京の通称寺・大福寺 | みー散歩~神社仏閣御朱印めぐり~

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私の悪い癖。。
なんにでも興味を持ったらすぐに喰いつく
そんな悪い癖ニヤリアセアセ
 
余りにも色んなものに手を出し過ぎて、手が追い付かなくなっている今日この頃ハッ
とりあえず
今、熱中しているのは少し前にハマりかけたドール作りバレエ
(多分、覚えている方は少ないと思うw)
始まったきっかけは布が余っていたから服でも作るかキョロキョロびっくりマーク
からの
再燃炎
 
まぁ、すぐに飽きると思うのですがね。。
ってか
ブログの更新が遅くなった言い訳にしては長々書きすぎ~口笛
こんばんわ味醂です真顔{それにしてもジメジメ暑いね💦
 
さて、前回の続き鉛筆気づき
 
革堂を出て、数百メートルも歩かない場所に有りました歩くキラキラ
京都らしい町の小さなお堂キラキラ

昔々は七堂伽藍も有った由緒ある寺院なんだそうです電球

 

こちらが
大福寺(だいふくじ)

下矢印本堂下矢印

山号 瑠璃光山
宗派 天台宗
御本尊 薬師如来
京都十二薬師霊場 第10番札所
京都七福神(布袋尊)
京の通称寺の会(菩提薬師)
 
下矢印由緒記下矢印

~由緒~

推古天皇の時代(593年~628年)に大和国宮田郷(現在の奈良県)に建立されたが平安時代の初めに勅使により京都に移され七堂伽藍を有した。

御本尊の菩提薬師如来は聖徳太子の作と言われていて京都十二薬師の一つである。

朝家からの尊信が極めて篤かった寺院でしたが天明の大火により炎上、今は僅かに面影を留めるばかりである。

幕末には勤王の志士である梅田雲嬪が境内に仮住まいをしていて妻をむかえた。

雲嬪は若狭の出身で尊王攘夷の志を抱き京都に出て同士と交え国事に奔走した人物でしたが安政の大獄で吉田松陰らと共に捕らえられた。

「大福」という縁起の良い寺号により正月には商売繁盛を祈願して商家の出納帳に宝印を授与する習わしがあり、大福帳の由来となった寺である。

by、上記由緒記より

へぇ~電球
お外に五色幕が無ければ通り過ぎてしまったかもしれない様な小さくて町に溶け込んでいる寺院ですがスゲー内容ばかりでビックリでした目キラキラ
御本尊が聖徳太子の作ってのにもビックリでしたハッ
 
さて、御朱印はコチラかな??
下矢印庫裡下矢印

お店と見間違えそうでした上差し

でも・・
私はこんな感じのホッコリしたお寺さんの方が好きかもしれないウインク
 
で、お邪魔させて頂いて
目がキラッキラしてしまいました👀✨

なっ
なんなの?
この小さな可愛いけれど精巧な御朱印はっびっくりハッ

こちらの奥様が書いてらっしゃるみたいで
お母さん{お好きなのをどうぞ~💕
ってキラキラ
書置きかと思いきや直接書いて頂けるものも有りましたよ!!
 
みてっコレ下差し

私と同年代ぐらいの方かしらんキラキラ

器用な方ってこんな方の事を言うのですよね。。

素晴らしすぎましたラブラブラブラブ

 
で、御朱印帳には

摩滅帖と書いて頂きましたお願い

 
月替わりの御朱印ラブラブラブラブ

毎月、来られる方も多いそうです。

納得真顔キラキラ

私も来たいと思っておりますもの飛び出すハート

 
あっ
京の通称寺の御朱印はコチラ↓↓

とてもお話のしやすいキュートで優しい方でした
又、お邪魔させていただきますキューン
 
そんな感じでバイバイ
 
大福寺
住所  京都府京都市中京区麩屋町通二条上る布袋屋町498 
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