『茂手木伸夫』 のコラム -12ページ目

11月のコラム

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女子ゴルフの結果が朝刊の記事になって出ていた。

さほど興味はないのだが、宮里藍や横峯さくらなどは一応チェックをしている。

いつも驚くのが宮里藍のプレー後のコメントだ。この人は徹底的なオプティミスト(楽観主義者)であることがコメントを読むと良く判る。

たとえば10月26日決勝の「大塚家具レディズ」。

最終日1打差でスタートした宮里藍は逆転優勝の期待がかかっていた。

藍とさくらと福島との激しい最終組のデッドヒート。

試合の結果は福島の優勝、さくらの2位、そして藍は4位に終わった。

この直後の藍のコメントがすごい。

「今日は三人とも我慢のゴルフでした。ほかの二人にはいいパーセーブがありましたけど、私にはいいパーセーブが来なかった。今日は私の日でなかったですね。」


すごい。

なにがすごいといったってこのコメントはすごい。

どこがすごいって。


それは、「私にはいいパーセーブが来なかった。今日は私の日ではなかった。」とまったく他人事のような話。

このコメントの主人公は私ではないのだ。

運や不可思議な第3者か神か、なのだ。

「バーディーは取れなかった」となれば責任は、取れなかった自分にあるが、「バーディーが来なかったと」なれば、責任は「運」にある。運にあれば落ち込む必要はない。

気持ちを完全に切り替えられる。

来週も試合が続くのだ。

ちょっとした失敗やつまづき、敗戦にいちいち反省の弁ばかり出してもしょうがない。

気持ちを切り替えることが何より大事。

よくスポーツ選手が気持ちを切り替えて頑張りますといったコメントを出すが、そのためには徹底したオプティミスト発言をしたほうがよい。

負けたのは自分のせいでなく相手が強かったのだし、ちょっとした運が相手にあったと思えばよい。

そう思えば、気持ちが切り替わる。


新庄剛志が引退した。

彼も徹底したオプティミストだ。

プロ野球のヒーローインタビューで普通の選手コメントは「明日も頑張りますので応援よろしくお願いします」と答える。

この答を彼はファンにたいして失礼だと言う。

そこにはプロとしてのお客様に見られているという自覚が足りないと新庄は言う。

ファンはプロの選手の個性を見に来るのだ、と。

笑顔でプレーできる新庄はやはりすごい。

自分に自信を持っているポジティブ人間だからだ。


宮里藍も新庄剛志も共通している点がある。

それは不断の努力に自信がある点だ。

自分に対して肯定的である点も共通している。

今までやってきたこと、いろいろな失敗を含めて自分の過去を肯定している。

この姿勢こそわれわれが学ぶべきことなのだろう。


ファイターズとドラゴンズの戦いが、私にはオプティミスト(楽観主義者)とペシミスト(悲観主義者)との戦いでもあったように思うのは私がタイガーズのファンだから、かな?


それはともかく、オプティミスト、楽観主義者、ポジティブシンキング、やってみようぜ人間、前向き人間、3日坊主歓迎人間、自分が好きな人、そしていつもいつもキープチャレンジング。

これだよね。

私たちの前途を切り開くのは。


話が変わって、落語ブームだそうである。

高校の時から40年来落語が好きで、一時は真剣に弟子入りを考えた時期もあった。

今でも高校時代に覚えた落語20席ぐらいはできるのだから、たいしたものである。

自分で言ってれば世話はないが。

今また、ブームで各地の落語会はお客様で一杯である。


なんとなく世相が明るくない時代。

格差社会や北朝鮮のきな臭さ、小中学生のいじめによる自殺や頻発する殺人事件。

殺伐としたちょっと暗く、先行きに光が見えない、そんな時には落語がブームになる。

過去もそうだった。

何でだろうと思っていたら気がついた。

江戸っ子って徹底的にオプティミストなんだ。

だって「江戸っ子は宵越しの銭はもたねぇ」と言う発想は楽観主義者の発想だし、「粋」や「すい」などの江戸人気質の奥底には暗い世を笑い飛ばすエネルギーがあるのだ。これで納得だ。大いに笑い飛ばして、新しい時代を作ろう。







