20世紀に入って初めて西洋文化に触れるようになった言われるパプアニューギニアの山間部。よって、現地で外界からの影響を受けることなく続けられてきた伝統的な生活様式が、20世紀の産物、カメラによって記録されている。貴重な資料として人々の関心を招いている。
例えば、
1930年代に撮られた写真。女性が子供と子豚に乳を与えている。ブタと寝床を共有することなども行われていたが、衛生面を考慮するような行政指導も入り徐々にこうした習慣は無くなりつつあると聞く。
これは文化人類学分野で関心を集めるような、やや極端な事例かもしれない。
パプアニューギニア山間部でコミュニティによる道路整備を技術面と資金面で支援する活動の中で、現地の人々の結集力、人力施工の可能性に驚かされることが多い。
長さ約10メートル直径約40cmの丸太が山から切り出され、橋をかける川まで引っ張られていく。橋の長さを見て大きさを提案し、木の所有者への代金支払いの支援をした。
コミュニティリーダーがあとは任せろ、と人々を集めて調達実務を開始したのである。コロを使いながら少しずつ進んでいく。でこぼこのある傾斜面を引っ張っていくことは、時に丸太が跳ねることもあり近くにいる人は飛び下がってよけることになる。
別のコミュニティでは砂利を延長約4 kmにわたって人力で敷き詰めた。
整備された橋や道路を見て満足感を覚え、人々の笑顔に貢献できたと素直に喜び、自分達の活動に自信を深めていた。
一方で上記のような土木工事は、オフィスワーク・研修活動とは違いどうしても怪我などの危険が伴う。そのリスクは誰がとるのか?コミュニティ自身?技術面・資金面で支援した国際援助機関?
外国人として、そのリスクを予測し最小限にするような指導をコミュニティにすることが第一だと思う。そのうえでコミュニティが自分達の活動の中での事象と捉えるような共通認識を事前に持ち、文書にしておくことかと考える。だからと言って何かあった時に、外部者が知らん顔をしていられるわけではないけれど。
先の記事で紹介したケース。
事故発生後の対応を最大限支援し、プロジェクトメンバー全員でお悔みに行った。外国人コンサルタントが現地に行く、ということで国際援助機関のパプアニューギニア事務所長が身の上を心配して電話してきてくれた。逆恨みの対象となることを心配してのことだ。これまでのプロジェクト活動を通して培ってきたコミュニティとの関係、現地人スタッフの助言をもとに適切と判断したお悔み訪問。首都にいる国際機関お抱えの安全担当部署も判断がつかないという結論。
実際のお悔み訪問では、こちらの誠意が伝わり素直に受け入れられたように思う。サトウキビのお返しをその場でいただいた。また今後プロジェクト活動を続けることについても同意を得られた。
これで今後は通常どおり、とはいかない事情・現実はあるけれど、人と人のつながりを大切に進めてきた本プロジェクト活動のやり方(心配をかけてしまったお悔み訪問も含めて)に間違いはなかったと確信した。