『茂手木伸夫』 のコラム -10ページ目

7月のコラム   「迷惑な趣味の話から究極の接客話へ」

 周りの人に迷惑をかける趣味というものがある。私は『三大迷惑趣味』と名づけている。やっている本人はとてもいい気分だし、他人から「良い趣味をお持ちですね」なんてうらやましがられるのだが、これが迷惑なのだ。本人以外の関係者にとって。

 一つ目は素人演芸。今、世間は落語や演芸のブームだという。一時減っていた寄席や落語会などにも客足が戻ってきた。チケットが手に入りにくい落語会も沢山ある。今から40年ほど前も落語ブームが起きていた。その時代はある意味「落研(おちけん)・落語研究会」ブームだった。各地の大学や高校に落研(おちけん)ができていた。このときの連中がいまや50代~60代。団塊の世代でもある。時間と金に多少の余裕がある。若いときの夢の再来だと、素人の「落語会」をやり始めた。昔の仲間に呼びかけ、着物や扇子も用意して、会場の手配から、終わったあとの二次会の準備など手回し良く進めて行き、さて、お客を呼ばなければいけない。

 お客はどこにいるのか。まさか縁もゆかりもない一般の人など来るわけがない。そこで立派に縁もゆかりもある人がお客に呼ばれる。要するに義理のある人たちだ。家族や親戚はもちろん職場の同僚やかわいそうな部下たち。長年培ってきた人脈?を活かし、義理ある人たちを呼ぶのだ。

 さて、当日。本人たちは大変気持ちの良いものです。口座に上がって一席しゃべるというのは。でも義理ある人たちにとってはたまらない。そりゃ噺(はなし)が上手ならいいですが。素人です。うまいわけがない。聞いているだけでもつらい。しかも義理で笑わなければならない。こんな迷惑なことはない。

 最近では1960年代のグループサウンズの格好をしてエレキギターを持ってライブを開くオヤジ達も多い。これも同じこと。義理ある人たちはキャーと叫んで飛び跳ねていなけりゃいけない。迷惑この上ない。

 二つ目の迷惑趣味は「釣り」。房総沖でアジがつれたとか相模沖で何々が釣れた。「どうです、今度ご一緒に。海釣りはいいですよ。船で行きましょうよ。大丈夫ですよ。初めてでも。気持ち良いですよ。」と周りの人を誘う。これが迷惑。

 人が好いからすぐ断れない。第一道具がない。竿も何も持っていない。服装はどうしよう。それよりも何よりも船酔いが怖い。あれやこれや考えていると朝早くに車でお迎えが来る。本人はしっかりと釣り人の格好だが、こちらはただのTシャツにジーパン。海にと出かけたが、これが最悪。まったく覚えてない。船酔いの連続。ただ辛かっただけ。

 是非お一人でお楽しみください。周りに迷惑をかけずに。

 三つ目の迷惑趣味は蕎麦(そば)打ち。これがまたブームだ。蕎麦打ちとは、そば粉を練って伸して包丁で切る、いわゆる手打ちの蕎麦を素人が家庭で作ること。これも団塊の世代を中心に広がっている。もちろん大半が親父たちだ。中には趣味が高じて退職金をはたいて蕎麦屋を開いてしまうツワモノもいるという。

 蕎麦打ちの教室がたくさんある。教われば試してみたいのは人情です。そこで、まずは家族にお手製の手打ち蕎麦を食べさせたいと考えるが、しかし長年の仕事一筋で家族からはそっぽを向かれている。第一、蕎麦は打つが後片付けは女房にお任せではたまらない。そば粉とつなぎの小麦粉で台所中真っ白になって、のし棒や道具は出しっぱなし。これでは片付けも厭(いや)になるのは当たり前。

 そこで、食べさす相手は、義理ある人たち。素人落語と同じで、おいしい訳が無い。ぼそぼそのうどんみたいな太い蕎麦で、ゆですぎでネチャネチャしている蕎麦なんてうまいはずが無い。しょうがないからビールをがぶ飲みしてナントカ飲み込む。これも迷惑だ。

