以前に今もお洒落な街、二子玉川には昭和の始めには屋形船を持ち川遊びをさせる料亭が並び、近くの高台は華族や政財界要人の別邸(別荘)が立ち並ぶリゾート地だったと記事を掲載しました。

 

 
 
一方で多摩川対岸(神奈川県)の二子新地にはかっては「花街」とも呼ばれた「三業地」(料亭、待合、芸者置屋のある場所)があって、戦前の最盛期には50件の待合と100人の芸者がいたというので驚きです。
 

関東大震災で東京・吉原や向島が壊滅的な被害を受けたため、大正14年(1925)に二子橋が竣工し、昭和2年(1927)に玉電が溝の口まで延伸したのを期に、大貫家当主の吉之丞(岡本かの子の祖父で岡本太郎の曽祖父にあたる)が誘致したのが始まりでした。

その後は戦前から戦後まで一大歓楽街として大いに賑わいましたが、昭和33年の売防法の影響で昭和40年代にはほとんどが廃業してしまったそうです。

 

2018年11月2日に大山街道ふるさと館が主催する徒歩見学ツアー「ぶらり散歩と料亭『やよい』でお茶を」に参加しました。

 

「やよい」は唯一残っている待合(料亭+宴会場+旅館)で、建物は昭和25年頃のものです。

付近は新しいマンションが建つ普通の住宅地。

 

 

玄関は待合らしい艶っぽさがある。

 

まずは宴会場で説明を聞く。

 

格式のある客間で熱弁をふるう女将さん。予約のみ、料理はお取り寄せだが、不定期で営業中。法事やお茶会などに使われているそうです。この料亭も当代で終わりと仰っていた。

 

茶室でお抹茶を神妙に?頂く、これも風情たっぷり。

 

廊下。模様の入ったすりガラスがいい雰囲気。

 

なんとなく艶めかしい。

 

ここ一軒だけの異質な佇まい。

 

当日のパンフレット。

 

 

別の日に三業地だった証を探してみました。まだ十数本は残っているそうです。

 

 

近くに住んで40年近くになるのに全く知らず、「新地」の思わぬ歴史に触れて驚きました。

「やよい」は二子神社の裏手近くにありますので、興味ある方は是非訪ねてみてください。

 
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