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看護師ayamiの海外医療ガチblog

国際医療協力活動のマネージメントに日々奮闘中の看護師の日記。ジャパンハートのミャンマー・カンボジア・ラオス・日本での活動の舞台裏を紹介します。知られざる人間ドラマやちょっと笑える珍事件など盛りだくさん!アジアの子供たちの笑顔や料理なども写真でお伝えします。

看護師ayamiの海外医療ガチblog-ふーちゃん

ヤンゴン事務局で活躍中のインターン深尾さん。(あだ名はふーちゃん)
彼女は本当であれば大学3年生の21歳。

看護大学を一年休学し国際医療協力の現場でインターンシップ生として参加しています天使

ミャンマーにきてから早くも半年が経過クローバー

最近思っていることを聞くと、
「将来への近道なんてないんだなと思いました。
海外医療をするために日本でどんな準備が必要なのかを知りたくてきたけど、
何年日本で働いても結局現場でしか学べないものが多いことがわかりました。
そう思うと、自分がやりたければまず現場にいく!のが大事なんですね」


ほーほー
結構考えてるじゃんねこへび


のほほんキャラのふーちゃんですが、
ミャンマー語は半年で会話だけでなく文字も読めるようになったらしい目
いつもはヤンゴン事務局で東京本部との窓口、日程調整、来客対応、データーや写真整理などのデスクワーク。
そして時々医療現場。
今までは現場に多く行っていたようですが、前インターンが抜けたので彼女はヤンゴンに。
もれなく私と一緒に働いているニコニコ


インターンであろうがなかろうが、厳しいことも言います。
だって、こんな経験は看護師になったら当分できないでしょ。


ナースショック!彩未
看護師ayamiの海外医療ガチblog-日本人墓地

ヤンゴンの日本人墓地に行ってきた。
6年前、医療活動を行っているザガイン近くのマンダレー日本人墓地に行ったきりだ。
ミャンマーでは第二次世界大戦で約20万人の日本人が命を落としている。


一人ひとりの名前が刻まれた墓石はミャンマーの直射日光で干からびていた。
中には名前が消えてしまっている墓石もある。
誰のお墓だったのだろう。。。
もうここにお見舞いにくる家族や親せきもいないのだろうか。


持参していたお線香を一本ずつ置いて行った。


そういえば、私の祖父も当時のビルマに兵士として派遣された。
祖父が生きて戻ってくる前夜には、風呂場に白蛇がでたらしい。
母は玄関先に近づいてくる編み上げ靴の土を踏む響きをまだ覚えているといった。
こんな話を母がしてくれたのは、6年前私がジャパンハートに初めて参加することになった時だ。
当時の私はミャンマーの位置すら知らなかった。


「ふーん。おじいちゃんが行っていた国か」
そう思わなければ、ミャンマーに行っていなかったかもしれない。

一つ一つの墓石の前で立ち止まり、ふとここに眠っている人の中に祖父の戦友がいるかもしれないと思った。


一本ずつ置いていったので、持って行ったお線香が途中で全部なくなった。
また今度もきます。
そう約束して慰霊碑を後にした。


ナースショック!彩未