七条の通♪東の果てまで♪⑥【七条♪明治の豊国廟整備と秀吉墳墓発掘♪】 | 『エアで行く京都めぐり』大田垣晴延のblog♪

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5月24日♪日曜日♪


なんか
さすがに窮屈カンジる

伝書バトさんみたいな今日このごろ…
通勤のついで以外に家出てへん…

(;・ω・)     ヘ( ё)ヘ  




ホンマは

こんな日は大文字山に登りたいケド…
(過去blog:登山編火床編頂上編

(*´-ω-`)ゞ



今は
歩いて行ける範囲でガマンしとかなね…
(((^^;)




鴨川♪七条大橋から♪
七条をひたすら東へ♪東山七条♪

七条は♪智積院の西辺から北辺をナゾるカンジで屈折して、再び東へ♪
平安京の昔は風葬場やった鳥辺野…
今は名門女学校を抜けて…

七条は石段に変わって、あがったら
豊臣秀吉のお墓・豊国廟の境内♪
秀吉の側室・京極氏と孫・国松のお墓に寄り道♪

七条のつづき♪石畳の参道に戻って♪
天まで続いてそぉな
長い長い石段をひたすら上がって…

そのてっぺん♪七条の果て♪
太閤・豊臣秀吉が眠る墳墓・豊国廟♪
眼下に京都市街の展望タンノウしたら…




さぁ♪

そろそろ帰ろっか♪

緑のトンネルの下♪

下界も遠いねぇ…
(((^^;)


最後に、


太閤サンとのナゴリ惜しんだら…



撤収♪
(*≧∀≦*)ノ♪

さっき♪行きにくぐった中門まで♪
めっちゃ急な坂…

目ぇくらくらするゎ
(((^^;)



下見んとこ…


行きは石段上がるん
必死やったし

こんなんキレイとかゆうてられへんかったなぁ…
(((^^;)



実は、

モトモト
太閤サンのお墓が有ったん

この中門の辺りなんやて…
(((^^;)


ソレより上の、

今いてる石段とか
山頂の太閤サンのお墓とかは
徳川の世が終わって
明治になって整備されてできた部分♪




豊臣秀吉が伏見城で死なはったアト…
遺骸は
阿弥陀ヶ峰の中腹、今いてるココに埋葬されて、


フモトの
国松のお墓があった境内一帯(太閤坦=たいこうだいら)
豊国神社が有ったんやけど…



・・・



豊臣滅亡のアト、
徳川幕府が豊国神社を破壊&撤去…

ココ・豊国廟も完全消去するツモリが
ねねサン(秀吉の正室・高台院)に止められて…

ちょっと待ちな!
( ;--)ノ Σ (゜゜;)//●~*    おばけくん十字架



壊すんヤメて、

その代わり修理は禁止で
自然に朽ち果てるにまかせて…
禁止



七条からココ来るまで
まっすぐの参道


ソレさえぎるために、


東山七条から京都女子学園までの間にある
新日吉(いまひえ)神社♪
アレってモトモト智積院の南に有ったん、
豊国廟とその参道の間に移転さして


豊国廟を
新日吉神社の後ろに封印…
日吉丸(秀吉の幼名)のお墓隠すのに日吉神社て、すんごい因果やね…

(;・ω・) バツブルーヾ(▼▼メ)シマに入るんじゃねぇ!!



江戸時代から明治まで300年もの間
いっさいのお手入れナシで
荒れ放題やったん…

もやもや(;ーー)




長い長い
徳川の世が終わって明治になって


明治23(1890)年♪
豊臣秀吉に仕えた黒田官兵衛、蜂須賀小六らの子孫の家柄の当主らが
なんでこんな言い方するかゆうたら…  昔の家(いえ)制度あるあるで、養子で家だけは残っても血筋は先祖と無縁になってるコトが多くて…
黒田家は血筋が藤堂氏に、蜂須賀家なんか徳川将軍家の血筋なん
豊国会を組織して

豊国神社は場所を変えて、
秀吉ゆかりの方広寺大仏の辺りに再興♪
モトモトはココのフモトやったんやけど


明治31(1898)年
ココ・豊国廟も♪
もっと高い山頂に再興♪



めでたし♪めでたし♪
お祝い音符 拍手拍手拍手


ヾ(*≧∀≦)ノ♪ヽ(^^*)ノ♪






…のハズやけど、



実は
歴史好きにはユルシガタイ
大事件もあったんやて…

(((^^;)




