古刀の時代にどのような製鉄と製鋼が行われていたかは、あまりよく分かっていない。
中国古代製鉄の技術が北東アジア全体に伝わっていたとしたら、炒鋼法をやっていたはずである。
すなわち、まず銑鉄をつくり、それを小分けにして脱炭して鋼をつくり、それを刀剣の材料にしたはずである。
だから、間接製鋼法である。
ただし、銑鉄を脱炭させるのがむずかしい。
奈良時代の遺跡からロストフのような隙間のある受け台とその下の空間のある炉が見つかっています。
このロストフ、これは粘土で作ったものですが、の上に小分けにした銑鉄をおいてその上に炭をのせて火をおこし、強い酸化炎で上から焼いていたようです。
溶けたノロ分はロストフを通ってしたに落ち鋼ができます。
これが奈良時代の製鋼だったようです。
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