私の机の前に河村又介先生の肖像画をおいた。
笑っておられるようで叱っておられるような。
肖像画とはそんなものなのだろう。
九州大学法学部の100周年記念イベントの1つに河村先生の講義録音テープのデジタル化予算化が決まった。
53年前の先生の講義が残る。
その知らせを河村先生のお孫さんにメールで伝えた。
その了解返事と一緒に河村先生の肖像画の写真が添付されてきた。
ご実家の物置から出てきたのだという。
せっかくなので、添付画像をプリントアウトして、写真フレームにおさめた。
これがいい。
半世紀以上も前の河村先生が私を見ている。
笑っておられるようで叱っておられるような。
それでも優しいお顔である。
見ているのに見つめられている。
不思議な気分である。
河村先生は東京帝国大学法学部政治学科を首席で卒業された。
いわゆる銀時計組の秀才である。
卒業と同時に吉野作造研究室の初代助手となり、東北帝大、九州帝大の教授となり、戦後最初の学界からの最高裁判事を務められた。
私は國學院大學で河村ゼミに入り、薫陶を受けた。
ゼミ参加が許された時のうれしさは忘れられない。
修士課程において先生の憲法講義の1年分を録音。
それを私の手許にもっていた。
東京の日本都市センターとNIRA、山梨の山梨総研、栃木の作新学院大学、
そしてふるさとの佐世保。
佐世保にいる10年は東京多摩の自宅にテープをおいていた。
録音してから53年も経っている。
散逸していても不思議ではない。
大学に置いていたら、大学施設の建替え等があって、逸失していたかもしれないのだ。
保存能力のない私が持ち続けているなんて、まさに奇跡なのだ。
パソコンの先にある河村先生の肖像画。
チラチラと目に入る。
今さらながら、「精進せよ」と言われているようにも感じる。
これからの晩年をしっかり生きなさいと言われているようにも感じている。
まことに幸せである。