現地の観光局で働く協力隊員とプロジェクトの方で、少し観光をしました。
島の南端にある旧日本軍の建てた通信基地跡を見に行きました。今は教会系の高校になっていて、太平洋州の灘高校と言われているそうです。太平洋州の様々な国から、学生が集まってくるそうです。
男子学生は寮に入り、女子学生は島内のお宅にホームスティしています。
実は帰る日も朝から大雨。やっとのことで高台の通信基地跡に着きました。見晴がいいはず、ですが雨で視界がはっきりしません。
通信基地の建物も、一部補修して利用されています。右側の壁は戦中のまま。壁の穴は攻撃を受けた跡だそうです。
壁も厚く、鉄の扉も頑丈です。
爆弾が投下された跡が天井にありました。鉄筋コンクリートの、鉄筋がむき出しです。密に配筋されていて、強固に設計されていたことがうかがえます。
建物の外観。通信基地を建設した馬淵組(馬淵建設)が、戦後補修したとのこと。当時の様子をできるだけ残す工夫をしたそうです。
中庭にはアメリカのスクールバス。
このアメリカのスクールバス、日本の支援で寄贈されたそうです。不思議な感じがします。左前方には教会建物があります。
貴重な史跡を見ることができました。観光局に勤める協力隊の方のガイドがあったのはよかったです。
降り続く雨に、だんだん、午後の飛行機が飛ぶのか不安になっていました。
空港で無事チェックイン、搭乗口まで入って待っていると、飛行機が到着。この雨風の中、パイロットの技術に拍手を送りたい気分になりました。
機内サービスが終わりひと段落していたところ、機内アナウンスで燃料系統に問題ありと流れました。
安全のしおりをチェックしろ、前の座席に手を組み頭を付ける姿勢を取れ、胸ポケットは空にしろ、と指示が飛んでいます。
隣の老夫婦のご主人は移動には補助が必要な様子でした。緊急時にも最後に降りてもらうことになる、などと案内されていました。いきなりお前は英語がわかるか、と聞かれ何事かと思っていると、隣のご主人の補助の際には手を貸してほしいとのことでした。彼らは通路側にいて、自分は窓際に座っていたからでしょう。
それでも航行は順調そのもの、のような感じです。事の重大さがイマイチ実感できず、能天気に任しといて、と先の要請にも応えていました。
結局無事にグアムに着陸しました。すぐに消防車数台に併走されました。離れた場所で停止、点検していると、やはり燃料漏れがあるという。そこから空港ターミナルまで牽引されていきました。
老夫婦とはその後、どこから来たなどと旅の話で盛り上がりました。
グアムではアメリカンなステーキを堪能しました。