3月のコラ ム 「汚いクニ 日本になる?」
いろいろなところの研修で、私は怒っている。結構力いっぱい怒りながら話をしている。もう若くないのだから、怒れば血圧が上がるし、それでなくてもメタボリックなのだから、気をつけなければいけないのに。何に怒っているのか。表題の通り、日本が汚い国になると思ったから。そういえばどこかの国の総理が「美しい国 ~ 」と言っていた気もするが。
「教育再生会議」という教育改革を進めるために内閣官房に設置された機関がある。昨年からのいじめによる自殺が多発していることや、教育の荒廃が取りざたされる中で、安倍総理の肝いりでいわゆる「有識者」を集めて政策提言を受けるということだ。メディアにも大いに取り上げられた。その教育再生会議が学校教育法の体罰の基準を見直すように求めた。これを受けて文部科学省は、問題を起こした子供に罰則として清掃活動などをさせることを、例外的に体罰とは見なさず認めるという見解を出した。テレビのニュースで知った。2月の初めの頃である。その頃から私は怒っている。なかなか怒りが収まらない。
だいたい、罰則で掃除をさせるという発想が気に食わない。このような発想をする輩は、自分自身が進んで掃除をしない奴だ。誰かがきれいに掃除をした中で、ぬくぬく育って、今も自分の手を汚さず生きている奴らだ。
ちょっと落ち着こう。怒っていると言葉が乱暴になっていけない。
要するにこういうことだ。罰則で掃除をさせるということになれば、子供たちは「掃除は悪いことをした人がするもの」という考えを持つようになる、ということだ。これでは自分たちの周りをきれいにする習慣など身につくわけがない。清掃を嫌がる子供たちが増える。もちろん率先して清掃をする意識など身にはつかない。自分たちが学び、成長する場である学校や教室をきれいにすれば、気持ちよく学べる。でも、きれいに保つために掃除をするのは罰を与えられてイヤイヤやらされている子供たちだ。きれいになるわけがない。いや、きれいになる方法が一つだけある。それは、戦前の日本の軍隊や刑務所のやり方だ。暴力で一方的に押さえ込み、人間性を無視した中で強制させれば、きれいになるかもしれない。でも、それって教育だろうか。
今年の東京は記録的な暖冬だという。雪が降らない冬。これも記録的だ。昔はよく降った。東京も。特に2月の受験シーズンは雪に見舞われた。私も高校受験の時(私にも高校生の時がありました!)、大雪で、試験当日の電車が遅れ、大変な目にあったことがある。子供の時は雪が降るのが楽しみだった。家の周りも畑が残っていて、空き地や畑で雪遊びをした。夜中に雪が降れば、朝起きるのが楽しみで、つい早起きしてしまう。玄関を開けると一面の雪景色。昨日とは一変する世界。だれも踏んでない雪の上を歩く快感を期待して玄関から家の前に出ると、通りには雪掻きがしてあり、人が一人歩ける幅の雪が脇にどけてある。近所の人が朝早くから雪掻きをしたのだ。住宅の入り口から各家々の玄関まで、きれいに雪掻きがしてある。住民が雪の上で転んで怪我をしないように。通りの先にスコップを持って息を弾ましている近所のおじさんがいた。
このおじさんは何か悪いことをして、罰として雪掻きをやらされていたのだろうか。そんなことは決してない。自分たちが住んでいる町をきれいにしたい、これは人間の自然な欲求だ。でも、罰で掃除をやらせる教育をしたら、だれも率先して街をきれいにしない。掃除をしているところを他人に見られたら悪いことをした人だと思われる。ゴミをそこいらに投げても、悪いことをした人がきれいに片付けるだろうと思うだけだ。清掃を仕事とする人たちへの差別も広がるだろう。日本は限りなく汚い国になる。このような発想しかできない人が教育行政や教育に関わっている限り。
先日、新宿の超有名パチンコ店で調査中にトイレに入った。汚い、汚い。まあ、この店は客数が多いがトイレの汚さでも有名だ。そこへ、店の制服を着た男が入ってきた。ざっと見て、洗面台を拭いてその後、鏡に映った自分の顔を見て髪に手をやり、整えてから出て行った。彼にはトイレの汚れが見えていないのだ。汚れを見ないようにしているのだ。だから汚れはないのだ。彼にとって。
お店を汚くさせたいと思ったら、遅刻したアルバイトに罰則でトイレ掃除をさせればよい。そのうちどんどん汚くなるから。
2月のコラム 「でも、どうして?・・・」
記録的な暖冬だという。1月の終わりなのに桜が咲く気温だ。お祭り男を自認する私には大変うれしいことだ。桜が咲く気温といえば花見の暖かさのこと。花見となれば宴会だ。でも、どうして今年の冬はこんなに暖かいの。地球温暖化の影響かな?どうやらエルニーニョ現象が起きているらしい。エルニーニョってなんだろう? エルニーニョ=検索、Wikipediaのページ。簡単に調べられる。あ~そうか。なるほど。
そういえば、これから花粉症の季節が始まる。今年の花粉の飛散量は例年より少ないらしい。症状の重い人には朗報だ。でも最近鼻の辺りがむずむずしてきた。ポケットティッシュをもらおうと駅前を歩いていたが、ティッシュ配りが一人もいない。あれ?必ず一人か二人、多い時には5~6人が競ってティッシュを配っていたのに。仕方がないのでドラックストアで10個入りを買う羽目になった。鼻水は「待った」してくれない。
