今回ペーボが解読に使うDNAのほとんどは、30年ほど前にクロアチアのビンディヤ洞窟で発見された、3万8000年前の脚の骨から抽出された。 この骨は発見当時あまり重要視されず、これまでほとんど人に触れられることもないまま、ザグレブの博物館の収納庫にそっとしまわれていたものだ。

 目当てのDNAを取り出す作業は困難をきわめたが、ペーボらは2006年秋に、およそ100万対の塩基配列を解読できたと発表した(同時に、カリ フォルニア州にある米エネルギー省合同ゲノム研究所のチームも、ペーボが提供したゲノム断片を別の方法で解読した)。彼らのサンプルにはほかの生物の DNAが混入しているのではないかという批判は再三あった。だが、ペーボらはその後、解読の精度を改善したとして、昨年までに全体のおよそ2%にあたる、 約7000万の塩基対を解読した。

 「人間とチンパンジーではDNAの塩基配列が98.7%同じことがわかっていますが、ネアンデルタール人はそれよりも私たちに近いはずです」と、ペーボの研究チームで生物数学班を率いるエド・グリーンは話す。

 だが、0.5%足らずのわずかな違いから、この二つの系統がおよそ70万年前に枝分かれしたことが確認できる。ペーボらは、ウズベキスタンとシベ リア南部で出土した二つの化石骨からミトコンドリアDNAを抽出することにも成功した。ウズベキスタンのものは少年の骨で、以前からネアンデルタール人の ものだとされてきたが、今回の解析で研究者たちを大いに驚かせたのは、シベリアの骨もネアンデルタール人のものだとわかったことだ。これで、ネアンデル タール人が、それまで知られていた分布域から2000キロも東まで進出していたことが判明した。

 こうした新たなDNAのデータは、ネアンデルタール人が私たちと異なる種であることを裏づけているように見える。だが同時に、彼らが言語を獲得し ていた可能性があること、また、これまで考えられていたよりも、ユーラシア大陸のはるかに広い範囲に進出していたことも示唆している。いずれにせよ、最初 の疑問の答えはまだ出ていない。彼らはなぜ滅びたのだろう?


 混血があったとしても、それほど頻繁ではなく、はっきりした痕跡を残すにはいたらなかったと、ほかの研究者はみている。マックス・プランク研究所 のカテリーナ・ハルバティは、ネアンデルタール人と初期の現生人類の化石骨を3次元形状計測法で詳しく解析し、混血の骨がどんな形になるかを予測した。今 のところ、この形に合致する化石骨は見つかっていない。

 ネアンデルタール人研究ではこのように、権威ある古人類学者たちが同じ骨を調べて、互いに矛盾する解釈をすることは決して珍しくない。解剖学的な研究は今後も続くだろうが、一方で新たな角度から、ネアンデルタール人を現代によみがえらせる研究も進んでいる。


DNAに秘められた素顔

 DNA解析に好都合な標本が残されていたのは、偶然のたまものだ。先史時代にたまたま人肉食の習慣があったことが、この研究には幸いした。肉がそ ぎ落とされた骨には、微生物などのDNAが混じりにくいからだ。その一つ、エル・シドロン洞窟の骨からは、ネアンデルタール人の外見と行動を知る有力な手 がかりが得られた。

 ライプチヒ大学のホルガー・レンプラーらは2007年10月、エル・シドロン洞窟の骨から、メラニン色素の生産にかかわるMC1R遺伝子を分離し たと発表。この遺伝子に特定のパターンの変異が認められたことから、少なくとも一部のネアンデルタール人は赤毛・色白で、ひょっとしてそばかすがあったと も考えられる。

 だが、このネアンデルタール人の遺伝子に見られる変異は、現代人の赤毛のものとは異なっている。つまり、両者はおそらく同じような環境下で、それ ぞれ独自に赤毛・色白に進化したのだ(日照量の少ない高緯度地方では、体内でビタミンDを生産するために、紫外線をよく吸収する色白の肌のほうが環境に適 応しやすい)。

