また東京へ     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

長崎空港経由の東京行きはやはり速い。

佐世保の自宅から東京多摩の自宅へ4時間余ですむ。

8時過ぎの乗合タクシーで50分。

9時50分発の飛行機。

西風に乗って早く着いた。

さらにリムジンバスで1時間。

昼食を多摩の自宅でとることができた。

福岡空港経由ではこうはいかない。

3月4日(月)のことである。

 

 

昨晩はブログ書きをしなかった。

佐世保玉屋のことで飲み会。

それを書いていると、翌朝の東京行きに差し支える。

そう思って、布団にはいったのだ。

 

 

今度の東京行きは若い時のような根拠のない「偏愛東京」ではない。

長男の結婚式が東京行きの直接の動機だが、それに止まらない。

晩年東京になりそうである。

 

 

2月15日に佐世保に戻った。

年度末処理が頭にあった。

スケジュールを立ててこなす日々だった。

それ以上にこれまでの10年を片付けることだった。

 

 

この間、段ボールを何個も送った。

マンションの私の部屋を片付ける。

その送り先は東京多摩の自宅。

 

 

今日の移動するなかで感じたこと。

かばんが重い。

私の肉体とかばんを移動させる手足はかつての力はない。

それでも少しだけ休めば、動き出す。

年齢にあった移動を覚えなければなるまい。

まさにジジイの移動である。

 

 

若い時の偏愛東京の暮らしから晩年東京へ。

望んでいるわけではないが、後ろから押されているように感じている。

 

 

パソコンには3月下旬の予定を尋ねる市役所からのメールが着信。

いずれの予定にも対応できない。

東京に居続けるつもりだからだ。

その返事を出す気になれないのだ。

 

 

東京と佐世保。

私の人生ではシーソーのような関係。

また、気が滅入っている。