豊国廟再興の委員の1人で歴史学者やった
湯本文彦サンの
『豊太閤改葬始末』
(史学雑誌17-1    1909所収)
にある話…




さっき見てきた♪アノ大きい石塔♪
アレ載せるために
しっかり地固めしよぉと掘ってたら



3尺(90cm)くらいのトコから


朱で経文を書いた経瓦が銅線でくくられたんがぎょおさん出てきて…
(秀吉150年忌にフモトの妙法院が奉納したヤツ)


ソレをみんな取り払ったら今度は
骨灰みたいなんが入った胞衣(えな)壺みたいなん2つ出てきて…


その下に平べったい石があって、


サラに掘ってみたら
高さ3尺(90cm)くらいのソマツな備前焼の大甕が出てきたん…
ヘラで『ひねりつち』て文字彫ってたんやて



中には

西向いて手ぇ組んでうずくまったはる
小柄な男の遺骸が!!


ヽ( ; ̄□ ̄)ノ ハッ



言うまでもあれへん思うケド

遺骸はモチロン
太閤・豊臣秀吉サン…



あまりに突然の
豊臣秀吉のお墓発掘!!

マサカそんな見つかり方…
(ーー;)




…チナミに、


最初にもゆうたケド、
ただの地固めの工事中のハナシ…


ソコまでやらはったん
タダの工事のオッチャンたち
瓦見つけた途中でヤメろや !!
(ーー;)




ココまでヤラカシて
やっと
ニブいオッチャンたち大あわて…

ヽ(゜゜;ヽ)≡(ノ;゜゜)ノ



秀吉サン入ったはった大甕…
掘ってる時にぶつけたみたいで
壊れてたん…



豊国会事務所に報告。




で、

呼ばれて出てきた豊国会の幹事ら
コイツらも超ドシロウト


最後のトドメ
大甕を不用意に取り上げようとして
遺骸はバラバラに砕け散り…
ガーン


‥*:・'.:*:・' *:・'°.:*:・'

ヘタこいたぁ~~!         そんなんで済むかぁ~!!アホぉ~!!
<(><; )>  ヽ(ΤΟΤ ≡ ノΤΟΤ)ノ~┻━┻



散らばった遺骨のカケラ
拾い集めて


絹で包んで


発掘された経瓦と
豊国会が作った墓誌をいっしょに
銅の棺に入れて


さっきの大きい石塔♪
に納めてるんやて…

(((^^;)



秀吉サンのお墓
副葬品の類は見当たらへんかったみたいで
盗掘にも遭ってたみたい…


発掘当時の日本
まだまだ考古学知識や技術、制度も発展途上やったとはいえ…


この話書き残さはった湯本文彦サン
石塔の設計段階で、
大きすぎて地固め要るから秀吉サンの墳墓に鍬を入れなアカンし不敬になる!
ゆうて反対しやはったのにスルーされて怒って委員会フケてはったら
こんな事件…


豊臣秀吉を敬愛する奉賛会のクセ
その秀吉サンの墳墓てわかってるトコ掘るにしてはズサンすぎ…
(ーー;)



いったい
ダレのための豊国廟整備やったんやろか…
明治になって、反徳川のポーズのための豊国会やったん疑ってるん…




・・・



中門抜けたら、

新緑かがやく参道♪♪

ココが

モトモト♪
秀吉サンの御前やったんやね…
(*´∀`)♪




行きにちゃんと見ぃひんかった
石燈籠♪

正面に『豊太閤廟前』♪


奥側には…


『明治31年4月1日  平瀬亀之輔源春愛』て彫られてる♪

平瀬亀之輔てダレ…?思て
ググったら、
江戸時代末~明治の大阪の実業家で♪
『最後の粋人』て言われた人♪

平瀬家は、
江戸時代♪鴻池とも並ぶくらいの豪商♪
鎌倉倒幕や室町幕府創立に活躍した赤松則村(円心)の子孫を名乗ってて

ソレで『源春愛』て彫られてるんやね♪

赤松氏やったら♪
源氏は源氏でも清和源氏やのぉて村上源氏やね♪


新緑の隧道♪


墓域や思うからやろか

だんだん地面が近づいて…


なんか
地中とかから出てきたみたいなキブン


屋根と柱だけの
拝殿に帰ってきた♪♪


昔♪
徳川に壊されちゃう前は、
ココら一帯に
豊国神社あったん♪







今は、
なんもないトコやね…




ほら♪

赤い車体のバス♪
プリンセスラインが行くよ♪




Next♪
(σ≧▽≦)σ