年末年始は布団の虫になっていた私
でも、そろそろ這い出て動き出さねばならぬっ
そう、折角のお正月休みを無駄にしてはいかん
ってな訳で
1月3日(大安 )晴れ☀️
初めての電車に乗ってみました
扉にはバスみたいにICカードのんも有りました
そしてやって来たのは
御所の次の玉川だったか玉手だったか
改札も無人で静かだなぁ~
先に見えるのは葛城山かしらん
地理に疎い私ですが、たしかその辺りに来た筈です
目的地はここから数百メートルしか離れていない場所に有る
吉祥草寺(きっしょうそうじ)
キョロキョロしながら歩いていたらあっという間に到着しました
寺標
役の行者誕生の地って書いて有ります
そして横には小堂が
地蔵堂ですが
通称は笠堂(かさどう)
と呼ばれて親しまれているそうです
中央に太い柱がまっすぐ屋根に
ホンマに傘みたい
そして祀られているのは
地蔵菩薩像
なのですが、何やら伝説が残されているみたいです
案内板
~地蔵堂(傘堂)伝説~
西暦655年頃、役の行者が葛木山(現在の金剛山)への修行の途次、近くの農民が前からの大暴雨のため田植えも出来ずに困っていた。
その姿を見て、自ら進んで農民にまじって田に入られたところ、不思議と風雨も止み、夕刻までに田植えを終えることができたとのことである。
それ以来、行者の徳を慕い、行者が笠を脱いだ場所に地蔵菩薩尊を安置する堂宇を建立し笠堂と称えたという。
堂の中央には、太い円柱があり、全体の型が笠を立てた様式であるためこういうなり。
また一説に、1590年頃(天正年間)、笠堂修復が成り、竣工の供養をした際、一人の見慣れぬ巡礼者が通りかかって供養をされたが、あとでそれは明智光秀の娘さんであったという伝説がある。
また、婚礼の花嫁が、この笠堂の前を通る際には堂に目かくしをする風習が、今も残っている。
その姿を見て、自ら進んで農民にまじって田に入られたところ、不思議と風雨も止み、夕刻までに田植えを終えることができたとのことである。
それ以来、行者の徳を慕い、行者が笠を脱いだ場所に地蔵菩薩尊を安置する堂宇を建立し笠堂と称えたという。
堂の中央には、太い円柱があり、全体の型が笠を立てた様式であるためこういうなり。
また一説に、1590年頃(天正年間)、笠堂修復が成り、竣工の供養をした際、一人の見慣れぬ巡礼者が通りかかって供養をされたが、あとでそれは明智光秀の娘さんであったという伝説がある。
また、婚礼の花嫁が、この笠堂の前を通る際には堂に目かくしをする風習が、今も残っている。
by、丸写し
何だかとっても良いお話
そして・・まさかの明智光秀の娘が登場~
まさか・・細川ガラシャ
幽閉されていたからそれは無いか
ウィキで調べた所、光秀が討取られたのが1582年だったので(諸説あり)その7年後ですね。
となると四女の京子かな
夫の津田信澄はと・・
あっ大阪だ
・・・
なんて推理するの楽しいけど、知らんけど・・です
道標
なんか笠塔婆みたいでした
場所はコチラ
アクセス
こんな感じで
吉祥草寺の記事を書く予定でしたが
実は山門を目の前に気になる小堂が付近に点在していて
気になってついつい寄り道しちゃったので、
今回は吉祥草寺周辺の地蔵尊をアップ
お次は
道標
これまた立派な道標の脇に建っていた小堂
馬橋地蔵尊(まばしじぞうそん)
多分、読み方あってると思うけど・・間違っていたらごめんなさい
小堂の横には
稲荷社
もいらっしゃいました
笠堂の様な案内板は有りませんでしたが調べてみると興味が湧く内容でした
なんと
御所まちには四隅に小堂が有るらしい
それを
四地蔵と呼んでいるそうな
他には大日地蔵・安産地蔵・長命地蔵が有るのだそうです
地蔵尊は道祖神と同一視される事が多いですね
きっと外部から悪いものが入り込まないように守っているのだと思います
御所まちでは毎年11月第2日曜には霜月祭が行られるそうで
美味しいお店の出店とかも有るんだそうです
吉祥草寺では採灯大護摩供も行われるそうですし
来てみたいなっ
今からカレンダーにチェック入れとかないとねっ
スグ忘れるから
周辺には他にも沢山寺社が有るらしく
今回行けなかった所にも行ってみよう
場所はコチラ
アクセス
そんな感じで今回はここでおしまいっ
次回は勿論、吉祥草寺です
味醂でした