ということで、
新大河ドラマ『功名が辻』
の33回目を見ました。
戦国の兄弟の争いについて、織田信長・信行の兄弟争いと、羽柴秀吉・秀長の兄弟愛を例に出す。
今日のテーマは、山内家の兄弟争いのようだ。
山内一豊(上川隆也)は羽柴秀次(成宮寛貴)の宿老となり、今回の戦(九州)は留守居役となった。
一豊はその事が不満で千代(仲間由紀恵)と山内康豊(玉木宏)に愚痴を吐く。
しかし、「康豊は秀次を盛り立てることに集中せよ」と注意すると、
一豊は自分の才能が無い事を理解しており、戦場で功名を立てることしか思いつかないと言う。
しかし、康豊は、『治世の政治を学べ』とさらに畳み掛けると、一豊は康豊を庭に呼び決闘をすることに・・・。
その決闘中、康豊は『戦を望まず平和を望め』と言いかけるが、一豊はその言葉を聞き入れることは無かった。
その決闘を観た後に、千代(仲間由紀恵)と祖父江新右衛門(前田吟)の会話がスタート。
少しボケた祖父江新右衛門は、今回の決闘について母・法秀尼(佐久間良子)に相談せよと言う。
その言葉をうけ、千代は法秀尼(佐久間良子)のところに向かうが、
法秀尼(佐久間良子)は風邪をこじらせ危篤状態であった。
法秀尼(佐久間良子)は、息子たちにはこの状態を知らせずに、自らの使命に集中せよと千代に言う。
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場面が変わり、
羽柴秀次(成宮寛貴)と堀尾茂助(生瀬勝久)と中村一氏(田村淳)と一豊と康豊が城下改革の会議中。
秀次は、信長のような城下を築きたいと4人に言う。
堀尾は琵琶湖から水を街まで引けば、モノや人が集まることを言い、
康豊は、一豊を差し置いて名物(イ草)を作ることを提言。
その行動は、秀次には褒められるものの、一豊の怒りをかうこととなった。
場面は変わり、
千代は、女中に法秀尼(佐久間良子)が何故風邪をこじらせたのかを聞く。
一豊と康豊の兄弟仲を修復してくれるよう、雨の中、神頼みをしていたようだ。
その法秀尼は、千代に息子たちの子供時代の話をしながら、昔は仲が良かったと伝える。
法秀尼は、死期を感じたのか、筆と紙を要求し、遺言を書くことに・・・・。
その言葉に泣き崩れる千代。
その晩、
一豊と康豊と祖父江新右衛門が、母・法秀尼のところへ急遽やってくる。
しかし、時はすでに遅く、法秀尼は息をひきとっていた。
千代は、一豊に遺言を渡し、書ききれなかった言葉を話し出す。
千代 「一豊・康豊、お互いの異なる性分を尊びなされよ」
その言葉の後は、法秀尼が続けて、性格が違うことは素晴らしいことで、
互いに学びあうことを忘れることいけない、ということを遺言として残す。
その言葉を聞いた、一豊は考えを改めなおし、康豊もまた考えを改めなおした。
その言葉を聞いた千代は、逃げ出すように庭に行き、法秀尼との過去の出来事を思い出し、泣き崩れる。
その千代に一豊は近づき、母の最期を看取ってくれてありがとう、と言い、抱きしめる。
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秀吉は、九州を平定した。
淀君(永作博美)と石田三成(中村橋之助)との会話がスタートし、
淀姫は『自分が落ちぬ限り天下統一は無い』という母親と同じような意味不明の言葉を吐く。
場面が変わり、
秀吉は九州でキリシタンの恐怖を感じ、バテレン追放を宣言する。
その言葉に一番に反応したのが、明智玉(長谷川京子)ことガラシャの夫・細川忠興(猪野学)と
その父・細川藤孝(近藤正臣)であった。
細川藤孝は玉を追放せよというが、忠興は断固拒否をすることに・・・。
場面が変わり、
一豊は康豊に妻をとれと命令する。
その言葉に動揺する康豊。 その動揺はすぐに後に描かれる。
バテレン追放が命じられ、キリシタンの寺がボロボロにされているところを
明智玉(長谷川京子)ことガラシャが見て悲しむも、そこに康豊が現われるも
全てを拒否され、関わってくれるなと言う。
その後、恋敵わなかった康豊は他の女性と結婚することになった。
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寧々(浅野ゆう子)・いと(三原じゅん子)・とし(乙葉)・千代(仲間由紀恵)の井戸端会議。
いとは寧々に対し、石田三成が怪しいと言い、その悪口を言う。
寧々は茶々が秀吉の側室になることを言い、いとはそのことを危惧する。
その姿に対し、寧々は「好きにはさせない」と宣言する。
いと・とし両名は、その言葉に声を合わせて絶賛するも、その姿にとまどいを隠せない千代が描かれる。
とはいえ、いと(三原じゅん子)・とし(乙葉)の性格は変わりましたね。
一豊・千代の周りは、変なキャラクターばかりで、何かすっきりしませんね。
場面が変わり、
羽柴秀吉(柄本あきら)は、茶々の側近・大蔵卿局(山村美智)のところへいき、
明日は茶々を側目にすることを宣言する。
その秀吉の行動に茶々は、石田三成(中村橋之助)を呼び、秀吉の行動を伝える。
『サルがついに天下を取りに来た』
と、茶々は意味不明のことを口走るも、三成はそのまま秀吉の子供を生みなされ、と言う。
茶々 「そなたはそれで良いのじゃな?」
と繰り返すも、石田三成は来月嫁を貰うので、さっさと秀吉に抱かれなさいと言う。
茶々は、三成に近づきさらに確認するも、三成は拒否。
茶々 「嘘をつけ、三成、そなたの声が聞こえる、茶々が欲しいと叫んでおる」
と、茶々は妄想し続けるものの、そのことに一切興味を示さない三成が描かれる。
うーん、三成は格好良く好感が持てるけど、茶々はこのままドキュン設定でいくのだろうか?
いずれ、お市と同じで、テレパシーとか使い出すのだろうな(苦笑)。
そしてその夜、
秀吉は茶々のところへ訪れて、城を与える。
秀吉は香が炊かれているのに気付き、茶々は母よりの詩を詠い今宵の行動を拒否するも、
秀吉にはそういう教養は聞かず、秀吉はわが子を生んでくれ、と茶々を抱く。
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場面が変わり、
一豊邸の前に捨て子が捨てられており、千代はその子を抱きかかえる。
この子供はこの後、数奇な運命と共に、生きていくことになる。
次回へ続く。
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バテレン追放令
バテレン追放令(ーついほうれい・伴天連追放令)は1587年6月19日に豊臣秀吉によって発令されたキリスト教弾圧の為の命令。宣教師追放令ともいわれる。
九州征伐後に、博多で発令。吉利支丹を邪教とし、その布教を不法行為とみなし、宣教師の20日以内の国外退去、日本人奴隷の売買と領主の領民に対する入信の強制を禁じている。しかし、南蛮貿易の継続、宗教に関係のない南蛮人は商人以外でも来日を認めるといった内容のため、実際の効果は薄かったとされる。秀吉の狙いとしては、禁教令の効果よりも、日本人奴隷貿易の禁止と、キリシタン大名による南蛮貿易独占を打破することであったと考えられている。また「国郡在所知行等給人に下され候儀は当座の事に候」より大名知行制の確立も窺える。
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次回は、茶々が子供生み、秀次の跡目争いに拍車が掛かってくる。
では、ここまで。