10月のコラム

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英語がダメである。

まったくしゃべれない。

まったくといってもグッドモーニングやサンキュウはもちろん言えるけど。


NHKの英語でシャベラナイトという番組を見ている。

ただ見ているだけだから話せるようになるわけがない。

それ以外は何もしていない。

要するにいまさら勉強する気はカラッキシないのだ。

海外へ旅行に行くけど、いままで英語がしゃべれなくて困ったことはあまりない。




ポルトガルのリスボンでこんな経験をした。

リスボンの観光地、大航海時代のモニュメント前のオープンカフェで、ポルトガルの聾唖者のみんなが楽しくお茶を飲んでいた。手話と身振りで陽気におしゃべりしていた。

隣で私たち夫婦もいかにも観光客ですという格好でお茶を飲んでいた。


すると、聾唖者の仲間で飛び切りかわいい娘さんと目が合った。

思わず笑顔が出てしまった。

手に持っていてカメラを掲げ、シャッター押してと日本語と身振りで言ったら、すぐに通じた。

娘さんはうれしそうに僕のカメラを手にすると、ニコッと笑ってシャッターを切ってくれた。

言葉なんか要らないね。

笑顔があれば。


リスボンの空港からホテルまでタクシーに乗った時、運転手さんがいろいろ気を使って話しかけてくれた。

一生懸命にしゃべってくれるのだが、僕たちには通じない。

そのうち気まずい空気が。

もちろん彼はポルトガル語で話しかけてこない。

だって、確率的に僕たちがポルトガル語を知っている割合は低いに決まっているから。

当然、彼は僕たちが話せる確率が高いだろうと思ってEnglishで話しかけたのである。


でも、相手が悪かった。

英語なんてしゃべらなくても世界中回れるわいと意気込んでいるわれわれ日本男児と日本女児。

ひねくれた中年夫婦。

運転手の話している英語がまったく分からない。

ナントカ取っ掛かりを掴もうと真剣に聞くのだが、中学2年程度の英語力ではムリだ。

そこで、だんまり戦術となったわけだ。

せめて、顔の表情や身振りを見ることができたら会話が成り立つけど、前を向いてハンドルを握っているからしょうがない。


そこで、ビジネスで重要なコミュニケーションの話になるのが茂手木流のコラム。

そうなんです。

表情や身振りが大事なのです。

笑顔の表情や身振りが禁止されたら、外国旅行などできやしません。

特に管理職の皆さん!部下とのコミュニケーションとれていますか。

言葉だけのコミュニケーションでは伝わりません。

表情や身振りのボディランゲージを大いに活用してください。

部下の話を聴く時は部下の表情を良く見て、態度を良く見て、聴くこと。

顔は穏やかでも足が震えているかもしれません。


ドトール、スターバックス、ベローチェ、タリーズカフェ、と気軽にコーヒーが飲める店が街中に増えてきた。

それぞれ特長はあるのだろうが、お客様への接遇に関しては決して感心しない。

「ホットコーヒーでよろしかったでしょうか」とか「前のほうから失礼します」とか怪しげな日本語のことではない。

そのことはまた、稿を改めて考えてみたい。

問題なのは話している言葉に表情がないことなのだ。

無感情の言葉なのだ。

心のこもった言葉ではなく、逆に心の中の感情を無理に押し殺している言葉。

言葉に心をこめるのを要求するのが、いけないことなのかと考えさせられてしまう。


しかし、いました、いました。

本社から5分のタリーズカフェ。ここにいました。

顔の表情も豊かだし、声に感情がこもっています。

「おタバコをお吸いになられますか?」イイエと答えると、申し訳ないという気持ちが顔一杯に出て、声もその気持ちで、なんと言われたのか覚えていないのだが、十分気持ちが伝わった。

禁煙席に空きがないということと、あなたの希望に添えないことが残念でならないという気持ちとが。


表情豊かに、顔も声も。世界に通じる接客はこれですね。






9月のコラム

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やっとゲットすることが出来た。

NINTENDO DS。夫婦そろって晩夏の夜、嵌まっている。

脳を鍛える大人のトレーニング。

初めてトライするものの、なんと脳年齢=65歳に愕然とした。

でも、夫婦そろって「パー」「チョッキ」と機械に向って大きな声を上げている私たちの脳年齢は、もっともっと幼いのかもしれない。


話が変わるが、「ポルノグラフィテー」というグループのアポロナントカという曲を(すいません、詳しくなくて。古い演歌ならわかるのだけど。)聞いていたら、こんな歌詞が聞こえてきた。

「僕らが生まれるずっと前に、アポロが月にいって、ナントカカントカ・・」

え!!。  衝撃が走った。

え!!。

人間が月にいったのはずっとずっと前だったのか?

今、私が社員研修で目の前にしている会社の若い社員たちにとって、アポロ11号の月着陸は生まれる前のことなのだ。

お伽噺の昔話なのだ。

まったく意識していなかった。

私と同じテレビであの月着陸の映像を見ているだろうと勝手に思っていた。


毎年、8月になると「戦争」考える。

私の夏の年中行事だ。

なぜ、あれだけ多くの人が死ななければならなかったのだろう。

なぜ、止められなかったのだろうか。

私の叔父たちをはじめ「普通の人」がなぜ、人を殺すことができたのだろうか。

たぶん、多感だった高校生の頃から(ベトナム戦争の時代)の習慣なのだろう。毎年夏になるといわゆる『戦争』ものの書籍をたくさん読む。

そして考える。

私の中で結論は出ないが、考えることは決してやめない。

もちろん私も「戦争を知らない子供たち」の一員だ。

戦後生まれだから、あの15年戦争は生まれる前の昔話である。実体験での戦争は知らない。

親や叔父から聞いたり、映像で見たり、本で読んだりした知識である。

世代間の知識を継承していく力が人間社会にある。

ただ単に知識だけでなく、感覚や感情も継承していくことが出来る。

でも、世代間で、薄まるのは仕方のないことか。


君たちは、もちろん戦争も知らないし、オリンピックも知らないし、アポロの月着陸も知らない。

ひょっとしてパチンコ機「華王」の美空ひばりも知らないかな。

お客様の中には中高年の人も多いだろう。

君たちとは世代が違う。

世代が違えば、価値観も違ってくる。

当たり前のことだ。

私と君たちでは考え方や人生観などが違っているのが当たり前だ。

私が私の親と違うように。

一人ひとりの価値観の違いを大事にして組織の目標に統合させる。

これが、会社組織のあるべき姿だ。

異なる考え、異なる世代、多様な異見、これらを舞台に総べて上げ、かき回し、統一方向を指し示す。これこそ新しいリーダーシップの醍醐味だ。

異見を切り捨てるのではなく多様な考えから選択肢を広げていくことが「学習する組織」「自己変革する組織」というのだろう。