸な発言のわりに、たいして話題にもならなかったのは、ハナで哂って相手にしない人が多かったせいかもしれない。

 「ザ・アール」のサイトにあるプロフィールを見る限り、この人は地位も名声もほしいままにし、出世街道を順調に進んできたようだ。もともと能力がある優秀な人なのか、努力の成果かはわからないが、とにかく成功者であろう。

 こういう人間は、いわゆる能力の低い者や怠け者よりも始末が悪い。成功者の自負はえてして他者に対する見下しにつながりやすいのだ。多くの肩書きがあるから、いかにも視野展望が広いように見えるが、実は、たまたま順風満帆だった自分の周囲しか目に入っていない。その証拠に、上記のような見解の狭い主張をしてはばからない。反論されれば、

「低能力者の僻み、妬み」

の得意語で、片づけてしまうのだから、結構な身分である。


 奥谷社長は、また別の取材(朝日新聞)に対して、

「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾だ。倒産しても、会社は社員を守ってくれない。早くから自律的な意識をもつべきで、労働者への激励のつもりで発言した」

などと話している。

 自身が経営者側の立場にいるのだからなお、弱い立場にいる者を非難するより、まず経営者側である「お仲間」の改革を率先してはどうか。