30数年も前から交流してきた。
それがこれまでずーっと続いていたわけではない。
町内会研究の高木鉦作先生を師と仰ぐことの仲間。
高木先生の最終講義も一緒に聞いたほどの関係。
高木先生が亡くなった後も、一緒にご自宅に伺った。
弘前や周辺の津軽も町内会調査で訪問してくれた。
東京から200キロ圏にある国立大学の教授である。
私より一回りほど若い。
90分ほどの議論。
相手は大学装置、こちらは個人のWifi。
こちらは何の障害もないのに、相手からは私の声が途切れるといわれた。
それでも昭和22年の町内会廃止以降の動きを語り会えた。
彼の地域では町内会の包括的機能は生きているという。
私は佐世保の町内会は包括的機能が形骸化、形式化しており、その社会性が失われる状況と可能性を語った。
地域組織が行政ジャンル別に作られていて、町内会自治会はその後付け組織ではないかと問いかけた。
彼の地域ではそうではないようだ。
戦前戦後の町内会は配給や防犯を実践する「隣組」があった。
隣組のまとめ役が町内会長。
住民は町内会長に逆らえない。
佐世保の白南風町の地域公民館活動を思い出していたか。
現代は配給はないし街燈問題もない。
防災は地域公民館=町内会活動の組織等の形式だけになっている。
活発ではない理由を会長以下高齢化や住民活動のせいにしている。
町内会長に敬意をもたれなくなった理由。
それを調査したい。
私に微笑みながら話してくれた市長がいる。
なるほど、その動きを象徴した社会を言い当てていたのだ。
市民が地域社会で活動する時代になっている。
その包括的なボスはいないのではないか。
社会サービスごとにリーダーはいても、地域全体をマネージする人はいないのではないか。
そんな人が必要なのであれば、公選の市長にその役割を求めればいい。
玉野和志さんは「地域のプラットフォームの機能」としての町内会の役割を続けるのであれば、新たな関係を求めてはどうかと提案している(玉野和志「都市とコミュニティ~求められる新たなガバナンス」『都市の変容と自治の展望』(後藤・安田記念都市研究所2022年)。