夫が子どもたちを連れて義実家に行っていて、時間があったので急遽見に行ってきました!
事前に妹が見ていて、ざっくりとした話は聞いていたのですが、妹はあまり内容を理解していなかったようで…笑
自分も見てみて、妹が理解できなかったポイントがわかりました。
言うなれば時代背景です。
考察…とまではいかないのですが、ジブリ好き、歴史好き(日本近世史で修士卒🎓)、そして子どもを持ち、さらに妹もいる私から見て気付いたこと、思ったことを徒然なるままに書いてみようと思います。
おのこもすなる日記といふものを、女も書いてみんとするなりというわけでネタバレあります!
まだ見てない方はご注意!!!
よろしいですか?
ハイ。
今回のジブリ新作「君たちはどう生きるか」
ストーリーの考察はいろんな方がされているので、私が特に気になった時代背景や人物設定について…
舞台は第二次世界大戦中です。
サイパンが陥落した、と作中で父親が話しているので後期(1944年)ですね。
これ以後、本土の空襲が激化します。
実際に主人公はおそらく東京在住だったようですが、母親が入院していた病院が火事で焼けてしまい死去。遺体は見つからず。
主人公と父親は母の実家に疎開します。
そして父親は母の妹と再婚。つまり主人公から見て伯母が継母になるわけです。
現代の感覚からしたら「妻の妹と再婚!?」となるところですが…
結婚が家と家の繋がりである戦前戦中の時代ではままあることです。
妻が死んでしまい、その妹と結婚する
夫が戦死してしまったので、弟と結婚する
どちらも、よく聞く話です。
まずここで「????」ってなると、この後のストーリーがなかなか入ってこないのかな…と妹を見てると思いました。
戸惑う主人公真人をよそに、新しい母であり伯母の夏子と父親はなんかイチャイチャしてるし前向きです。
夏子はおそらく、姉が存命時から義兄に憧れがあったんでしょう。田舎のお嬢さんである夏子にとって、都会でバリバリ仕事をしていて洗練された雰囲気の大人の男はカッコよく見えるのだと思います。
なので姉の後釜でも、結婚できたのはうれしい。子どもができてもっと嬉しい。初登場の夏子からは、そういうちょっと浮かれた感じがします。
それがまたちょっと奇妙で、若干気持ち悪い。
いきなり母を失ったばかりの継子の手をとって自分のお腹に当てさせて「赤ちゃんがいる」なんて、配慮がなさすぎます。
真人はさぞ困惑したことでしょう…
父親は軍需工場(戦闘機?)を経営しています。
父親は、「子どもには母親がいなくては」と信じている。これは当時の人からすれば当たり前の感覚かと思います。「全くの他人よりは、血のつながりのある伯母のほうがもっと良いだろう」とも、たぶん心の底から思ってる。
さらに新しい工場を疎開先に作っているように(おそらく母の実家が土地を提供した)、母の実家は父にとって経済的にも繋がりがある状態ですので、母の実家との縁は切れません。
つまり母の妹と結婚することは、自分にとっても両家にとっても、そして子どもにとっても最も現実的で最適な選択なわけです。
そこに彼の中で迷いや疑問は一切ない。
その上その新しい妻は自分にベタ惚れなわけですから、「全部うまくいってる」と意気揚々としているのでしょう。
妻を喪ったことによる悲壮な感じは作中一切ありません。真人の戸惑いや哀しみに寄り添うことはありませんが、これも…当時の男性としてはそれほど変なことではないと思います。
そもそも父親は商売人で教養もあり、家長である責任感のある人なのだと思います。
自分に課せられた役割や仕事を全うすることに生きがいを感じるタイプ。そこに疑問を差し込む余地のない人です。
彼にとっては戦争も「飯の種」。
体制に傾倒するわけでもなく、批判するわけでもない。戦争の是非や人殺しの道具を作ることの葛藤などはなく、仕事にやりがいと使命感を感じている。
