やっぱり「特別」な日だったんだなあ...
こんばんは!まりなです。ハトさんの話のつづきになります。→復習はこちらから!2013年9月10日にキャッチコピーをつけるとしたら、こうなります。生と死をしみじみと考えさせられた日普通wwwwwストレートwwwww上手い言葉あそびはできませんでしたwwwwwというか、キャッチコピーなんですかね、これ。(笑)いや、でも、この問題をしっかりじっくりしみじみと考える機会ってなかなかありませんよね。そんなきっかけがあった日でした。21年前に生を受け21年間無事に生きてこれたことを噛みしめる日に生きものの死の瞬間を目の当たりにしました。このタイミングも何かの縁だったのでしょうか。いや、むしろそう思わずにはいられません。・いつも絶対に家にいない曜日・時間にわたしが家にいたこと・ハトさんが玄関近くでじっとしていたこと・見つけたのがわたしだったことこの3ポイントが揃わなければ、ハトさんを病院に連れて行くことはありませんでした。一つ目はそれこそ誕生日だから家にいたんですが。(笑)二つ目です。ハトさんは深い傷を負っていました。自然界に生きる鳥ならば、自分の死を悟っていたかもしれません。...そんなとき、人の目に触れるところに普通の野鳥が行くでしょうか?おそらく逆ですよねーカラスは死期が近づくと、ひっそりと死ねる場所に自ら向かうそうです。↑普通の野鳥はそうですよね。ところがハトさんは、発見できる場所にいてくれました。玄関のすぐ近くにいてくれたんです。なんかちょっと、期待してくれたのかな。もし、頼って待っていてくれてたのなら、最後にあがいた甲斐がありました。見つけたからには、わたしにはどうしても放っておけなかったんです。これが3つ目のポイントです。本当にダメで。見つけてしまったら、野鳥であろうが一目見て手遅れだと分かろうが諦めてそのままにしておくことはできませんでした。何かしてあげたかった。たとえ人為が入ろうが生きる可能性があるなら、努力してあげたかった。わたしはそう思ってしまいます。何もしないと後悔してしまうので。もし見つけたのがお母さんであったら、そのままでした。(本人が言ってました。)どちらが正解とか、良い悪いは無いと思います。考え方の違いですからね。でも、結局は動物病院に連れて行って良かったんです。これはふたりとも一致。それは、いつも庭をぽっぽぽっぽ歩いていた、見慣れてるハトさんを間近で看取ってあげることができたからです。かれこれ5年は見てましたから、「準ウチの子」です。庭で鉢合わせても飛んでいかないんです。歩いて距離を置く程度に避けられてましたwwそれでも、そうですね~日常では5mくらいの心のキョリはありましたね~それが、最後にして縮まった感覚です。間近で見たらカワイイ顔してました^ ^そして、もうひとつの病院に連れて行って良かった理由が絶対に譲れないポジティブ思考になると思います。動物病院に行ったから、動物病院に行って良かったんだ。何事も、やることをすべて出し切ってしまうとたいていの後悔はしなくて済みます。人事は尽くした。天命がこの結果だった。だったら、もう、仕方ないじゃないか。何をしても、しなくても、今日死ぬ運命の子だった。病院でストレスを感じさせてしまった。もしかしたら、わずかな寿命が縮んだかもしれない。しかしそれが逆に良かったとさえ思う。傷を見せてもらうと、本当に深い傷だった。もう助からないならむしろ、痛みを感じながらじわじわ死んでいくよりもいいんじゃないか。生きる時間を延ばすことが、必ずしも良いとは限らない。連れて行ったのだから連れて行ったことに、わたしは後悔しません。行動したら行動したことに、わたしは後悔しません。それは常に全力だからです。こうしてハトさんの死の瞬間を見ました。看取ってあげることができて、よかったです。それでは、また♪1日1回クリックで、応援よろしくお願いします♪この1クリックが励みになりますo(^▽^)o↓人気ブログランキングへこちらも随時更新中!→Facebook→Twitter☆目次-Contents-へ戻る→