こんにちは、
スピリチュアルヒーラー・文筆家のミカエラ・レイです。
前々回の記事では、ネット上にあるツインレイ情報について思うことをぶっちゃけました。
ツインレイで稼ぎたい人、ツインレイであることで自己重要感を得たい人にとっては、嬉しくない内容だったかもしれません。
仕事でもそれなりに充実しているし、
まわりの人たちと楽しく過ごしているから、
「ツインレイというアイデンティティは必要ありません」
って、ちょっと感じ悪いかもしれませんね。。
でも、ツインレイがどうでもよくなっていくって、こういうことなのかもとしみじみ思うところです。
かねてからのスピリチュアル好きとしては、ツインレイ概念や情報に違和感がたくさんあります。
そのひとつが「ツインレイプログラム」「ツインレイプロセス」「ツインレイ道」・・・
ツインレイがたどる道・・・みたいな表現がとても苦手です。
マニュアルみたいだし、人それぞれの道があるんじゃない?
根っからの自由人ですし、他の人と同じにされるのが嫌なんです。
知人のツインレイ夫婦が出会った頃は、今みたいなツインレイ情報はありませんでした。
だから、結びつくまでには大変なことがあったと思うけど、情報に翻弄されることもなかったのです。
正しい情報、有用な情報もあるけれど、それは自分で見極めなければいけません。
また、情報を都合のよいほうに解釈してはいけません。
それから、ツインレイ情報の違和感、もうひとつ。
過酷な試練、いくつもの試練、涙の日々、苦しみを乗り越え、戦い、日陰の存在、闇の刺客・・・(書いているだけで苦しくなっちゃう)
メロドラマですか?
体育会系ですか?
スポ根ですか?
っていうワードがいっぱい。
風の時代と逆行している・・・
起きた出来事を「試練」と捉えるか「チャレンジの機会」と捉えるかは、その人の感性によるものです。
試練がたくさんあると感じている=エゴの抵抗がものすごい
ってことじゃないんですか・・・?
(もちろん、既婚だったりお子さんいらっしゃる方はハードルが高いと感じるでしょうし、事故や病気、被災などは試練だと感じて当然です。)
今日のタイトルにはめずらしく「覚悟」という重たい言葉を使いましたが・・・
進むべきは、ツインレイ道ではなく、自分オリジナルの世界じゃないかなと思います。
道であるなら、道なき道・・・
その道のエキスパート、先駆者、開拓者という感じ。
さらに、
歩くのではなく、飛ぶ。
そんなイメージがしました。
後ろは振り返らずに、軽やかに飛んでいくぞ。
改めてそう思っています。
なんとなく区切りがついたのでブログは一旦、お休み。
書きたいことが降りてきましたら更新します。
ココナラでは営業していますので、よろしくお願いいたします。