 この発表のわずか数週間前に報告された、遺伝学者ペーボらによる研究の成果も、驚くべきものだった。エル・シドロン洞窟で出土した二人のネアンデ ルタール人の骨から抽出された、発語と言語能力にかかわるFOXP2遺伝子に、現生人類と同じ変異型が認められたというのだ。この遺伝子は、脳の働きだけ でなく、顔の筋肉を制御する神経ともかかわっている。

 ネアンデルタール人が歌などの比較的原始的な音声コミュニケーションを用いていたのか、もっと高度な言語能力があったのか、まだはっきりしていな い。だが、私たちのように複雑な発声ができる咽頭部(いん とう ぶ)の構造を部分的に備えていたことは、最近の研究で示唆されている。

 現在、ペーボを中心に、野心的な研究が進んでいる。ネアンデルタール人のゲノム、つまり30億に及ぶ塩基対の配列をすべて解読しようという試みで、今年11月に完了する予定だ。

 化石骨に残されたDNAの痕跡は、かすかなものだ。しかも、ネアンデルタール人と現代人のDNAはとてもよく似ている。ゲノム解読では、現代人のDNAが混入しないよう、標本の取り扱いに細心の注意が必要だ。


 ペーボらの解析で、ネアンデルタール人が現生人類と別種であることが裏づけられたようにも思えるが、なぜネアンデルタール人だけが滅びてしまったのかは、依然として謎のままだ。

 よく言われるのは、現生人類のほうが賢く、高度な技術をもっていたから生き残れた、というものだ。最近までは、4万年前頃に欧州で脳の発達上の “大躍進”が起きたと考えられていた。ネアンデルタール人の石器文化は、南仏のル・ムスティエ遺跡で発見されたことから「ムスティエ文化」と呼ばれるが、 石器の種類が限られている。だが、4万年前あたりを境にこの文化は消え、より多様な石器や骨器、装飾品など、現生人類の登場を物語る、象徴的な思考に基づ く表現の痕跡が認められるようになった。脳の遺伝子に起きた大きな変化(言語能力の発達に関連すると考えられる)によって、初期の現生人類が勢力を広げ、 ネアンデルタール人を衰退に追いやったと主張する人類学者もいる。

 だが、考古学的な証拠を見ると、それほど単純ではなさそうだ。1979年にフランス南西部のサン・セゼールでネアンデルタール人の骨格が発見され たが、そのまわりには、典型的なムスティエ文化の石器だけでなく、驚くほど高度な道具類が埋まっていた。1996年には、フランスのアルシー・シュル・ キュール洞窟群に近い別の洞窟で、マックス・プランク研究所のジャン=ジャック・ユブランらがネアンデルタール人の骨を発見。同じ地層からは、動物の歯に 穴を開けたものや象牙の指輪など、それまで現生人類に特有とみられていた、高度な加工を施した装飾品が出土した。

 英国の古人類学者ポール・メラーズのように、こうした遺物が発見されたことは「あり得ないような偶然」にすぎないとみる向きもある。滅びる直前のネアンデルタール人が、アフリカから来た新参者、つまり現生人類の装飾品などをまねしただけだというのだ。

 しかしその後、新たな証拠が見つかった。フランスのペシュ・ド・ラゼ洞窟で、クレヨンに似た二酸化マンガンの塊が何百個も出土したのだ。この洞窟 には、現生人類の欧州進出よりもずっと前に、ネアンデルタール人が暮らしていたことがわかっている。分析したボルドー大学のフランチェスコ・デリコらの考 えでは、これらの塊はネアンデルタール人が体に装飾を施すのに使った黒い顔料で、彼らが象徴的な思考の能力を独自に獲得していた証拠だという。

 ネアンデルタール人から現生人類への移行期には、両者の「基本的な行動は似たようなもので、違いはあったとしてもわずか」だっただろうと、米国ワシント ン大学の古人類学者エリック・トリンカウスは話す。トリンカウスは、ネアンデルタール人と現生人類の混血もあったと考えている。ルーマニアのムイエリイ洞 窟で出土した3万2000年前の頭骨など、一部の化石骨には、両者の特徴が認められるというのだ。「当時はあたりを見わたしても、人影はほとんどなかっ た。その状況でなんとかして相手を見つけ、子孫を残す必要があったのです」