↑の絵は興味深いですよね。

「花が散って幸せを感じる人」と「花が散ってストレスを感じる人」

人間の感じ方とは本当に違いますね。

「本当に人は自分と同じ感覚ではないですよね。」

さて表題の「適当でよいのでは?」と言うのは、中途半端と言う意味ではなくて「完璧でなくては良いのでは?」と言う意味です。


フェリア2日目はギターの先生が数時間だけ生徒の憩いの場を提供しており、お邪魔しました。


この場所は数時間貸し切りにしている、「カラオケ🎤」のようなところです。

ギターの先生が伴奏をしているカンテ生徒と、ギターを教えているギターの生徒が割と沢山来ていました。

時間制限があるとの事で、私の理解では「カンテのクラスのチームリーダー的な女性生徒を中心に発表させる場」だと理解していました。

私はカンテクラスを受講していないので、1番奥の隅っこに座り、皆が楽しむ様子を1人で楽しんでいました。

あるフラメンコのプロのカンテのお爺さんが私のところに来て言いました。

「君は(フラメンコ)歌うのかい?」

私:「はい。歌うのは好きですよ。」

「同じ人ばかり歌ってるよ。きてきて!」

私:「あ!今別の女性が並んでますよ。皆が終わり時間があればで大丈夫ですよ🙏」

(しばらく時間が経つ)

お爺さんが手を振り、来なさいと言っている。

私の頭の中: 「スペインでマイク🎤で歌うのは初めて。しかも機械が少しエコーききすぎな感じ。大丈夫かな?😅まあ、いっか。」

と言う感じで微妙に緊張しながらカラオケが始まりました(笑)


外国人だから、誰も完璧な発音やカンテを期待しているわけでもなく。何が悪いか良いもないんですよね。

先日、フェイスブックでサエタと呼ばれる伝統的なカンテを歌っている日本人の動画がアップされていました。

他人だから?かもしれませんが、そこに書かれたスペイン🇪🇸人からのコメントは酷いですね。

「これはサエタではないよ。」

「外国人なのはわかるけど、しっかり歌ってないものは歌ってないよね。

「ちょっと違うかな」

などなど。

百歩譲って、🤔🤔🤔

例えば伝統的なお寿司にアボカドが入るのは、「従来の寿司🍣ではない。」と考える日本人がいるとします。

それは、ごもっともかもしれません。

しかしながら、現代はカリフォルニアロールを日本でも販売しています。

寿司の考え方をベースに海外で作られた寿司が好きな日本人もいるんです。

ただし、根本的なすし飯や生魚を使うベースは変わりません。

たぶん自分の文化になると受け入れない感覚はあるけど、海外の文化(自国以外)が形を変えている場合は気にしない人が多い。

興味深いですね。

しかしながら、言語とは音を発生する楽器の1つであり。産まれた時から癖がついた、「日本語の音を発声する口(顔の筋肉の使い方)が100%現地の口になるかは非常に難しい。

ただし歌を歌う時は訛(アクセント)があまりないが、普通に話だしたら外国人だと直ぐにわかる場合が多い。

それは、歌う際に繰り返し覚えた音を毎回発声できるから。

話言葉は即興だから、練習不足の音もたくさん発声しなければならない。

だから、大人になってからの外国語習得は非常に難しい。