「20歳の時にリベラルでないのなら情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないのなら、思慮が足りない。」というウィンストン・チャーチルの言葉から僕か思ったのは、分裂症は20代の発症が多く、鬱病は40代の発症が多いということと関係があるのではないかということである。
つまり、リベラルがうまくいかず分裂症になり、保守かうまくいかず鬱病になるのではないかという仮説を立てたい。無論それは一般の意味での分裂症なり鬱病なりを考えている。
僕が読んだ精神医学の本は木村敏だけであるから、一般の精神医学の動向がどうなっているかはわからない。ただ木村氏の症例から先の仮定というのは強ち間違いではないのではないかと思われる。
現状を打破したいのが分裂症親和型で、現状を保ちたいのか鬱病親和型である。現状の打破というのはそのままリベラルの考えであるし、現状の維持というのはそのまま保守の考えである。木村敏の本を読みつつそういうことを考えた。
自分はリベラルでも保守でもないと謂う人でも、現状維持か現状打破かその2つには分かれるのではないかと思う。その広い意味にリベラルと保守を捉えるとすると、木村敏の言うように分裂症質とメランコリー病質の2つに分類できるのではないかと思う。
もちろん離人症のようにどっちにも分類できない、第三の狂気もある。その場合は、分類上もリベラルとも保守とも言えないのではないかと思う。