過労死者を出すような会社の社員は、まず判で捺したように、
「みんなそうしているから」
「もう少し頑張れば、なんとかなる」
という呪文を唱えながら忍耐を重ねるうち、諦めてしまう。どうせ何を言っても、採りあげられないどころか憎まれ、待遇が悪くなるだけなのだ。転職しようにも、この不景気では身動きもとれない。かくして、労働者は上の言いなりにおとなしく働くしかない。
まさしくこれは、企業の思うつぼである。端から見れば明らかな悪条件でも、
「他はもっとひどいんだぞ」
「うちなんかはいいほうだぞ」
「うちをクビになったら、どこへも行くところはないぞ」
などと騙し脅し、文句を言わずに有難く働けと、操り洗脳する。客観的に見れば、どう考えても理不尽この上ない条件環境だというのに、洗脳される人がことのほか多い。
「日本の労働者は実にマヌケマジメである」
外国人がよくそう言って感嘆するのは、なるほどもっともである。
こうした過重労働問題が出ると、
「そんなに仕事がつらいなら辞めればいいのに、続けたのは結局自分の意志でしょ」
という声が必ず聞こえるが、そう単純にいかなくなっている現実こそが、今日の社会問題なのだ。そこをよく見るべきである。
まず、自分達の権利(人権はむろん、労働者として持つ当然の権利全般)について無知である労働者が、あまりにも多い。それをいいことに雇用者が増長し、無知な労働者を酷使する。労働者は簡単に騙され洗脳され、会社の都合どおりに振りまわされ、極限状態に来てさえも自身を守れない。
「半年間も無給残業が続いたが、来月は2日間も連続で休める~♪」
「今回は、ボーナスが半分出た♪ 前回はまったく出なかったのに」
なぞと、つまらぬことを有難がっている労働者が、予想以上に多い。驚くのを通り越して、なさけなくなる。
一方、
「こんな生活を続けるぐらいなら、死んだほうがましだ」
と叫びだし、実際に身体を壊して退職した同僚がいれば、
「よかったなー、堂々と会社辞めることができて」
なぞと、的外れな祝福をする。
さらには、会社とはなんの関係もない通りすがりの者までが、
「忙しいのはあんたのところだけじゃない、ウチだって云々。他だって云々」
なぞと過労自慢をしては得意がる。単なる自慢ならまだいいが、実際に不幸が起きた人あるいはその遺族に向かってまで言う馬鹿者がいるのだから、話にならぬ。死者を冒涜してまで見当違いな自慢をして、いったい何になるというのだ。
こうした人間がけっして少なくないのだから、やはり日本の労働者意識は途方もなく低い。このようなお節介の自慢屋の存在も手伝い、死者を出してさえ企業は少しも反省しない。
「そうさ、もっと大変なところは、たくさんあるんだ。過労死するのは、ウチだけじゃない」
なぞと、トップどもはいっそう調子づき、はしゃぎだす。
「従業員を過労死させるのは、悪事にはならない。なにしろ、どの会社もみんなやってることなのだから」
というみごとな屁理屈をこねあげる。どの会社もやっているなら、無給酷使も人殺しも合法だというわけだ。連中は単にバカだというより、そこまで労働者を見下しているのだ。使い捨ての雑巾ほどにしか思っていないのだ。さらに、世の中がそれを許容しているのだ。「サービス残業」なぞという言い方からして、会社側の都合だけに従ったサービス精神強制の表れである。