”レベルの低い「普通」で落ち着くのは面白くないか。” | マイペースで歩こう☆

マイペースで歩こう☆

ノスケから⇒全ての発達障害児とその家族へ。
『チャンスは常に目の前にある。自主性を持つことが一番大切。自分らしく在りつづけることです( ̄∀ ̄*)』






まったくもって、キミの言うとおりさね!( ゚д゚)





限界を決めるのは、ちがう。人間とは、加齢に関係なく生きている限り発達し、常に可能性を生み出す生き物。それがこの地球上の生物としての唯一であり、覇者たる所以。

意思を持ち、意思に貪欲だからこそ。
足掻く、という感情を、他の何者よりも強く持つからこそ。




ゴール。合格ライン。何もいらないのだ。

なりたい自分になること。なりたい自分を想像すること。なりたい自分を望むこと。

何よりも、障害の診断名を枷に特性への対処や他人からの評価に振り回されてはならない。
壁にぶち当たる瞬間に、周りからの対応だけに頼ってはならない。
ぶち当たるなら、破って次を探すくらいの〝自分に対する希望〟を持て。



ソナタ氏の次女姫には、いつも未来への希望がある。
落ち込むとき、次女姫なりに悩むとき、それは本人にしかわからぬ葛藤だと思う。それでも、必ず可能性しか見出さぬ意思に、私は拍手を送る。
野に咲く花のような、強く鮮やかな強さを。私はいつも愛おしく思うのだ。


人間は、ひとりひとりが華ある人生を歩んでいる。咲かせるのは、その人の意思のチカラだと思うのだ。
生きることは、常に失敗と成功の繰り返しで。人は切磋琢磨して成長していく。その経験全てが人生に色をつけていくもの。両方あって初めて彩りが生まれるのだ。
成功だけでもダメだし、失敗だけでもダメだ。だからこそ、〝障害だから〟という先入観や思い込みで自分を諦めるべきでは無いし、チャレンジすることに尻込みするべきでは無い。

追い求め、のぞみ。希望することが人生だ。
まさに、次女姫が実践している生き方そのもの。誰よりも強く、凛と生きていらっしゃる彼女。


姿かたちは異なるけれど、心が一番親御様に似たのは次女姫である。
人は、診断名の有無にかかわらず、〝どう在ろうとするか〟である。人生を決めるのは、他の誰でもない『自分の意思』そのものなのだから。
そりゃー子供の人生が一番似た親御様を踏襲することなぞ当たり前のことですに( ˘ω˘ )

ヴィオラ家の皆さまを見るとき、私には赤に近いどピンクのお母さん、青い長女姫、真っ黄色な次女姫、パールホワイトな鉄兄と『四輪の大輪の薔薇』が見えまするよ。
お母さんの生き方を受け継ぐからこそ、ですね。




で、かくゆう私もまた
自閉の息子さんを他人の荒波なんかに入れてどうするの。壊れちゃうよ。

と嘲笑されたクチであるが(笑)
今ならこう言おう。



いーんだよ。ウチはぶっ壊してから修理に出すんだから。


テレビは叩くとキレイに映る( ˘ω˘ )
たまにポンポンして調整して。フツーの皆さまがデジタルテレビならば、ウチのノスケはブラウン管なのだ。
みっくという母親をチューナーにし、今日もそれなりにキレイに映ってますよ。

えぇ、発達障害という名の〝アナログ〟ですからね☆