 さて、私は今年の夏、端(はた)の迷惑も考えずに蕎麦打ちに挑戦する。ここ数年、蕎麦屋に凝っている。蕎麦屋といってもどこにでもある街の蕎麦屋ではない。古くからの江戸蕎麦の伝統を大事に、味の探求を続けている、いわゆる江戸蕎麦の名店である。これがいい。まず酒がうまい。蕎麦屋で酒を飲むのを蕎麦前と言う。乙(おつ)なつまみと銘酒。出し巻き卵焼き。かまぼこ。鴨焼き。蕎麦味噌などを肴に冷酒を一二本。ちょっといい気持ちになったら蕎麦を頼む。もりやせいろもいいが種物にも引かれる。蕎麦のほのかな香り。角が立ち、腰があり、ざるの上で踊っている。つゆは江戸前の濃い奴だ。箸で蕎麦を梳くって、蕎麦猪口のつゆに先端を少しだけつけてたぐる。蕎麦をたぐる。いい言葉だ。

 至福の時を演出するのが蕎麦屋の女性たちだ。究極の接客。すごい客あしらい。リッツカールトンホテルに行かなくともわずか7~8百円のもり蕎麦一枚で堪能できる最高の接客サービス。是非、蕎麦屋に行ったらそばだけでなく彼女たちの動きも堪能(たんのう)して欲しい。まず、無駄な動きがない。どんなに混んでいても慌てることはない。客とのやり取りも乙(おつ)なものだ。昼間から酒を頼むと「お天道様が高い時から呑むとはいい気なもんだ。」と面と向っていわれる。その言い方が暖かい。なんだろう、この暖かさは。江戸時代からある他人への暖かい思いやりが蕎麦屋に生きている。理屈ではないし、もちろんマニュアルのわけがない。日本の、江戸の人情の良さは蕎麦屋にある。とはちょっと大げさか。

 百聞は一見にしかず。そこで、お勧めの蕎麦屋の一覧を出しておく。もちろん蕎麦がおいしく、酒もつまみもうまく、女性たちの動きがすばらしい名店だ。是非、足を運んで欲しい。

 お勧めの蕎麦屋リスト

浅草 ・・・ 「並木 藪蕎麦」 台東区雷門2-11-9

神田 ・・・ 「神田まつや」  千代田区神田須田町1-13

神田 ・・・ 「かんだ やぶそば」 千代田区淡路町2-10

上野 池の端 ・・・ 「池の端藪蕎麦」 文京区湯島3-44-7

大森 ・・・ 「布恒更科」  品川区南大井3-18-8

麻布十番 ・・・「総本家更科堀井」 港区元麻布3-11-4

虎ノ門 ・・・ 大坂屋 虎ノ門 砂場」 港区虎ノ門1-10-6

日本橋・・・「室町砂場日本橋本店」中央区日本橋室町4-1-13

横浜関内 ・・・ 「利休庵」 横浜市中区真砂町2-17

 

 ご一緒にどうぞと言われれば、いつでもご案内いたします。ご馳走様です。

6月のコラム 「相対性未熟児」

 アルベルト・アインシュタインが1905年に特殊相対性理論を、1916年には一般相対性理論を発表した。私たちの宇宙の理解が急速に進んだのはその後のことだ。特殊相対性理論とは物質が等速で運動する時に適用され、加速度がついてる時は一般相対性理論で扱う。何で相対性という名称がついているのかというと、運動している物体、たとえば高速で動いている新幹線の中の時計の進み方とそれをホームで見ている人の時計とでは時間の進み方に差が出るということ。宇宙を光の速度に近いような高速のロケットで10年間飛び続けて地球に戻ったら知っている人はみんな年取って死んでいた、なんてSFの話を聴いたことがあるだろう

