太閤下水と町めぐり | みー散歩~神社仏閣御朱印めぐり~

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大阪府を中心に神社仏閣巡りをしています。
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まず先に謝っておこう。
いや、
誰かに謝る事でもないのですが
 
ワタシってば
 
とっても勉強になったり素晴らしい場所だったりに連れて行って頂いて色々教えて頂く機会が有り難い事に多いのですが・・・
 
何故か記憶にドカンと残って
誰かにに伝えたいっ!!
って思う部分が若干ですが人とズレています真顔{自覚もあり。
 
なので今回も
そんな事になりそうなので、誘って下さった方が記事に上げるのを待っていたのですが、
おや??
上げないつもりか
はたまた
他の記事がたまってしまっているのかキョロキョロ気づき
 
てな訳で
タメになる記事は書けませんが
大変と楽しかったんだなぁ~って事だけわかって頂けたら幸いです口笛
 
さて、おもむろに
カキカキ鉛筆
長年住み慣れた街〜大阪〜
寺社めぐりなんかを趣味にしているから人よりは良く徘徊している筈なので
ある程度は分かるかな~??
なんて
甘い甘い!
 
この日はお友達のAT彦さんが誘って下さったお父さん気づき
超マニアックなとある場所へキラキラ
はじめましてのブロガーさんにもお会いしまして
照れつつもテンションMAXダッシュ
 
そして、ご案内してくださる方は
あのAT彦さんが変態と言うレベルのマニアック紳士さんでしたびっくりキラキラ
で、どこに向かうのかと言うと
ココッ!!
太閤下水(たいこうげすい)です
指差し見学の前に頂いたパンフレット
とうとう街の地下にもぐる事となりました爆笑笑い
 
で、コチラの太閤下水の見学は要予約の為
事前に予約をして下さっていましたので照れ{有難いねぇ~💕
予約時間まではご近所の史跡なんかを見て歩きました歩く
 
まずは
住友銅吹所(すみともどうふきしょ)跡
 
場所はココ下差し
現在は公園となっていますが1640年頃に住友友似が開いた銅の鍛錬所跡地です虫めがね
やっぱりコレも銅板なのかな~虫めがね
下矢印案内板下矢印
 
明治9年に銅吹所が廃止された後は住友家の居宅となったそうなのですが戦災で焼失してしまったんだそうです。
今、残っているのは
下矢印ビリヤード場下矢印
何だかポツンと建っていますが貴重なもので独立した建物のビリヤード場の中では日本最古なんだそうですよ上差し
てか、邸宅内にビリヤード場が有るとか・・
やっぱ財閥はすげーなびっくりハッ
で、こちらもおもむろに置かれた
下矢印銅の橋下矢印
レプリカらしいっす虫めがね
そしてこれが一番重要かな??
下矢印銅の精錬炉下矢印
屋外に展示されているもんでケースが汚れて見づらかったけれど
昔の人がどうやって銅を取り出しているのか教えて頂いて勉強になりましたお願いキラキラ
 
 
お次は空堀をテクテク歩くキラキラ
久しぶりに来たら何だか以前より派手になっていました目上差し

飛龍大神に生国魂大神・・更には火産霊大神までハッ

なんだかなんだかスゲー神様勢ぞろいしとりました笑い

こちらは

狸坂大明神(たぬきざかだいみょうじん)
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お次も、ご近所の
榎木大明神(えのきだいみょうじん)
あっ虫めがね
幟の感じが狸坂さんと同じ匂いがする!!
町おこし的な感じでしょうかねっ
綺麗に管理して下さるのはとても有難いですね~ラブラブラブラブ
お父さん{実は榎じゃなくて槐の木上差し
そう、昔の人の勘違いからなのか分かりませんが御神木は槐です口笛
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楠公お手植えって書いてある部分に皆さんが喰い付き気味に会話してる姿が楽しかったですウインク
 
