再開発の渋谷     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

渋谷は再開発の途上にある。

半世紀前の記憶を塗り替える。

それが新しい再開発らしい。

なんとも意地悪な事業が進められていると感じた。

 

 

高木鉦作先生の『町内会の廃止と「新生活協同体の結成」』に向き合う。

その最初の行動のために私は渋谷に向かった。

自宅を出て、京王線の明大前駅で井の頭線の急行渋谷駅行に乗り換える。

そこで混雑のホームにであった。

他人との距離が異常に近い。

5月11日(土)14時過ぎのこと。

 

 

渋谷駅はたくさんの百足(むかで)がスクランブルビルに向けて進む。

私もその一員である。

覚悟していた百足歩きだが、その速度は半世紀前のものとは違う。

私のような老人でもなんとか付き合えていた。

あの東横のれん街の外側辺りのバス停を探した。

日赤医療センター行のバスに乗れば、國學院大學図書館に行ける。

半世紀前がそうだったのだから。

 

 

イスラエルのガザのような混沌の風景だと思った。

渋谷再開発の現場なのだが、バス乗り場が見当たらない。

バス停は100メートルほども宮益公園側にあった。

それも「臨時」のバス停ということだろう。

 

 

大学前でバスを降りると、その光景は半世紀前とは大きく違っていた。

学術メディアセンターの文字。

そこに大学図書館があった。

 

 

この日の論文コピー量は想定の1割でいい。

半世紀前の高木先生のこと。

たばこをくわえて、静かに語る姿を思い出していた。

新しい場所に戸惑いながら、その程度の目標はすぐに達成。

不思議な2時間を過ごした。

帰りは渋谷の坂を歩く。

 

 

変わるものと変わらないもの。

目に入る光景はほとんどが変わるものだった。

どの建物も大きく新しくなっていた。

歩く学生も明るく大きい。

大学と学生も街のたたずまいも新しくなった。

 

 

変わらないものは街角と道路。

神社や広場。

駅前のペーブメント。

あの時とは違う人が違うスタイルで住んでいる。

 

 

私は渋谷のまちではなく、百足の人の列の中で鉄道名の方向を追い続けた。

半世紀も前に自然に歩いていたところという記憶を追っていた。

渋谷再開発はそんな記憶を消す作業。

それでも私は記憶を頼る。

自宅に戻るための井の頭線の渋谷駅を目指した。

 

 

変わるものと変わらないもの。

半世紀が経った社会。

私の中に蓄積された記憶。

曖昧なものだが、先を教えてくれた。