でも、どうして駅前のティッシュが配られなくなったのだろう。疑問に思いながら電車に乗る。車内の広告は相変わらず携帯電話会社が多いな。あれ、そういえばサラリーマン金融の宣伝が最近減ったな。これだ、ティッシュ配りが減った原因は。サラ金業界がのきなみティッシュを配らなくなったのだ。でも、どうして? どうしてサラ金業界はティッシュ配りを減らしたのか。グレーゾーン廃止?なんか聞いたことがあるぞ。またまた検索。はは~利息制限法と出資法での金利の差か。要するに法律が変わってサラ金会社が顧客から不当な利息が取れなくなったのだ。だから、サラ金会社の経営が苦しくなったのか。納得。ティッシュが減った理由が。そういえば例の、あの大手パチンコ会社も大変だろうな。
なんで? でもどうして? と考えていく楽しさ。調べる面白さ。特に現代は簡単に調べられる。検索のクリックだけで調べていくことができる。ほんとに便利になったものだ。何でだろう、どうしてだろうと考えていくことで、経営のヒントや商売のヒントにつながることが多くある。日常の一こまから考えていく習慣をつけたいものだ。
ところで、世の中の事柄には「でも、どうして?」と考える癖をつけても、人間にはどうだろう。あの人があのような態度をとるのはどうしてなんだろう。なぜなんだろう。と考えていく癖をつける必要があるのではないだろうか。でもこれは検索クリックでは調べようがない。コンピューターが一番苦手の分野。それが人間だ。「何であの上司は、僕にいつもきつく当たるのだろう」「何であいつはいつも否定的な意見を言うのだろう」「何であの人は機嫌が悪いのだろう、今日に限って、どうしてだろう?」そのようなことを考えたことはみんなあるだろう。でも、簡単に答えは見つからないのではないだろうか。そうだよ。人間のことだもの。簡単に答えは見つからないさ。でも、何でだろう、どうしてだろうと考えることは止めてはいけません。考え続けることで、答えに近づくことができると、私は思っている。
嫌いな人、苦手な人、いますよね。でもなぜあの人が嫌いなんだろう、なぜ苦手なんだろう。と考えたことがありますか。あの人のどういうところが嫌いなのかな、と考えたら、その言葉なりしぐさなりを真似してみる。すると不思議なことに、嫌いなあの人がなぜそのようなしぐさや言葉をするのかが、おぼろげながら分かってくる。これが人間理解のコツだ。だまされたと思ってやってごらん。
12月コラム 自分の頭で考える人間でいたい
格差社会についての論議が活発である。確かに経済的不平等はあるだろう。又、それが、世代が変わっても固定化させる、いわゆる階層間の分裂もあるだろう。今後も日本社会の大きな問題であるだろう。でもその前に、私にとって重要なのは、私自身の「情報格差」問題だ。
古典落語のCDが欲しい。古今亭志ん生の声が聴きたい。といっても知ってる人は少ないだろうが、今から30年以上も前に無くなった落語会の大スターだ。さて、レコード屋さん(古いね。CD屋さん)には久しく行っていないし、果たして落語のCDが売っているのか分からない。そこでインターネットで検索。あるある、なんと試聴もできるしダウンロードもできる。早速、ダウンロード開始。5分後には古今亭志ん生の懐かしい声がパソコンから聞こえてくる。久しぶりに腹を抱えて笑った。
そういえば、新聞の書評欄で見て欲しいと思った本は、当然アマゾンドットコムで購入するし、文房具はアスクルポータルショップ。観劇やスポーツ観戦のチケットもパソコン経由。バス停のバス待ちの時は、携帯でバスナビゲーション。天気予報も相撲の結果も携帯のネットでキャッチ。おいしいレストランの検索は女房殿のお得意だ。
だが、待てよ。インターネットの利用者は世界で約9億人。日本は6400万人。普及率(人口100人あたりの契約者数)は50で世界では22位。意外と低い。どちらにしろインターネットを活用する人たちとそうでない人たちの情報格差があることを示している。この格差は世代間(年齢の違い)にも影響されるだろうし、経済的な面での影響もあるだろう。でも、この格差はますます開いているように感じる。そして、情報を駆使するかしないかで結実するものが違ってくる。
私は今、不安でならない。正直に書こう。音楽のダウンロードは今までやったことが無かった。古今亭志ん生で初めてだった。なにが不安かというと、この情報ブロードバンドの流れに自分がついていけなくなる日が来るのではないかと。もちろん今は大丈夫だろう。しかし、あと10年先、20年先、人生は長い。老後は貧乏でもいい。でも情報から隔離されるのだけは勘弁してもらいたい。情報から隔離されるということは考える材料が不足するということだ。それが怖い。いつまでも自分の頭で考えていたい。メディアで加工された材料でない1次情報が欲しい。ネットを使えばそれが簡単に手に入る。そういう時代になったのだ。すごいことだけど、私はこれから確実に老いる。
いつまでもいつまでも自分の頭で考える人間でいたい。
失敗学で有名な畑村洋太郎先生(工学院大学教授)の話によると、自分の頭で考えなくなることが失敗を生む大きなファクターだということだ。硬直したシステムの中で、いつも決まった仕事を考えることなく行なっていると「ニセモノのベテラン」になってしまう、という。「どうしたらよいのだろうか」、「どのようにやろうか」と作業中になるべく考える必要をなくすためにマニュアルは用意されてきたはずだ。「ニセモノのベテラン」とは、一見有能に見えるがマニュアル化された仕事しかできない融通の利かない人たちのことだろう。みずほ銀行のシステムトラブルの原因として「ニセモノのベテラン」の話を畑村先生がテレビでおっしゃっていた。これは怖い話だ。日常の仕事では有能な姿を見せるが、自分の頭で考えていない人って、案外多いのではないだろうか。
なぜだろう、どうしてだろう、と考える。普段から考える。毎日考える。なぜだろう、なぜだろう、と。そのために、情報を自分で探し、自分で採る。それしかない。