そして別記事でもあげますが
マンダムの社
企業社なのですがしっかり神様祀られていました神社キラキラ
 
てか、空堀ってまだまだ見どころ有ったんですね~ルンルンルンルン
久しぶりに思い出した大坂三十三か所も又、探しに行きたくなってきました立ち上がるキラキラ
 
 
そんなこんなでそろそろメインイベント~立ち上がる飛び出すハート
小学校の前に有った
小さな三角お屋根のコレ下差し
ここから太閤下水が見れるらしい上差し
のですが・・
透明の窓が有るのですが汚れていてボンヤリとしか見えないハッ
下校時間と重なっちゃって
お子ちゃま達がわっしゃぁ〜って集まってきて遊んでおりました爆笑笑い
 
これは教えていただかなければ素通り間違いなしな感じでしたマジで口笛
 
でも、ちゃんと管理されていて
こんな
下矢印案内板下矢印
も有りましたよ虫めがね
~太閤下水(背割下水)~
江戸時代に造られた石組みの下水道で太閤下水の呼称から、豊臣秀吉が行った大坂の町づくりに関連付けられます。
17世紀中頃の大坂を描いた三郷町絵図にも水路が描かれていて江戸時代初期からあった下水道と言われている。
1894年から行われた中央部下水道改良事業により石組み溝の上にコンクリートを打ち蓋をする工事を行い現在の姿になりました。
江戸時代に造られた下水道が現役で機能している例は他都市にはなく町づくりの歴史を示す貴重な資料として一部が2005年度に史跡に指定されました。
by、上記案内板より
 
さて、
大坂の下に潜る時間ですよ~💕
コロナや機器の故障で暫く見学は出来なかったみたいですが昨年から再開したそうですウインク
市の担当職員さんが案内して下さいました歩くルンルン
ここから下水に下りれます歩く
お父さん{現在も使用されている下水ですので匂いがキツくて気分が悪くなった方はすぐ言うてくださいねキラキラ
って職員さん優しいし・・
何だか仕事愛を感じましたOK
 
でもって・・
日焼け対策でマスクしていて良かったとシミジミ思ふ真顔キラキラ
豊臣秀吉が大阪城を築城する際に原型が造られた下水溝で
溝の石は生駒とか六甲とかから運ばれたんだそうな虫めがね
 
撮影OKって事で
中を覗く~目キラキラ
流れも水量もわりと有りました
この流れは高台から大阪湾の方に流れていく自然な感じなんだって
ってか
もっとちゃんと説明して下さったのに頭では理解したのに説明ってムズイ💦
 
お父さんAT彦{暗渠好きのタモリさんも来たんだそうです。
って教えて頂いた気づき
調べたらブラタモリで取り上げられていてわおっ気づき
 
他にも色々と教えた頂きましたお願い

 
さて、地上に戻りまして立ち上がるダッシュ
二班に分かれていたので次の班が戻ってくるまで
案内して下さった職員さんが
雑学を💕
まずはマンホールの蓋下差し

ここの澪標(みおつくし)※大阪市のマークねっ

上の▽を隠すと↑矢印になるのですが・・・

お父さん{この矢印の方角に向かって水が流れているんです!!
びっくりおおっ!!
 
他にも
お父さん{昔、まだ下水がちゃんと整備されていなかった頃は生活用水と下水は別々に処理されていて
下水(糞尿)は肥料として売られていたんですが・・
平民より大名の糞尿の方が高く売れたらしいです!!
お母さんin〇サン{やっぱり食べてるものが違うから~(笑)
 
おおっ💕
やっぱり何気ない会話の中の雑学って面白い!!
 
 
そんなこんなな感じで
凄く素敵マニアックな方々とのんびり町歩きをして凄く暑い日でしたが
とっても楽しかったぁ~ハートラブラブ
一人でも時間が有る時に又、市内を徘徊してみたいと思う
そんな味醂でした。
 
誘って頂いて有難うございましたお願い
ではでは
割り込み投稿になりましたが次回は滋賀の寺社の記事に戻ります
味醂でしたバイバイ