岩屋寺 | みー散歩~神社仏閣御朱印めぐり~

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大阪府を中心に神社仏閣巡りをしています。
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GW真っただ中の、良く晴れた日晴れ
いつものメンバーとお久しぶり~なお友達と一緒に滋賀へお参りに行って来ましたウインク
 
車での大移動~車ダッシュ
私がナカナカ土日に休む事が出来ないもんだから、皆で遊びに行くのは久しぶりルンルンルンルン
朝早く寝て朝早く起きてお出かけしてきましたです立ち上がる気づき
 
車は京都から山科を抜けて滋賀へ車ダッシュ
途中、凄く久しぶりな寺院へ立ち寄って頂いちゃいましたちゅーラブラブラブラブ
 
むか〜し昔、って程は昔でもないのに思い出せない。。
あの頃はスマホでマップなんて見れなかったのに私みたいなもんが見知らぬ土地を良く歩いて目的地まで行けてたなキョロキョロダッシュ
 
あれから何年経っただろうか
すげー久しぶりに来た
近畿三十六不動尊の
岩屋寺(いわやじ) 

新緑が目に優しいキラキラ
 
下矢印寺標下矢印

あの頃の記憶が曖昧になって来てるって感じた。
あれ??
もっと山手の方に有った様な気がしていた爆笑
年齢と共に色々忘れていく笑い
ですが
どうやらコチラの尼僧さんはあい変わらずお元気らしいウインク
今回も会えるかな歩く飛び出すハート
 
下矢印由緒記下矢印

まずは
〜由緒〜
897年、宇多天皇の命により隣接する山科神社の神宮寺として創建された。
創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つでしたが現在は曹洞宗永平寺派に属しています。
赤穂義士・大石良雄(通称は大石内蔵助)の隠棲地として有名で大石寺とも呼ばれている。
御本尊の大聖不動明王は智証大師作で大石の念持仏であったという境内には遺髪塚や宅址も残っている。
一時は老廃するも京都町奉行の浅野長祚らの寄付を受け再興した。
by、上記由緒記など
 
近畿36不動をお参りしていた頃はまだブログをやっていなかったからあっぷUPカメラキラキラ
 
まずは石段の下の
下矢印大石稲荷社下矢印

大石・・・
そう、
この岩屋寺は忠臣蔵で有名な
大石内蔵助のゆかりの寺院ですお願いキラキラ
 
下矢印石仏さん達下矢印

 
そして
下矢印境内図下矢印

 
さて、お参り歩くダッシュ

新緑が目に眩しい~キラキラキラキラ

 
境内には
下矢印大石辯財天下矢印

 
下矢印手水鉢下矢印

手は浄めたつもりで口笛
 
下矢印本堂下矢印

後ほど拝観させて頂いたお願い
山号 神遊山
宗派 曹洞宗
御本尊 大聖不動明王
近畿三十六不動尊 第24番札所
あっ!!
尼僧さんいらっしゃったラブラブラブラブ
すげー久しぶりなのに説明は同じでしたキラキラ
そして、お堂にあげていただいちゃったお願い
なんか全然お年が変わってないみたいびっくりハッ
お肌綺麗だなぁ~飛び出すハート
 
って
お前は何処を見てんねん口笛アセアセ
 
さてさて
境内も散策しましょう歩くルンルン
スズメバチさんが巡回してるので気をつけながら〜のっハチハチ
下矢印毘沙門堂下矢印

本堂から繋がっている毘沙門堂には赤穂浪士(赤穂四十七士)の像が毘沙門天像と一緒に安置されているんだってお願い

 
本堂脇の
下矢印お不動さん下矢印

 
そして茂みの中からこんにちはキラキラ

お地蔵サマかなキョロキョロ飛び出すハート
 
下矢印茶室下矢印
この茶室は可笑庵っていって内蔵助が閑居した邸宅で吉良邸に討ち入りした後に老廃しちゃったそうなのですが、その古材で作ったんだそうな虫めがね
 
下矢印お手洗い男性トイレ女性トイレ下矢印
 
お手洗い側の石段を下りていくと
 
下矢印永代供養堂下矢印

 
その奥には大石内蔵助の髪の毛が納められている
下矢印遺髪塚下矢印

ここには1775年に寺坂吉右衛門が持ち帰った内蔵助の遺髪が埋められているんだそうですお願い
 
そんな感じで
 
連れてきて頂いた事に感謝🙏
一度だけで満足してしまっていた近畿不動
2巡目も始めようと思いました口笛
やっぱり
お不動様と龍王さん
そして巳さんが好きだなぁ~口笛
 
以前のものですが
御朱印はコチラ↓↓
平成25年って
??
13年前かっハッ
えっ爆笑電球
私、まだギリ30代やん(笑)
年を感じるなぁ〜ダッシュ
 
さて、お次の場所に向かいます
味醂でしたバイバイ
 
岩屋寺
住所 京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町96
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