。

 いきなりアインシュタインでは頭が痛くなる。でも相対ってことは相手と自分ということ。相手と自分の時間が違うということ。アインシュタインはこんなたとえをしている。「熱いオーブンの中に手を入れたら1分が1時間に感じられる。美しい女性を前にした1時間は1分に感じられる。」心理学的な時間は状況や相手によって変わっていくから相対性が当たり前だ。そこで今日のテーマになる。相手と自分との相対する関係、相対関係をうまく築けない人たちが増えていないかということ。いわば相対性の成熟がされてない人。相対性未熟児と命名した。

 

 4月、ある会社の新入社員研修の時、こんなことがあった。宿泊を伴った研修の2日目の朝、人事部の人が講義前にお茶のペットボトルを新入社員に配った。中に一人、昨日配った飲み残しのペットボトルを机の上に置き、新しいペットボトルは要りませんと断った女性がいた。人事の人が、それは古いから新しいのを飲んだら、と声を掛けたところ、いきなり大きな声で「いやです!」といいながら必死の表情で昨日のペットボトルを抱きしめた。周りは唖然とした。


 別な会社の合宿研修の時。講師の部屋に深夜3時に尋ねてきた研修生がいる。もちろん研修生の相談に乗るもの大事な講師の役割だ。でも、夜中の3時はないだろう。本人は迷惑をかけているという意識などまったくないように、普段のように淡々と話していった。2時間も。次の朝は6時半から体操がある。正直言って私は疲れていて眠い。あくびも出る。早く帰ってくれと顔に出ている。しかし彼はまったく気がつかない。


 また別な会社の研修で、はじめの自己紹介を兼ねた3分スピーチで少し驚いたことがあった。所属と名前を名乗ったあとに、いきなり安倍総理は靖国神社におまいりに行くべきだと始まった。もちろん3分スピーチのテーマは自由だから何を話しても良いのだか、会社組織で政治の話や宗教の話はタブーだろう。他の研修生の戸惑った顔が印象的だったが、本人はまったく意識してないようだ。


 空気を読めないという言葉が流行った。確かに、その場の雰囲気を感じられない人はいる。いや、昔からいた。でも、最近はもう少し違って、他人との相対関係が築けない人が増えているような気がする。


 ある会社の営業部長の話で、その会社は営業マンの育成のために新人は1~2年先輩の社員と数ヶ月間の同行営業をさせていた。しかし今年からその育成システムをやめたという。数ヶ月間の同行中にトラブルが多発するという。顧客とのトラブルではなく、同行する先輩と新人との人間関係のトラブルだという。一番多いのが感情を爆発させて上司に「あの先輩(新人)とは一緒に仕事はできません」と言ってくることだという。事情を調べれば些細なことが多い。昼食抜きで連れまわされるからいやだとか、態度が大きいとか、はては一言もしゃべってくれない、とか。


 新卒者の採用面接で1時間も泣きっぱなしの人がいたと聞いたのはある会社の人事部長の話だ。その大学生は女性で、面接中に突然泣き出し、最後まで泣き通しであったとのことだ。理由は「生まれて初めて私のことを真剣に理解してくれる人とめぐり合った」喜びの涙なんだという。この話には正直驚いた。採用担当者は真剣になって相手の眼を見ながら話を聞く。当たり前のことだ。でもその女学生は今まで眼を見ながら真剣に話を聴いてくれる人にめぐり合わなかったのだろうか。そういえば、メールでの会話は相手の眼を見ないし、感情の表現が薄いものになる。

 何かおかしい。何かが崩れている。人間関係での未熟児が増えている。

 先日、ある駅ですいている昼間の電車に乗り込んできた男子高校生5人組。横一列に座って、全員がポータブルゲーム。中の一人がいきなり「見ろよ!こんなのありかよ!」と声に出す。もちろん目はゲーム機の盤面。他の4人から返事はない。全員の目は盤面を見つめている。すごいコミュニケーション。すごい相対関係。


