逝きし母とまだ見ぬ孫     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

母に東京行きを報告し、まだ見ぬ孫のことを告げた。

浄漸寺の墓前でのこと。

ひとつの世代が終わり、もう一つの世代が始まる。

それがいい。

3月2日(土)15時過ぎのこと。

 

 

2月半ばに佐世保に帰った。

何やら忙しい日々を送った。

残ったのは母の土地の移転登記と3月11日締め切りの新聞コラム原稿。

東京でえがいた佐世保でのことはほぼ終わった。

週明けの月曜日には東京に戻る。

 

 

思い立ったのは墓参り。

ふんぎりをつけるための行動だった。

昨晩、妹に同行を依頼。

墓参りの車を出してもらった。

敬老パスでは路線バスでは予定が立てられないのだ。

 

 

墓地は春の兆しを感じて浮足立っているように感じた。

マンションで自分に禁じたお線香立て。

蝋燭をつけて、3本の線香に火をつけた。

 

 

マンションに帰って、食後に父と母が生きた証の資料に目をやった。

その次に、祖父の資料に目をやった。

20年ほど前の父の13回忌の記念ファイル。

祖父の生きた証とともに、父の世代の写真等をまとめていた。

 

 

弘前大学に決まる前の私の作業だった。

祖父は何をしていたのか。

伊予大洲の本家にあった資料を並べていた。

あらためて自分を探していた。

 

 

長男の子どもが嫁のからだに宿っていることがわかった。

まだ見ぬ孫である。

私がしたようにいつか自分探しをする。

 

 

父と母は肌でわかる。

その前の人たちことを知りたい。

私がしたように自分探しをする。

そんな未来を想う。

 

 

母の残した資料の中に私の小学校1年生の通信簿があった。

人に誇れる成績ではない。

「小さい身体にみなぎる負けずきらいの気性」が書かれていた。

通信欄への先生の言葉である。

それを私たちの次の世代はそれをどう読むのか。

次につながる。

 

 

もう一度、東京。

次の世代に出会う時間の始まり。

逝きし母とまだ見ぬ孫。