ある種サバサバした印象がありますが、かと言って家族が大事じゃないわけではない。彼は彼なりに家族を大切に思い、頑張って働いている。普通の人なんだと思います。あくまで「強者」として生まれた真っ直ぐな人なんでしょう。
でも、真人からするとおそらく「お母さんが死んだのに哀しみもしない人」って思われてそう。
新しい家は高台にある豪邸です。妊婦にそんな階段登らせんなよ!と思うほどの段差。
「初めてだから」正面玄関から入り、勝手口を通って中庭に行き、純日本家屋の母屋とは違う洋館の離れに真人は案内されます。
この家の人間(使用人以外)は夏子しか出てこないのですが、母屋ではなく離れに住むことになる…ということは、母屋には本家の人間が住んでいるのだと思います。
つまり夏子の両親、もしくは、兄(弟)一家です。
全く気配がないのですが、わざわざ母屋を通過してから離れに行く描写で、わかる人はピンとくる…今回の映画はそういうことが多かったと思います。
そこが、知らない人にはわからないポイントなのかなと思います。
今の人からすれば、あんな古そうな日本家屋でほとんど会ったことのない親戚と同居するより、オシャレな洋館の方が気兼ねなくていいじゃんと思っちゃいますけど、
当時の感覚からすれば、「家族でもお客様でもなく、疎開してきた余所者」
家族は出てこないけど、真人だけが使用人のばぁばたちとお膳を囲むシーンがあります。
これも、真人はこの家では「本家の人間ではない」という感じがして、1人息子の坊ちゃんとして育てられてきた真人からすれば、「自分の居場所じゃない」と感じたのかな…と思います。
そう、真人は結構プライドが高い。あんまり喋らないし表情も乏しいのですが、最初の方の印象は「坊ちゃんならではの傲慢さ」が見えます。
ちなみに真人たちが生活することになる洋館、たぶん大叔父が生活してたところでしょうね
「本ばかり読んで頭のおかしくなった大叔父」を世間から隠すために住まわせていた離れなんだと思います。
昔のアニメは当たり前のようにあったこと…で、今回の映画でも顕著なのが
綺麗な顔の人=上流階級
ということです。
これは現代日本ではほとんどない感覚ですが、身分の差が激しい時代にはよくある描写です。
ディズニーなんかも、結構これが明確ですよね。
今回の映画も、上流階級(真人、父親、母親、夏子)と使用人は同じ人間なのかというくらい、スタイルも顔も違います。
使用人のおばあちゃんズが出てきた時には一瞬「すわ、妖怪か!?」と思ったほどです。
でもこれはたぶん、真人もそう思ったのです。
都会育ちの真人からすれば、腰の曲がった田舎のおばあちゃんたちは妖怪じみて見えたことでしょう。
でもこの田舎のおばあちゃんズにも少しだけ差があります。
真人と一緒に冒険することになるキリコさんと、夏子の世話をしてるばやあです。
まず名前ですが、「〇〇子」という名前は当時はハイカラな名前です。女性の名前に漢字を使うこともあまりありません。
大正生まれの私の祖母はカタカナ2文字の名前でした。「ヒサ」とか「ウメ」とかそういう感じです。
キリコさんはざんばら頭で意地悪ばあさんと言った見た目。がめつくて口が悪くて、「タバコ飲み」。
他のばやあたちが丸っこくて人畜無害そうなのに対して、1人だけ異色です。
この人物設定で…おそらくキリコさんは町で働いていた人なのかなと思いました。
ずっと田舎で農業をしていたわけではないのだろうと思います。
もう1人、つわりで寝込んだ夏子の世話をしているばあやも1人だけスラっとして穏やかそうです。このばあやもおそらく、女学校くらいの教養があるのだと思います。(他のばあやたちは小学校しか行ってない。下手したら文字も読めないかも)
そういう「格差」が随所に見られる。
でもそれには一切触れない。
それがこの映画の難解さの一端なのかな…と思いました。
長くなってしまったので、ひとまずここまで…!