 高校時代は人生観ができあがる大事な時期だ。学校の行き帰りに友人と話すことが、人生や社会のことを考える貴重な時間だった。大人びた友人の話で劣等感を感じたり、また、孤独感を感じたりといった、人間と人間の関係を考えさ、自分を客観視することを学んだあの大切な時間。その時間が奪われていく。

 他人との関係を築けない若者が増えている。いわば相対性未熟児。アインシュタインもびっくりの相対性未熟児だが、多かれ少なかれ実社会に増えてくるだろう。さて、この未熟児たちを経営体という組織の中で成熟させる方策はあるのだろうか。逆に言えば、会社の中でこそ成熟させるチャンスがあるかもしれない。そのためにどうしたらよいか、われわれ大人が真剣に考えなければいけない。

5月のコラム 「日本のスポーツとビジョン」

 今年のゴールデンウィーク、わが阪神タイガーズは破竹の7連敗。高校野球は特待生制度をめぐって紛糾が続く。これは大きな問題だ。阪神のことでなく高校野球の特待生問題。阪神のことなら大丈夫。真の阪神ファンは負ける喜びを長年味わってきたから。でも、現役高校生を巻き込んだ騒ぎはちょっと見過ごせない。382校 8000人を超える生徒が対象になったという報道がなされている。あのPL学園や明徳義塾は入っていない。実質的にはもっと多くの学校で特待生制度をやっていたのだろう。さあ、この問題の見方だが、・・・

 だって、当たり前だよね。特待生制度があるのは。みんなそれを前提で高校野球を見ているのではないのかな。大都市から地方の県への野球留学は当たり前だし、中学やリトルリーグからのスカウトも当たり前でしょ。ファミスタのサクセス高校編ではプロのスカウトが高校に来て監督と親しく話しているものね。高校野球のプロ化なんて30年~40年前から指摘されていることだし。それをいまさら高校野球は教育の一環だから特待生制度は本来禁止ですって言ったってしょうがないでしょう。高校野球は教育の一環ですか?

それともビジネスですか。少なくとも甲子園出場の常連私立高校や主催者の大手新聞社やテレビ局、マスコミ、運道具メーカなどはビジネスとして興行しているのではないですか。それをいまさら教育だから駄目といったってしょうがないでしょう。一大ビジネスに育てたんだから。彼らが。

 混乱に輪をかけているのがいわゆる高校野球連盟の幹部の姿勢だ。「ないことになっているものはないのです。」という姿勢。「野球技術を対象としたと特待生制度は本来禁止となっているのだからありえないのです」。と決まりを作った後に実態調査も何もしないその姿勢。生徒のことはまったく考えていない高野連の大人たち。

 さて、果たしてスポーツは教育の一環になりうるのか。野球を除く他のスポーツの多くは特待生制度を認めている。それでは野球以外の高校スポーツは教育の一環ではないのか。

野球だけ大きな金額が動く特別な存在なのか。そんなことはない。高校サッカーだって、高校バレーだってテレビ中継があってマスコミが取り上げる。これらは興行として十分成立している。興行が成り立てばお金が動く。当たり前のこと。何か混乱している。

 そこで、あえて私はこう問いかけたい。スポーツって学校でやるものなのか、と。Jリーグ浦和レッズのエンゲルスコーチが面白いことを言っている。彼はJリーグチームの監督やコーチだけでなく高校のコーチも経験している。彼は「日本の高校生はサッカーを楽しんでいない。勝つことしか意識がない。高校生のクラブ活動はもっと楽しまなくちゃ。」野球にしろサッカーにしろ本来教育の一環としてのクラブ活動が、全国大会という興行になっていること。そしてそのことによってお金が動く。勝ち負けに必死になる。スポーツを楽しむクラブ活動にならない。このことが大きくいえば日本のスポーツの底辺の拡大につながらない原因だろう。

