ペーボらの解析で、ネアンデルタール人が現生人類と別種であることが裏づけられたようにも思えるが、なぜネアンデルタール人だけが滅びてしまったのかは、依然として謎のままだ。

 よく言われるのは、現生人類のほうが賢く、高度な技術をもっていたから生き残れた、というものだ。最近までは、4万年前頃に欧州で脳の発達上の “大躍進”が起きたと考えられていた。ネアンデルタール人の石器文化は、南仏のル・ムスティエ遺跡で発見されたことから「ムスティエ文化」と呼ばれるが、 石器の種類が限られている。だが、4万年前あたりを境にこの文化は消え、より多様な石器や骨器、装飾品など、現生人類の登場を物語る、象徴的な思考に基づ く表現の痕跡が認められるようになった。脳の遺伝子に起きた大きな変化(言語能力の発達に関連すると考えられる)によって、初期の現生人類が勢力を広げ、 ネアンデルタール人を衰退に追いやったと主張する人類学者もいる。

 だが、考古学的な証拠を見ると、それほど単純ではなさそうだ。1979年にフランス南西部のサン・セゼールでネアンデルタール人の骨格が発見され たが、そのまわりには、典型的なムスティエ文化の石器だけでなく、驚くほど高度な道具類が埋まっていた。1996年には、フランスのアルシー・シュル・ キュール洞窟群に近い別の洞窟で、マックス・プランク研究所のジャン=ジャック・ユブランらがネアンデルタール人の骨を発見。同じ地層からは、動物の歯に 穴を開けたものや象牙の指輪など、それまで現生人類に特有とみられていた、高度な加工を施した装飾品が出土した。

 英国の古人類学者ポール・メラーズのように、こうした遺物が発見されたことは「あり得ないような偶然」にすぎないとみる向きもある。滅びる直前のネアンデルタール人が、アフリカから来た新参者、つまり現生人類の装飾品などをまねしただけだというのだ。

 しかしその後、新たな証拠が見つかった。フランスのペシュ・ド・ラゼ洞窟で、クレヨンに似た二酸化マンガンの塊が何百個も出土したのだ。この洞窟 には、現生人類の欧州進出よりもずっと前に、ネアンデルタール人が暮らしていたことがわかっている。分析したボルドー大学のフランチェスコ・デリコらの考 えでは、これらの塊はネアンデルタール人が体に装飾を施すのに使った黒い顔料で、彼らが象徴的な思考の能力を独自に獲得していた証拠だという。

 ネアンデルタール人から現生人類への移行期には、両者の「基本的な行動は似たようなもので、違いはあったとしてもわずか」だっただろうと、米国ワシント ン大学の古人類学者エリック・トリンカウスは話す。トリンカウスは、ネアンデルタール人と現生人類の混血もあったと考えている。ルーマニアのムイエリイ洞 窟で出土した3万2000年前の頭骨など、一部の化石骨には、両者の特徴が認められるというのだ。「当時はあたりを見わたしても、人影はほとんどなかっ た。その状況でなんとかして相手を見つけ、子孫を残す必要があったのです」