今までも仕事が午前様になる事は普通に有ったのですが、ここんとこ
「おはようございます☀」
になりつつある
若い頃なら全然へっちゃらだったのに、コレが2日も続くと流石にヤバい💦
毛穴の開きに年齢を感じている
こんばんわ味醂です{人手が欲しい。
さて、今回からは
岐阜県。
西国三十三所の2巡目を満願すべく
満願の寺・華厳寺へ
今回は前日の夜中に家を出て翌日にお参りをするプランで行きました
{他にも行きたい所が有ったからね♪
で、
明け方近くに岐阜羽島に到着
あっ
華厳寺なら大垣で降りるんじゃないの
って思った方が正解
いやね・・・
その予定だったのですが高速から見た感じが余りにも暗くて何もなさそうだったので新幹線が止まる岐阜羽島なら何か有るかもって思ってこちらで降りた訳でございます
結果、何もなかったけれど気になる看板を発見
これはっ!
で、仮眠をとって朝イチでやって来ました
こちらは
中観音堂(ちゅうかんのんどう)
夜中に大雨が降ったので駐車場は大きな水たまりが出来てました
そして夜中に発見した看板がコレ
円空誕生の地!!
あっあの円空ゆかりの地に来てしまいました
開くのは9時からなので先に駐車場の周りをぐるりと見え歩く
沢山の円空仏が並んでいますが、お外のは円空が彫ったものでは有りません
円空の彫る仏像が余りにも素敵すぎて、その特徴を真似て彫ったものが展示されています
そして
隣接する建物は
加藤奨家
門の前を守るこの仏像は剣を持っていました。
荒々しいけどキュートで味醂は円空仏が大好きです
こちらに産湯の井戸が有ったと昔から語り継がれていた事から
資料館を建設する際に井戸の復元をしたという事です
それが
円空上人産湯の井戸
説明板
てな訳で先に
~由緒的なん~
中観音堂は1671年に円空によって彫刻された十一面観音を御本尊として自身が住持していた天台宗寺門派弥勒寺の末寺として蓬莱山有宝寺として建立。
水害で亡くなられた母親の菩提を弔うために建てられたと伝わるが資料は残っていない。
1876年に廃寺となり現在は住職が不在のままになっている。
円空上人は1632年、美濃国中島郡中村のこの地に生まれた
17体の円空仏を祀る観音堂とその周辺は中屋敷と呼ばれ、どの家にも小さな円空仏が護持されている。
しかし生家については確証がなく、ただこの加藤奨家の井戸跡が「円空上人の産湯に使われた井戸」と語り継がれている。
by、上の説明板とかネットとかまだ開かないのでのんびり見て歩く
お堂の前の広場にいらっしゃる仏像は全国の円空ファンから寄せられた
平成の円空仏とよばれる仏像
円空上人像
洪水で母を亡くしてから供養の為に出家して全国を行脚した円空上人の姿は修行僧
この像は2008年に建てられたんだって
お外にいらっしゃるからか、もっと古そうに見えますね~
そして
コレっ!好き!!
大きな護法神像
勿論、レプリカなのですが良いよね
本物は同じ羽島の薬師寺に安置されているって帰って来てから調べて知った
嗚呼。。
見たかったなぁ・・・
でっ
このお方も円空さん
さて、そうこうしている内に一台の車がやって来てお堂が開きました
よし行くぞ~
中観音堂
有宝寺(1876年に廃寺)
山号 蓬莱山
宗派 天台宗
御本尊 十一面観音
お堂の中は撮影OK
ありがたや~
住職は不在なので有志の方々が交代で管理しているそうです
とても気さくな方で色々と説明をして下さいました
こちらが
御本尊
優しいほほえみを向けて下さる
十一面観音立像
他にもちょっと変わった
観音像
もうね。。
嬉しすぎて楽しすぎて色々とお話しちゃいました~
大阪から来たと言うと、やっぱりあべのハルカスの円空展の話題になりましたよっ
中観音堂の仏像は出陳されなかったみたいですが、お堂を守って下さっている方々は招待されたそうで大阪に来てたんだそうです
でっ
資料館の方も案内して下さいました
わぁ💕
稲荷大神
御朱印には
円空ストラップが付いてきます
これは全て手彫りなんだって
ここに来て思ったのは円空仏の素晴らしさは勿論なのですが
円空仏が好きすぎて皆さんが彫ったものも円空仏なんだな~
って事
円空の彫り方と言うか技法が円空仏なんだなぁ~って思った
ん
上手く表現が出来なくてもどかしい
円空仏が好きで好きすぎて地元の方や全国のファンに守られている
受け継がれている
平成の円空仏の様に
とても素敵だなって思いましたです
来れて本当に良かった~
味醂でした
中観音堂
住所 岐阜県羽島市上中町526
アクセス