 ヨーロッパのようにスポーツ活動は地域のスポーツクラブで行なうものであれば話がまったく違ってくる。ヨーロッパのサッカークラブはプロ組織の中にいくつものサテライトを持っていて、本格的にスポーツをやりたい人は年齢別に活躍できるしトッププロも目指せる。それだけでなく地域の一般の人たちが日常的に楽しんで行なうスポーツ活動もできる。このような地域クラブがあれば地域クラブ対抗の高校生クラスの野球大会やサッカー大会ができる。そうなれば教育とスポーツを分けて考えられるし、学校でのクラブ活動が楽しくなればスポーツをする底辺も広がる。また、トップクラスを目指す人たちの水準を高めるためのプロの指導者の指導も得られるから必然的にレベルが上がる。今の高校スポーツの指導者はプロの指導者ではない(何しろ教育の一環)ので、レベルが上がらないのが当然ではないか。

 堀口夏実さんという女子バレーボールの選手がいる。中学生でプレミアムリーグ岡山の選手。今年の4月から高校生。本人は高校に入ってもプレミアムリーグで続けていきたかったのだが、高校との重複登録が認められずにチームを退団する。プロで活躍できる技術を持っている人なのに、高校のクラブ活動しかできないなんておかしい。こんなことをやっているからバレーボールは世界レベルから遅れをとっているのだ。

 男子のマラソン、以前の日本は強かった。最近だめになったひとつの原因といわれているのが箱根駅伝だという。たかが関東地区の大学による地域の駅伝競走でしかないのに、テレビやマスコミの力の入れようは大変なものがある。高校生の陸上選手にとってテレビに出られる箱根駅伝は魅力的で、自分も関東の大学に入って箱根を目指したいという気にさせるのだろう。そのことが箱根駅伝を目標に頑張って達成すると燃えつけてしまう、いわゆる燃えつき症候群を生み出しているという。確かに最近は箱根駅伝出身者でマラソンの好成績者が出てこない。

 高校野球の特待生問題からいろいろな日本のスポーツを見てきたが、共通して言えることは将来の総合的なビジョンの無さだ。高校野球や高校サッカー、大学の箱根駅伝などは大手新聞社の拡販のための道具であり、テレビの視聴率を稼ぐ道具である。新聞社やテレビ局がそのスポーツの将来ビジョンなど考えるわけがない。目先の視聴率のほうが何倍も大事だ。高校野球の問題は当然プロ野球にも直結する問題だ。スポーツはある意味で平等である。金持ちの家庭の子供でなくてもプロ選手になれる。誰でも夢を持てる。一流のプロ野球の選手になって金を稼ぐんだ。という夢を。でも、高校野球の特待生制度がなくなれば、野球をやる高校生が減るのが当然だろう。体力がある人は別なスポーツに鞍替えするだろう。だから特待生制度の廃止はプロ野球にとっても大きな問題なのだ 。

 ところが、そのプロ野球を仕切っている連中もまったく総合的なビジョンがない。ドラフト改革一つできやしない。みんな目先のことしか考えていない。経済のグローバル化と同じようにスポーツのグローバル化も進んでいる。このままではプロ野球の一流選手は大リーガーに進み運動神経が良く体力のある高校生は別なスポーツへ進む。プロ野球の衰退が目に見えるようだ。バレーボールもマラソンもまったく同じ。日本国内の狭い範囲しか見ていないでスポーツの国際化に対応できるわけがない。将来のビジョンがないスポーツは衰退するしかないだろう。期待するのはサッカーかな。Jリーグ100年構想というビジョンを持っている。

 スポーツ組織も経営体もまったく同じ。ビジョンがなければ企業も衰退するしかない。ウサギと亀の競争の話がまことに教訓的だ。ウサギは目先の競争相手である亀しか見ていない。亀はウサギに目をくれることなく、ビジョンであるゴールを見ていた。

 そういえば、私の奥さんのクリスティアーノ・ロナウド好きは昨年のワールドカップ以降ますます熱が入っている。マンチェスターUとACミランとのヨーロッパCLの準決勝を

私もテレビで見ていたら、面白い、面白い。日本のJリーグとは動きが違う。

 もう野球のファンは止めた。阪神のファンも止めよう。あ~あ、それにしても7連敗はないだろう。