5月になりました
今日から本格的にGWで休みって人が多いのかな
長い人だと27日からの10連休って人もいるって聞きました。。
あ~・・・
羨ましい
あっ
でもねっ私もねっ
明日は休みが取れたので友達と久しぶりに遊びに行くぞ~
その為に頑張る
てな訳で
今日も今日とて午前さま確定の
こんばんわ味醂です{寝て起きれるか不安。。
さて、前回の続き
法金剛院から徒歩で10分ぐらいかな
お目当ての神社が有りました
こちらは
木嶋坐天照御魂神社
(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
で読み方有ってるかな
ちなみに別称は蚕ノ社と言うそうな
近くの駅名も蚕ノ社なので別称の方が通っている感じみたいです
鳥居⛩️
大きな木の鳥居
社標
蚕神社って書いてあるね
こっちの大きい方には
ガッツリ長い社名が書かれてる
式内郷社なんだね
由緒記
先に
~由緒~
創建年は不詳で有るが「続日本紀」の大宝元年(701年)4月3日の条に神社名が記載されている事から以前より祭祀されていた事が分かる古社である。
天之御中主神を主として奉り、上は天神に至り下は地神に渉り御魂の総徳を感じて天照御魂神と称し奉り廣隆寺創建とともに勧請されたものと伝わる。
本殿右側の社殿は蚕ノ社で雄略天皇の御代(1500年前)秦酒公呉國(今の中国南部)より漢織・呉織を召し秦氏の諸族と供に数多くの絹・綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜りこの地を太秦と称し推古天皇の御代に至り、その報恩と繁栄を祈るため養蚕・織物・染色の祖神を勧請した。
境内には三柱鳥居が有り一説には景教の遺物ではないかと伝わっている。
by、上記由緒記より
へぇ~
禹豆麻佐(うつまさ)=太秦(うづまさ)なんですね~
面白い
さてさて
今回私が気になっているのはその三柱鳥居です
何処に有るのかなぁ~
境内図
あっ
本殿の向かって左側の奥の方に有るのか
ヨシっ
行くぞ~
神橋
境内の周りが濠の様になってるのかな
雨は降っていないけど何となく水の匂いがする
参道を歩いていくと
社務所
祭具庫
その対面には
椿丘大明神って書いてあるね
どの社にも小さな神狐さんがいらっしゃる
こっちにも
ここ稲荷ゾーンの奥は元糺の森と言うそうな
元糺は〔もとただす〕って読むんだって
その意味は又、後で
さて、、戻って来まして
拝殿
その先には
拝所
御祭神は
天之御中主神
大国魂神
穂々出見命
鵜茅葺不合命
瓊々杵尊
大国魂神
穂々出見命
鵜茅葺不合命
瓊々杵尊
本殿の横には東本殿が有ってそちらが
蚕養神社(蚕ノ社)なんだそうです
由緒記にも書いてあった様に、この神社は渡来氏族である秦氏と関係が深い神社なんだそうです。
さて、お詣りも済んだしお楽しみの場所へ
元糺の池
出てきましたねっ元糺〔もとただす〕
現在はこんな感じで乾いてしまっていますが昔はここで禊を行っていたんだそうです。
なんでも夏期第一の「土用の丑の日」に神池に手足を浸すと諸病に罹らないって習慣が有ったそうで
それが〔もとただす〕って意味だったみたいですよ~
そして・・
その役割は嵯峨天皇の御代に賀茂御祖神社に移されたんだそうです。。
で・・
池の最奥はこんな感じで柵がありまして
中を覗くとですね
ジャジャーン!!!
これが見たかったのです鳥居の中央に石を積んで真ん中に御幣を立てて神様の依り代にしているんだそうな
なんとも神聖な感じがするでね~かっ
でもって由緒記にはキリスト教がなんちゃらとか書いてあるしっ
ネットを見ると京都三珍鳥居の一つと記載が有ってパワースポットとか色々と書かれていました
そりゃ~こんな鳥居私も友達のブログ読むまで知らなかったですもん
誰もが不思議でしょうね
★だいちゃんのブログ★
折角なのでペタリ
最後に・・
社務所で御朱印の有無を伺うとされていないと言う事ですので御朱印は有りません
社務所の前には
手水鉢
水が染み出ている・・・
かいこのやしろと書かれた面白い形の鉢
どこから水を繋いでいるんだろう。。
もしかして湧水だったら素敵だな
そんな感じで
次の目的地に移動しようと歩いていたら発見した
一の鳥居
そして
素敵な形の燈籠
由緒に出てきた広隆寺にも行ってみたいから又、ご近所徘徊したいなぁ~
古墳も沢山有るみたいだし
そんな風な事を考えながら歩いていたら
お腹が・・・ぐううう
( ´∀` )
そういや朝からなんも食べてなかったずら
何処か美味しいご飯屋さんないかな~
なんてよそ見をしながら歩く味醂でした
木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ宮)
住所 京都府京都市右京区太秦森ケ東町50−1
アクセス